スマートシティ時代の新しい空間ってあるの?
先日大野二郎さんにいただいた『スマートシティ時代のサステナブル都市・建築デザイン』日本建築学会編2015を電車の中で読もうと各駅停車で渋谷からすずかけ台へ。なんと55分もかかった。この本の中に安原さんがスマートシティ時代の建築の快適性を探ると題して文章と実例をお示しになられている。曰く新しい建築は生まれていない。そう思う。というかスマートシティ時代のサステナブルな概念と新しい建築空間とは別の話なのだろうと思う。
先日大野二郎さんにいただいた『スマートシティ時代のサステナブル都市・建築デザイン』日本建築学会編2015を電車の中で読もうと各駅停車で渋谷からすずかけ台へ。なんと55分もかかった。この本の中に安原さんがスマートシティ時代の建築の快適性を探ると題して文章と実例をお示しになられている。曰く新しい建築は生まれていない。そう思う。というかスマートシティ時代のサステナブルな概念と新しい建築空間とは別の話なのだろうと思う。
院生やレネを我が家に招待した頃から体調が悪いが、さっぱりよくならない。今日の予定をまとめてキャンセルしようかと思ったが、まだ少し元気が残っているのでやっぱり頑張る。2時に青山の表参道テラスの地下で北村明子さんのソロパフォーマンス。北村さんが一人で踊るのを信大時代には見たことがあるけれど、オフィシャルな場で見るのは恐らく初めてでは??表参道テラスの地下にそんな場所があるのだろうかと疑心暗鬼だったがバーの横にドアがあってそこに小さなホールがあった。
入るときに単語が書かれたカードが配られ、それを壁に貼り付けろと言われ指示通り壁に貼る。パフォーマンスが始まると例によって北村さんの語りが始まる。貼り付けられたカードを1枚1枚取りながらそれにまつわる話をしているのだが、基本は昨年旅行したアジアの記憶である。語り、踊り、語り、踊る。ラスト10分くらいの低音ビートの中でのスローダンスは痺れる。
その後青山ブックセンターで欲しい本をまとめ買いしようと思ったが、まだ3月なので一冊で我慢して八潮へ向かう。今日はほぼ完成した八潮駅前公園を、小川、曽我部、寺内先生たちと見学。
北陸新幹線開通で軽井沢に止まる列車本数が減ったからなのか、土曜日の朝だからなのか、長野止まりの浅間が超満員である。月末に打つ予定の屋根壁コンクリート打設が4月にずれ込んだので今日は屋根背筋の真っ最中である。平面型は大きな台形でほぼ中央に棟の交点がある。屋根スラブ厚はスパンの関係で一番厚いところで30センチ。薄いところで20センチ。よって配筋は複雑極まりない。屋根配筋の進捗は60%くらいでそれでもかなり複雑なところが多々ある。全部できた時はどうなってしまうか?2日に構造の辻さんと金箱さんの検査なので今日は鉄筋業者がなんと5人いっぺんにかかっている。やったそばから間違っていないか心配そうである。
リレーショナルアートという言葉のリレーションの元になったのはニコラス・ブリアードの書いた『Relational Aesthetics』1998 ,2002による。と飯尾さんが教えてくれたので読んでみると以外な事実にぶつかる。それは90年代アートの「関係性」を哲学的に裏打ちしていた思想はアルチュセール後期「偶然の唯物論」であるということである。そのあたりを抜粋して訳してみよう。
関係性の美学を裏打ちする哲学的伝統はルイ・アルチュセールによって注目に値する方法で規定された。それは彼の最新の論文である「偶然の唯物論」においてである。この唯物論はそのスタート地点において世界を偶有的で、既存の起源や感覚を持たない、まして理性も持たないものにしてしまった。・・・よって人間の本質は純粋に個体間にあり、個体を常に歴史の産物である社会体に関連付ける紐帯によって形作られるのである。(Bourriaud1998 p18)
なるほど世界が偶有的になればなるほど、どこかに確かなるものがあるというのは妄想のようなものでしかなく、よってすべてが関係性に還元され始めたということか。となればこのアルチュセールの言説は罪なものである。世界がすべて関係性に還元されるなんてそんなことはありえない。あって半分である。
朝から家に缶詰で原稿を一気に8000字書いた。先日編集のIさんと話をして1章書き足すことにした。それは1月のセルバンテス文化センターでのシンポジウムのテーマであったソーシャル・アーキテクチャーについてである。すでにこのシンポジウムのためにかなり資料は読み込んでいたので、書きたいことは山のようにある。
ソーシャルデザインといえば一昨日香川の親戚のところに行っていた配偶者からお土産で紙でできたお財布をもらった。これは「香川県内で拾い集められたダンボールで作られている」。
ソーシャルデザインについてMITのエイミー・スミスはこう言う。
①適正な技術をつかうこと、仕事につながる技術であること、地元の原料を使う技術であること。地元の人が使いこなせる技術であること。
② デザインのプロセスに住民が参加すること。地域の課題を特定する際に住民が議論に参加すること。資源を探す際にも住民が参加すべき。そうすれば技術が地元に根付くことになる。
③ 解決策を住民とともに実行すること。単に専門家が答えを持ち込むのではなく、一緒に解決策に取り組むこと。解決策を提供するのではなく、解決策を生み出すのに必要なスキルを教えるべき。
なるほどこれに当てはめれば、この財布は地元の原料を使い地元の人が手で折って簡単に作れる技術に立脚している。そして恐らく地元住人たちの参加によって可能になった製品なのであろう。
このところの急激な寒さで喉が痛くなってきた。めったにマスクなどしないのだが今日は朝から着用。9時のかいじで甲府へ。工事は最後の追い込み。補助金工事の悲哀。年度内設計施工なので今月中に役所完了検査をうけなければならない、加えて市の子育て支援課の検査も受けなければならない。 ボードパテ状態は今日で終わらせないと。
昨年秋にデンマークのウッツォン・センターで行ったレクチャーはウッツォンレクチャーシリーズの一つでした。それがネット上ですべて閲覧可能になっていると知りました。興味のある方はご覧下さい。
https://vimeo.com/118112417
このレクチャーシリーズ1回目が2014年の8月、5回目が今年の2月この調子だと1年間に10回くらい行うのでしょうか?世界の大学は日常的にこういう知的交流をしています。見習わないと僕らはアジアの辺境に置いてきぼりになりますね。
#1 プリンストン大学 Sigrid Adriaesnessens 「形態発見への対話」
#2 東京理科大学 Taku Sakaushi 「フレームとしての建築」
#3 ロイアルアカデミー Thomas Be Jensen 「レンガの言語」
#4 ETH Tobias Bonwetsch 「ロボットによるレンガ施工」
#5 ETH Matthias Rippman 「形の発見」