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by 卓 坂牛
広井良典氏の新刊『人口減少社会という希望―コミュニティ経済の生成と地球倫理』朝日新聞出版2013を読んでみた。今までの総括のような本であるが、定常社会の目指すところに地球倫理をおいているのが新しい。
成長経済を否定する理屈は納得が行く。特に科学と成長経済を対照し、それらが一体となって成長したのはたかだか20世紀後半のことであるという話はおもしろい。そして科学は必ずしもそのためにある必要もないというのもその通りである。そうなると建築という科学も経済成長のためにあるのではないと考えるべきである。公共事業に金を巻いて経済を活性化する土建国家から脱皮しないと。ゆっくりとでも。
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by 卓 坂牛
彰国社から本が届いた。昨年頼まれて部分執筆した本。その名も『14歳からのケンチク学』ついに建築関係者は誰も買わなくなった建築書を中高生に売ろうという試みである。帯にはこう書いてある。中学・高校の18科目から、建築の面白さを体験してみよう。というわけで教科ごとにいろいろなケンチク関係者が執筆している。数学:藤本壮介、政治経済: 山形浩生、生物:平田晃久、課外授業:永山祐子、国語:私、英語:木下庸子、体育:石田 壽一、化学:今井公太郎、歴史:後藤治、算数音楽:菅野裕子、地理:中川理、倫理:南泰裕、美術:武藤隆、情報:本江正成、修学旅行:五十嵐太郎。皆さん1万字くらい書いていると思う。さて売れるかな?
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by 卓 坂牛
夕方来年度の製図の打ち合わせで非常勤の先生集合。2年生前期の製図の非常勤は上條(元伊東豊雄事務所)、新堀さん(元安藤忠雄事務所)、長谷川さん(香山事務所)、水戸淳さん(元大成建設)、今村さん(元SANNA)、蜂屋さん(元山本理顕事務所)。3年生前期は塩田さん(元谷口吉生事務所)浅見さん(元坂茂事務所)、比嘉さん(元長谷川逸子事務所)、山本力也さん(SANNA)、山道さん+千葉さん(元塚本研)。という布陣である。皆さんもちろん現在活躍中の建築家であるが元いた事務所を見ると超一流。こういう方たちと学生を教えるものなかなかエキサイティング。4月からたのしみです。
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by 卓 坂牛
今朝はジョギングコースをいつもの四谷方面から曙橋側に変えて観察するとこのあたりには実に二股が多い。二股ファンとしてはたまらん。特にこの薄っぺらな高い建物の建っている二股はフラットアイロンを彷彿とさせる。午後富士吉田に行ったらフラット二股に分かれた川を発見。道も川も似たようなものでいくつかの世界が開ける場所である。三叉に出会いたい。
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by 卓 坂牛
9時半の中央線かいじに乗って今日は大月経由で富士急の下吉田へ向かう。製氷工場リニューアル計画の現地に金箱さんと学生チームと向かい構造的現地調査。僕も初めて現物を拝む。建物の朽ち方は想定内だったのだが、コンペの対象建物の後ろにつかず離れず(見た目はくっついているのだが)建っているRCの氷室だった建屋とその上に乗っかっている増築部分とがまるで北アフリカのメディナの増殖建築のようにアンコントローラブルに繋がっている姿は想定外。これはエキサイティング。今回手を付ける部分はコンペ要項上は道路に面した鉄骨部分だけなのだがこの全体系が魅力である。このアメーバーを全体として考えていくべきなのは見た瞬間思った。それは外観上もそうだし、内部空間的にもそうだと思う。久しぶりにワクワクする。NHKの取材もべったり朝から夕方まで張り付いていた。彼らも何か興味深いものがあるのだろう。この場所にどういうパブリックネスを埋め込めるのか?これは富士吉田のファーストステップである。
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by 卓 坂牛
