On
by 卓 坂牛
去年から富士吉田市のデザインコンペを研究室でやっていた。とは言っても実質的には助手の佐河君、院生でオーストリア帰りの中川君、大村君の3人が泊まり込みで制作。130近くの出品がありファイナル3チームに残り今日がイトーキで公開ヒアリング。僕は大学院留学生試験があり行けなかったのだが、夕方彼らから吉報が届く。このコンペは富士吉田にある製氷工場(と言っても鉄骨3階建ての小さな建物)をコンヴァージョンして地域の核となるような場を作るもの。我々の案は閉鎖的な工場建築を街に開くために木のルーバートンネルで1階から3階までを繋げようというもの。1500万の予算でどこまでできるかはやや不安だが、この夏オープンを目指して実施設計を進めることとなった。富士吉田にはまだまだ空家があり、継続的にこうした遺産を有効利用する計画もあるようである。
On
by 卓 坂牛
配偶者の小学校の同級生4人を拙宅に招く。男性2名、女性2名。彼らは僕の中高の同級生、同窓生でもある。男性は弁護士、企業の責任者、女性は主婦、そして起業家である。歳は55でも気持ちは小学校、中学校時代に戻っている。いいなああ皆元気で。さて人生65歳からである。この10年間は力を貯めないと。
On
by 卓 坂牛
ルイジ・ギッリという写真家がいる。その昔どこかで見た気がしていてその透明な空気感が好きだったのだが、みすず書房から『ルイジ・ギッリ 写真講義』(ジュリオ・ビッザーリ/パオロ・バルバロ監修菅野有美訳みすず書房2014)なる本が出版された。これは地元の専門学校で行った写真の講義である。素敵な(というか何気ない)装丁で昔の記憶も重なり気に入って購入し少しずつ読んでいた。その中で彼は自分の写真は自分の世界でもなければ客観的な実在でもないと言っている。そうなんだ。この透明感は撮る人のエゴでもなければで場所の持つしつこさでもない。あるいはその逆かもしれない。そのどちらでもない、どちらにもこけそうな危うさがギッリの魅力である。と思っていたら青木淳さんが読売新聞の書評に同様なことを書かれていた。