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Jan 2016

ブラジル大使は建築のプロ

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by 卓 坂牛

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「パウリスタから学ぶ」と称してサンパウロ建築を学ぶ連続レクチャーをブラジル大使館で行った。レクチャラーのトップは駐日ブラジル大使のアンドレ・コレア・ド・ラゴさん。彼は去年のベネチアビエナーレのブラジル館のキュレーターなのである。大使が建築の専門家というのは意外である。次はブラジル人建築家ルイスの作ったサンパウロの歴史を中川君が代読。そして次に塚越君が若手サンパウロ建築家の建築について語り、最後に僕がブラジル建築から学ぶことと称してブラジル建築の公共性について話をした。
大使とはイベント始まる前にお話しをして私のアーキテクチャーアズフレームをプレゼント。そのお返しに大使が監修した名写真家の撮るブラジル建築という本をいただく。今後ブラジルとの交流を深めるために協力を惜しまないと言われ、国際交流基金に今後の展開のための助成金申請をする予定である。

成田久さんの展覧会

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by 卓 坂牛

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素敵なハガキが着たと思って差出人を見ると成田久さん。成田君は資生堂のアーティストなのだが、会社の仕事とは別に自分のアート作品を作っては素敵な場所で素敵な展覧会をする。さてこれは何を展示するのだろうか、ファッションなのか?プロダクトなのか?ただの布なのか?でも見ると食事も出るらしい。衣食である。そのうち住もやるかもしれない。

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by 卓 坂牛

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姜尚中(『悪の力』集英社新書2015)曰く、悪は人間の自由から生まれると考える考え方がある。しかしこれだと自己責任論に帰着するという。カント的に考えれば、自由を律するのが理性だということになり理性があるから人間世界は無茶苦茶にならないということになるのだが、どうも現代はこの理性が頼りない。そこで違う考え方として、人間は常に死への願望とは破壊衝動があるという。破壊や死への願望とはある意味自暴自棄である。自暴自棄が悪を導くというのは理解しやすい気がする。この願望を食い止めるのは、では何なのだろうか?