受賞のシーズンなので研究室で何か頂いた人は平等を期してブログ上でお祝いである。一部四年生の根本君は先輩たちからの賞はもらえなかったようだけれど、卒展で最優秀賞をいただいたそうである。デザインの審査はあるところから上は審査員の好み以上でも以下でもない。これは致し方ない。だから正直言えば審査員を選ぶ権利が学生にはあってしかるべきだけれどまあそうもいかない(審査員を選ぶというよりかは大学選ぶんだろうけれど)。ファッションの世界じゃあ先生の言うことなんか聞いていたらとてもじゃないけれどダメだと思う人はもうしっかり無視しているそうで、それを耐え抜いて(という言い方もなんだか変だけれど)卒業して一流になる人も結構いるとか、、、、
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by 卓 坂牛
夕方第二部工学部長賞の表彰式があり、自分の研究室の4年生が二人受賞するということで出席した。大島駿は卒業設計一番、神藤のぞみは成績一番というのが受賞理由である。こう言ってはなんだが毎年工学部長賞、学科賞、学長賞、などなど誰かが何かを貰っているので指導教員は感覚が麻痺しているのだが、受賞者にしてみれば一生に一度のことであり賞罰にも書こうと思えば書けることでもある。自分も卒業設計賞という名前がついていたかどうか定かではないが、レモンに展示してもらった。まあ大学の先生の合計点で選んでもらってもさほど価値はないが、篠原先生一人に選んでもらえたことを今でも心から嬉しく思っている。何はともあれ建築学科で3人工学部長賞をいただきそのうち二人が私の研究室の学生で会ったことは喜ばしいし、受賞したふたりにはここらから拍手を送りたい。
岡嶋裕史『ビッグデータの罠』新潮選書2014を読んで、巷によく聞くこの言葉の定義を知った。①大量のデーターを②瞬時に③非構造的に整理する事象なのだそうだ。本の趣旨はそういうGoogleやAmazonやその他もろもろのビッグデーターに気をつけろというものなのだが、それより、興味深いのは人間にもビッグデーター型そしてその逆がいそうだという点である。ビッグデーターの逆をを仮にスモールデーターと呼ぶなら、それは①厳選されたデーターを②時間をかけて③構造的に整理する事象ということになる。それぞれの①②③以外の特徴はビッグは大量データーを瞬時に処理してシステムをダウンさせないために厳密さを問わず矛盾しそうなことは無視していい加減に処理する。一方スモールは正確で厳格だが、時間がかかりシステムがダウンしやすいのである。
さて大学のコリーグを思い浮かべるなら、主任のIさんはビッグの典型、そして学科長老のTさんは年寄りなのにビッグである。一方一部の先生にはスモールの人が多い。どっちがいいとか悪いとかじゃないんだけれど、僕はビッグの方がなじみがいい。ちなみにADHLがビッグでアスペルガーがスモールということではない。ビッグは瞬時に大量データーを処理できないといけないのである。逆にスモールは厳格に正確でなければいけないのである。
翻訳読み合わせ会。最後の追い込み。日本語がこなれているかを読んでいるのだが、やはり読んでいるとこれはどういう意味なのだろうかと思うところが現れる。翻訳って終わらない。ところで今日は「政治」という章の読み直しをしていたのだが、前も読んでいるのに内容を忘れているせいか、今日初めて読むような楽しさと驚きがある。コンクリートは左翼的なイメージがこびりついているという話である。材料の先生に教えてあげたい。知っているかなあ?旧ソ連で大量に消費された理由。大量のセメント粒子も骨材も一つに結合されるというのが社会主義の目指すところに合致するのだそうだ。さらに言うと、スターリン時代の社会主義リアリズムは新古典主義的装飾に傾いておりそれはコンクリート生産に向いておらず、フルシチョフが後を継いでからは、新古典主義を排除し、経済効率を追求し、無装飾(というよりは無デザイン)のプレファブを追求し大量の集合住宅を作り、現在それが廃墟と化しているようである。スターリン以降の社会主義リアリズムのゴミの山を一度ぜひ見たいものである。
僕が岡崎京子を読んでいたのはいつだったのか?何がきっかけだったのかよく覚えていない。最初に読んだのはリバースエッジ、次はジオラマボーイパノラマガール、くちびるから散弾銃、そしてPink だいぶたってから椹木野衣の岡崎京子論も読んだ。一時期だいぶかぶれていた様に思う。何が好きだったのかは他の人とあまり変わらない。80年代後半から90年代のバブルとその崩壊の感覚の現れに共感したのだと思う。あれから20年くらいたったが、この崩壊感は未だに世界を覆っている。岡崎は交通事故によって今では絵を描いていないのだが、展覧会場は大入りである。一昨年の沢尻えりか主演、蜷川実花監督の映画ヘルタースケルターの余韻残っているのだろうか?