IAACはバルセロナAAあるいはSCIARC
今回ラウンドテーブルを行うIAAC(Internationar Advanced Architecture of Catalunya)を訪ねる。2000年に発足されたこのプライベートスクールはAAやSCIARCのようでもあり、あるいはMITのメディアラボのようでもある。コンピューターを駆使し、建築の表現から製作まで一貫して教育する。また在学中に起業したり、すでに起業した入学生も多い。ようは新しい時代のニーズを感じながら、建築という職能自体も拡張しようと考えいている。場所はバルセロナの中心からやや東で工場をリノベした空間。カタルーニャ工科大学と密接な関係を持ちながら斬新な教育をしているのがよくわかった。学生は世界20ヶ国から集まりスペイン人は年に3人くらいしか入らない。教師も同様でアカデミックダイレクターのArtei Marcopoulou はギリシア人だし、みなが流暢な英語を話す。これからどのような関係を持ちますかと聞かれしばし考える。
http://ofda.jp/sakaushi/diary/
明後日23日19時からバルセロナ カタルーニャ建築家協会でお話をします。今回はフレームとしての建築を考えてから5年、自らのやっていることを事後的に観察してその後の変化をコネクションズという言葉にしました。先日いただいたInternational Architecture Award2015のPine Galleryを中心にここ10年くらいの建物を紹介しながら建築が人と人、人と物、物と物に繋がりの場を作るということをお話します。お近くに来られる方がいましたらぜひおいでください。
Connections
Kazuo Shinohara as he designed Fissure Space wrote that although Fissure Space looks disconnects spaces on both sides they arouse connection between those spaces. That`s true indeed. It is normally thought that continuity between two points should be stronger with nothing in between than with something. If there is something it breaks the continuity.
But is that true? Although physically it seems true psychologically it is not always true. It could be said that something between two spaces sometimes could work as the device which connects them.
Isn`t architecture something that attains this kind of connection?
Isn`t it the main role of architecture to connect people and people, people and things and things and things?
https://www.arquitectes.cat/ca/conferencia-taku-sakaushi-coac
明後日バルセロナでお話します
明後日23日19時からバルセロナ カタルーニャ建築家協会でお話をします。今回はフレームとしての建築を考えてから5年、自らのやっていることを事後的に観察してその後の変化をコネクションズという言葉にしました。先日いただいたInternational Architecture Award2015のPine Galleryを中心にここ10年くらいの建物を紹介しながら建築が人と人、人と物、物と物に繋がりの場を作るということをお話します。お近くに来られる方がいましたらぜひおいでください。
Connections
Kazuo Shinohara as he designed Fissure Space wrote that although Fissure Space looks disconnects spaces on both sides they arouse connection between those spaces. That`s true indeed. It is normally thought that continuity between two points should be stronger with nothing in between than with something. If there is something it breaks the continuity.
But is that true? Although physically it seems true psychologically it is not always true. It could be said that something between two spaces sometimes could work as the device which connects them.
Isn`t architecture something that attains this kind of connection?
Isn`t it the main role of architecture to connect people and people, people and things and things and things?
https://www.arquitectes.cat/ca/conferencia-taku-sakaushi-coac
建築の世界化を引き起こすものは?
エンリクと建築のグローバライゼーションとローカライゼーションの話をしていて鋭い指摘を受けた。僕のストーリーはローマから始まる帝国の歴史はグローバライゼーションの始まりで、そしてモダニズムの時代に次のグローバライゼーションが来るという話に対して、彼はその間にもゴシックスタイル、パラデイオニズム、ネオクラシシズムは立派なグローバライゼーション的なものであり、それに対してロマンチシズムはローカライゼーションと位置付けられると言う。なるほどこれらは立派に文化の世界的(といえば言い過ぎだが)伝播である。だから僕のストーリーには条件をつけておかねばなるまい。すなわち、柄谷が言うところの世界システムである「帝国」、あるいは「経済」を基盤としたグローバライゼーションと歩調を合わせた建築の世界化である。ではそこに差があるのだろうか?うーん地理的な範囲を比べるなら、世界システムを背景に持つ方がその範囲が広くかつ正確に伝わっているという気がするが、気がするとしか言えない。もう少し考えてみよう。
今日見たセルトがまだバルセロナにいた頃のコルビュジエそっくりのモダニズムを見ると人のつながりも国境を越えるとても大きな要素であるし、、
PORRO
7時にバルセロナ。エンリクが迎えに来てくれた。土曜日に恐縮である。ホテルでシャワーを浴び、彼とゴシック地区を歩く。ローマの遺跡が所々残るのだが、前来た時はどれがそうなのかは知らなかった。今日レクチャーを聞き改めてその古さに驚く。イベリア半島は全てローマだったのだが、一体彼らはどこまで自国のスタイルで作ったのだろうか?もちろんぱっと見ではローマンアーチもありそう見えるのだが、それは厳格にそうだったのだろうか?興味深い。バールで一杯。彼の上海の展覧会、ドクターロン論文、来週のシンポジウムなどの話をしてから海沿いの居酒屋で夕食。カタルーニャ流のワインを飲む道具PORROに驚く。これはデカンタではなくこの道具を高く掲げて口に注ぎこむのである。
公共性の様々な側面
昨日の4年生の製図の打ち上の紹興酒が少し残っているのを走って流し、7時頃家を出て成田へ。非常口前の席がネットでとれていたのだが、ウィンドウサイドはドアの厚みで圧迫感。機内で最近よく名を聞く篠原雅武『全—生活論—転形期の公共空間』2012以文社を読む。タイトルの通り「生活」を考察の対象とする本である。現代人の生活は快適なようで様々に失調している。そして何よりも問題なのはそうした失調を我々は見て見ぬ振りをするところにあるという。それは見るのが怖いというのと同時にそれを回避する様々な装置が備わっているからである。世の中に溢れる便利グッズやITグッズはその最たるものである。そしてそうした回避は往往にして私的空間で安楽を求めて起こる。それが公共性への無関心をも促進する。そうして公共空間は縮減して包容力を失う。この悪循環が生活をますます狂わしていくと著者は言いたげである。
バルセロナでは公共性をめぐるシンポジウムを行うが公共性問題は様々な位相に展開している。ことを再任する。その中でフィジカルな枠組みがどこまで何をどう変えられるかを考えないといけない。
ウリオール・ブイガス稲川直樹 訳『モデルニスモ建築』みすず書房(1983)2011はモデルニスモを学ぶ基本書と友に言われ斜め読みしているが、なるほどわかりやすい。ガウディで有名なカタルーニャのモデルニスモ建築はヨーロッパで起こる新しい波とある同調をしているわけだが、カルーニャのそれは質量ともにその充実度が高いようである。しかし何故にここまで奇想となったのだろう??その説明はおそらく後半。飛行機で続きを読もう。
それにしても著者はあのバルセロナをここまで素晴らしい街にした都市計画局長だったボヒガスなんだ。設計やって、都市計画して、これだけ大部の書も書く。すごいなあ。
アルゴリズミックストラクチャースタジオ
夜大学院製図の講評会。竹中さんと小西さんのアルゴリズミックストラクチャースタジオ。中間発表から大きく前進したものと、似たり寄ったりものも。建築につながりそうなものと、習作段階のもの。だいぶ差が出た感じであるがこういう発想で建築を作る可能性を感じるものだった。