中国アカデミズムの仕組みを見る

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by 卓 坂牛

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昨晩は上海に移動して同済大学の支教授、東南大学の郭准教授と会食だったが三菱地所設計の中国総経理(社長)も来られた。なんと彼は大学のスキー部の後輩の樋口だった。僕が院生の時に一年生、今では運転手付きの社長である。懐かしい。ぜひ現地法人で日本語が話せる中国人の設計者が欲しいと言っていた。うちの研究室に候補がいるのだが、、、、、
会食の話題で大学ランキングの話となる。試験の国中国は日本以上にはランキング付きである。中国の建築学科にはクラシック4というのがあってこれは他の大学を圧倒しており、それらは清華大学、同済大学、東南大学、天津大学。この4つに入ると給料が違うそうである。
その次にニュー4というのがあってこれらは華南理工大学、西安科学技術大学、ハルピン工業大学、重慶大学。そのあとに浙江大学、南京大学、大連理工大学などがあるそうだ。ふーんという感じだが、今回のシンポジウムに中国国内で呼ばれている教授はこのクラシック4だけである。この4つの権威を守るためにこういう会議を行い世界から著名人を呼んで格をあげているという風にも見えるわけである。
さて二日間の会議を終えて素直に思うことは二つある。
1) 歴史、建築論VS建築意匠という構図
この二つのシンポジウム(現代建築論シンポジウムとアジア建築センターオープンシンポジウム)は東南大学の建築学科の中の建築歴史、理論研究所(Institute of Architectural History and Theory)の主催なのであるが、実は建築学科には以下のような3つの部門と4つの研究所がある。
建築部門(Department of Architecture)
ランドスケープ部門(Department of Landscape Architecture)
都市デザイン部門(Department of Urban Cesign)
建築アルゴリズム研究所(Institute of Architecture Algorithms and applications)
アート、デザイン研究所(Institute of Art and Design)
建設技術、科学研究所(Institue of Building Technology and Science)
建築歴史、理論研究所(Institute of Architectural History and Theory)
学生は一学年170人いて大きく3つの部門 建築、ランドスケープ、都市デザインに分かれて入学し2年生までは皆同じ基礎教育を受けて3年から専門に分化して、さらに5年の卒業研究では細分化された研究所に行くことも可能となる。マスーターに学生は540人、ドクターに178人おり学生総数は1568人(中間部の数)。教員数は教授32、准教授52、助教45で全部で129人のフルタイムスタッフがいる。教員一人当たりの学生数は日本の国立大学よりやや多いくらいである。
さて話を元に戻すとこの建築歴史、理論研究所が自らの行事としてこのシンポジウムをやっているのだが、建築部門の先生(だいたいが建築家なのだが)彼らは比較的このシンポジウムを外から冷ややかな目で見ている。というのも建築論といいながら彼らの視点は基本的に歴史であるという認識だからである。歴史で意匠は作れないと言いたげである。このあたりはやや日本と似たような感じがするわけである。
2) 中国とアメリカとイギリスで世界を語るのか?
東南は中国の建築トップ校としての自負から彼らの地位を海外のエリート校との連携を作ることで中国内にその権威を誇示している。そこで彼らは学部教育のトップを海外に送り出し帰国後教授にして連携をつくるのである。この戦略は昔の東大と同じである。辰野金吾がイギリスに送り出されたのは戻ってきて教授にするためであった。
そうして送り込まれたのが、AAである。AAのマークカズンズがその人脈でバートレット、MIT、コロンビア、プリンストンから人をかき集めこうしたシンポジウムを企画して、中国内のクラシック4の教授を呼び、彼らの権威をつくるのである。しかしそうしてできた枠組だからそこには世界的な視点があるわけではない。たまたまそうやってできた英語圏の組織であり、それが大国中国と組んで文化的ヘゲモニーを確立しようと言うことにどうもなっているというわけである。まあそれほど意図的で断固たる意図があるわけでもないが、結果的にはそんな風になってしまっている。
僕としては、なんで建築理論を中国語圏と英語圏だけでやる必然性があるんだ?と疑問に思う。そういうわけでおまけのように日本から、インドから、スイスから人が呼ばれているようだが、たった一人ずつである上、僕らはみな建築家であり現代建築ヒストリアンの論客はいない。意図しているのかどうかは知らないけれどもう少したくさんの人をUK US以外から呼ぶべきである。そうしないと彼らは閉塞した建築議論を続けることになると思われる。
し、しかし、何もしないで指をくわえている日本の建築的状況に比べればよほど彼らのやっていることは素晴らしい。見習わねばと反省することしきりである。
彼らに英語圏と中国語圏で閉塞しているというのなら自分の立場もスペイン語圏で閉塞しているのではと反省せねばなるまい。スペイン語、英語、中国語、アラビア語圏の人を一堂に会することができればなと思う。共通語を英語にすればそれも可能である。そんなチャンスを考えてみたい。

完璧なサポート

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by 卓 坂牛

3日間海外から来たゲストには大学院生が朝から晩まてアテンドする。朝ホテルに迎えてに来て会議でコーヒーが欲しくなったら頼めて、ランチの場所に連れて行ってくれ、薬が欲しくなれば頼めて、ネットが繋がなければ器具を買ってきてくれて、、、、加えてこういう風に写真を撮ってくれる。信じられないサポートである。僕のサポートをしてくれたチンピンは最初に会ったときは、アメリカに留学して帰国後研究職につきたいといっていたが帰るときは僕の研究室のドクターに入りたいと言ってきた。2回のレクチャーで見せた作品が効果的だったのだろうか?何れにしても東南から来るならウエルカムである。

東南大学のプライド

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by 卓 坂牛

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今日はアジア建築センターの開所式ということで一応日本代表としてスピーチをした。いったいアジア建築センターとは何なのか?ここに集まったのはわたしとインドのスニハル、MITのラディ・シーガル以外はみな中国人である。ということは中国建築センターではないのか?と思いたくもなる。中国人の新聞記者にインタビューされたので、そのようなことをやんわりと言った。こんごあなたはこのセンターにどのような貢献をするかと聞かれたので、アジアのアイデンティティーを欧米に訴えるだけではなく、アジアと欧米が何を共有できるのかを考えたいと述べた。またプレゼンではαスペースと題して、いかに建築、都市における公共性が大事かという話をして先日ベレンと見て回った建築を紹介した。これらの建物には実は全てアルファースペースが入っているのである。最後にパインギャラリーを見せて終えたのだが、このレクチャーはとても評判が良く。終わったらみなからとても刺激的で面白い話で勉強になったと言ってきた。MITのラディは主体ではないもの(α)が一番大事なものになるという逆転が素敵であると。リーはスタイルを追っていないところがいいねと言っていた。短時間のスピーチは焦点がはっきりしていることが大事であるということがよくわかった。勉強になった。いい気分で東南大学を後にした。
それにしても、昨日のシンポジウムと言い、今日のアジア建築センターといい東南大学の建築ファカルティは自分たちが中国建築を背負って立つという恐ろしいほどのプライドがある。中国一古い大学という誇りからだろう。東南という大学名の字はなんと王羲之が書いたのだそうだ。

