Antrhopocentric (人間中心主義)が歴史に登場したのはそもそも神がいなくなったからであり、人間の能力を信じる状況が生まれたからである。しかしそれが人間の思い上がりだということに気づいたからなのか?物自体には到達できないとカントが言ったからなのか?今僕らは人間も物も同レベルにいるんだろうと思っている。犬も人も机も椅子も掃除機もまあ同じレベルにいるでしょうと思っている。
ブルーノ・ラトゥールを読み返してみると近代の人間作業として純化をあげる。そこでは人間が人間で構成する「社会」と人間以外で構成される「自然」を分離したと述べている。しかし一方で水面下ではそうした分離行為と真逆にそれらをつなぎ合わせる作業も行われてきたというわけである。人間をその中心の座から引きずり下ろしてすべてを等価にならべることに僕は賛成である。建築もそういうものであるはずである。コルビュジエのピロティが素晴らしいのは単に人々のためとは思えない。あっちとこっちを繋げる環境を作っているから素晴らしのである。それは人とは関係のない世界も作っているところに幅があるはずである。
ただでさえヘトヘトの月曜日に最近は月一回国際化推進会議が挟まっている。これからの国際推進、なんといっても大事なのは国際交流事務の補強ではなかろうか。我々が国際化するのを盛り上げてくれる人たちが必要と思われる。会議後の講義をしてさあ帰ろうと自転車に乗りいつも見ているはずのキャンパスの端にできた彫刻が目に止まる。なかなかいいなあ。
Adrian FortyのConcrete Culture の翻訳がやっと脱稿。まえがきは僕があとがきは辺見さんが書くのだが、その材料にとだいぶ前にフォーティーが来日した時に塔の家でお会いして、その後表参道を歩き麻布の六根というおでんやで食事をした時の写真を探していたら見つかった。その当時フォーティーはすでにコンクリートカルチャーの一部を書いておりもちろんその取材のために塔の家に行ったわけである。そこで我々は1時間以上お邪魔して、フォーティーは多くの写真を撮っていた。というわけでコンクリートを見たいのだろうと思い夕食の場所も安藤忠雄のところに行ったというわけである。
原美術館でサイ・トゥオンブリーの日本初の個展が行われている。ジャクソンポロックの次世代の抽象表現主義者。晩年はイタリアで過ごす。展示はコラージュ、ドローイング、鉛筆、クレヨン、オイルスティック、ペンキと多彩。色とマチエールがいいんだな。肌色というかベージュというか。加えてわずか書かれる字が全体を垢抜けさせる。
3年生の製図。来週提出だというのに、というか来週提出だからなのか欠席が多くて参る。進んでいる人は進んでいるが、そうでない人は???
本川達雄『生物多様性』中公新書2015は実に建築的に示唆的である。生物は数十億年存続して絶えない。絶えないことが重要だと著者は言う。では生物はどのようなメカニズムで存続してきたか?それを二つの建築、法隆寺と伊勢神宮を例にだし説明する。法隆寺は形を残し、材料も極力残し、機能も残し今に至る。一方伊勢神宮は形を残すが材料は数十年ごとに全部取り替え、機能も残し今に至る。生物の存続はどちらかというと伊勢神宮型。生殖により発生して寿命とともに死ぬ。生殖において材料(細胞)は新たになり、形を残し機能も残す。しかしこの新たになる発生時に実は前とは少し変わる。それは環境が変わっているからそれに適応するように変わるのだと。そうして一つの種は多様な種に生まれ変わり環境に適合する。つまり生物多様性とは存続の可能性を高めることなのだ。よって多様性には価値が有ると著者は言う(科学者は事実を語ることに徹するのが仕事で、価値付をすることは許されないけれどもう大学定年したからいいらしい。ちなみ価値付けをする学問は倫理学なのだそうだ)。
おそらくこの議論はアナロジカルに建築においても正しい。建築多様性には価値がある。それは建築の存続を機能的にも、風土的にも、担保するからである。ローカルな建築群を一掃する再開発は言ってみれば珊瑚礁破壊による生物多様性破壊に等しい建築多様性破壊と言えるのではなかろうか?
この間医者に足を見てもらってから、渋谷のランニングシューズ専門店で足型を計り足に合うシューズを選んでもらい、その後さらに神保町のシューズ専門店で足を見てもらい、それに合うインソールを二つ選んでもらった。それを持っている靴にはめて只野さんに教わった歩き方をしているうちにだいぶ足の痛みが軽減した。今日はクライアントに会うために広尾に行った帰り渋谷を通ったので前行ったシューズ専門店でまた別のインソールを選んでもらった。O脚偏平足用である。これがなかなか良い感じである。人間動けなくなったら終わりなので、、、、
神楽の授業を終えて出てきたら雨。今日は濡れて帰るか。
NHK放送文化研究所は1973年から5年毎に現代日本人の意識構造調査を行っている。その2013年の調査がまとまって今年2月に出版された。NHK放送文化研究所編『現代日本人の意識構造第八版』NHKブックス2015。調査は●男女と家庭のあり方●政治●国際化、ナショナリズム、宗教●仕事と余暇●日常生活●生き方、生活目標の観点から行われてきた。これらの調査結果を見ると大体予想通りの結果である。
二つだけ意外なことがあった。一つは政治意識の積極性を年代、時代で比べたもの。1973年に比べ2013年はどの年代でも政治に消極的ではあるが、1973年では最も消極的だった未成年層が2013年では最も積極的になっていること。40年間で政治意識を持つ層が逆転してきているようである。いいことである。もう一つは日本に対する自信。この意識は73年から見てくるとバブル期に最高潮に達し、バブル崩壊とともに下落する。しかし2003年くらいからV字上昇するのである。
若い人が政治に積極的で、自国にプライドを持てるというのは結構なことである。
建築意匠論方法論検討会第九回、京大田路さん、東工大奥山さん、工芸大市原さんの四人で議論。建築論なるもののカテゴリーはどう考え得るのかを議論。僕は多くの議論を横軸に形而上⇄形而下、縦軸に制作⇆受容を置いたマトリックスの上に並べた。奥山さんは横方向に方法項目、縦方向に対象項目を置いた表に入れ込んだ。軸の取り方は若干違うが、2人とも論理の多様性を二次元的に捉えている。市原さんもその考え方に賛同。田路さんはややことなる視点から、意匠論のサブジェクトを探し当てることからしようという議論を展開。10月に若い人を少し入れて次の議論をすることとした。