南京の朝

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by 卓 坂牛

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南京の朝はおそらく−4度くらいだろう。6時前だけれどすでに屋台が出ていて食事をしている人々がいる。オートバイや原付が歩道と車道を無茶苦茶に走る。自転車道が整備されていないけれど公共自転車があるのには驚いた。それなりに世界標準へ近づこうとしている。東京みたいである。
SOMのスカイスクレーバーが屹立している。
中国風のミドルライズは中国のトップエリート校である南京大学。昨日ここの学生が僕の研究室の研究生になりたいと日本語で言いに来たのには驚いた。
朝朝食をリーシンチャオととっていると僕のhouse houseの黒に興味があるという。いろいろ話しているとマークウィグリーはホワイトネスという本を書いているので読んで見たらと言われた。面白そうである。

タフなシンポジウム

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by 卓 坂牛

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写真手前からマーク・キャンベル(us)、ビアトリス・コロミーナ(us)、マーク・ウィグリー(
us)、ワンシュー(中)、クリスチャン•スミ(スイス)、スネハル・シャー(インド)
東南大学でやるこの建築理論シンポジウムはなかなかタフである。というのも出席者はビアトリス・コロミーナ、マーク・ウィグリーをはじめほとんどが理論家か歴史家で。彼らの操る言語やそのレトリックは建築家のぼくらとはその文脈が異なる。建築家で出席しているスイス人のクリスチャンと僕らとてもアウエィだねとその悲哀をシェアしている。その上他言語なので頭が痛い。こんなことならいっそうこういう場所に来るのをやめるか、一生このハンディキャップを負いながらくらいつくか???やめるのは簡単だけれどそれでは面白くない。ぼくのポリシーとして建築はこういうところから成り立っていると思いたい。だからくらいつくしかない。
しかし、愚痴のようになってしまうが、、ここ中国で日本人は僕一人。大勢の中国人と大勢のアメリカ人と大勢のイギリス人でこのシンポジウムの議論の骨格が作られてしまっている。日本の僕の話を彼らはとても興味深く聞くものの、やはり舞台は中国である。どうしてそういう枠組みにアジアでは日本人だけがしかも一人だけ呼ばれるのかがやや意味不明(インド人のスネハルは明日の会議のために来ており今日はオブザーバーなのである)。
これをもっとグローバルな枠組みで行い、かつグローバルな同時通訳がつけばだいぶ違う。ワンシューは中国語で話し通訳付きでやっているから楽である。羨ましい。つまりは日本でこういう会議を開くのが手っ取り早いわけなのだが、、、

上海坂本展

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by 卓 坂牛

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10時のANAで上海。迎えの車で現代美術館に坂本先生の展覧会を見に行く。美術館で東南大学の准教授に就任した郭さんとお会いする。食事をしてから展覧会を拝見する。去年はここで篠原先生の展覧会があったがそれに勝るとも劣らない素晴らしもの。未だ着工していないこの美術館に完成予定の図書館の模型が素晴らしい。この写真はオープンな閉架書庫。ぜひ完成したものを見てみたい。代田の町家の原寸のモックアップは素晴らしい。坂本建築はスケールにある。このモックアップで空間を味わってほしい。代田の町家のコートには入ったことがなかった気がするがモックアップだと入れる。日曜日ということもあるのだろうが見に来ている人が多いのには驚く。
見終わって6時の新幹線で南京に移動。夕食でビアトリス・コロミーナやマーク・ウィグリーらにお会いする。明日が楽しみである。

作られつつ生まれつつ

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by 卓 坂牛

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前田愛『近代読者の成立』岩波1993を読んでいたらいつの間にか朝だった。観衆、聴衆、読者はどれもキノコのように生えてきたのではない。作られつつ生まれつつなのである。