滋賀県立大学の卒論を聞く
滋賀県立大学に呼ばれて卒論の審査。さすが内井照蔵が設立に奔走して、作った人間科学部。卒論がヴァラエティに富んでいて楽しい。苔があったりゲルノート・ベーメがあったり。その上13人の先生が投票して最優秀賞を決めるというのも面白い。それもかなり本格的で5名程度を選んでからパネルで再度プレンゼンをさせて再度投票。残ったのは全て女性。最優秀賞は苔の研究。全てが論理的で納得いくそして面白い結論にたどり着いているわけではないけれど、着眼点の多様さは校風ということだろう。
中曽根
中曽根が首相だったのは僕が大学生のころ。30年以上前のことである。そんな人の話が今ころ中公新書『中曽根康弘 -「大統領的首相」の軌跡』2015になった。戦後の首相として取り上げられるに値する首相のひとりであることは間違いないだろう。その当時は知らなかったが、田中がロッキードで情勢不利になった時に宿敵中曽根は田中に(田中の秘書の佐藤に)便箋10枚を綴り辞任を迫っていた。しかしそれを読んだ秘書の佐藤はこれは田中に見せたところで拒否するだろうと言ってやはり便箋10枚に拒否の内容をしたためた。しかし驚くべきはこの書簡は封を開けたまま佐藤に渡されていた。拒否されることは予想されていたようである。政治の世界とはかくのごとき。
東京の不連続
朝から理科大入試の試験監督。今日は薬学部である。4時すぎに終わり、六本木での甥っ子のライブの前に時間があるので青山ブックセンターで本を探す。3月のウィーンでのワークショップで東京とウィーンをテーマにする。主として東京の街中コンテクストの中での不連続に注目したい。ここで街がガラッと変わるという場所を探し、その場所にその差を強く意識させる装置としての建築をデザインせよということを考えたい。できることならウィーンでそういう場所を発見したい。エルンストはこれと逆のことをやった。つまり都市のスムーズな流れを壊す、壊れている場所を見つけてそれを繋げよというWSをやったのだが、僕はその逆に興味がある。都市の中で人々が不連続と感じる傷口をさらにこじ開けたい。そうすることで人々が否応なしにその場所に覚醒して都市を感じるからである。そんな傷口を示す写真や文章や詩や絵を探した。適切と思うものは少なかったが、高校の先輩である都築響一がtokyo styleの次にだした『東京右半分』や、やはり付属の先輩である越沢明が書いた『東京都市計画物語』などが目を引いた。それ以外にも成実弘至、なぎら健壱、皆川明のカーサブルータスの特集などを買い込んだ。一気に来週読もう。
STEWART LAB. IN OFDA
毎年だいたい春節の頃にスチュワート研の新年会をやるのだが、毎年シンガポール鹿島にいる岩下と北大小沢のスケジュールに辺見、藤田、坂牛そして先生が合わせる。そして二転三転して今日に決まり引っ越したばかりのOFDAでやることになり、料理は持ち寄り。辺見が辺見お手製のコールドチキンと鎌倉とれたての鯛のカルバッチョ。藤田がイタリアハムとバゲットに冬にしかないという金の山チーズ。小沢は北海道スイーツ。名前忘れたけれど美味しかった。岩下はシンガポールの燻製。出し忘れた。そしてスチュワート夫妻はキッシュとサラダ。僕は飲み物。チリのマルベックにスペインのソヴィニヨン。デザートはトップスのチョコレートケーキ。コーヒーと中国茶。このコースは外で食べると1万は固いね。各自スライドを持ち寄り酒の肴に。藤田は毎冬シーランチに行っているという話にびっくり。ではこれからスチュワート研の合宿をシーランチでやりますか。
最終的には安倍批判
朝日新聞経済部編『老人地獄』文春新書2015を読むと老後の沙汰は金次第という最終章のタイトルがしみじみと伝わるのだが、現場の実態を映像のように描写されると身につまされる。日本にはすでに福祉という言葉は消え失せたのか?消費税率のアップは本来こういうところに使われるためのものではないのか。しかしもっと問題だと思うのは日本はこれでも福祉予算の中で老人に使われている予算比率は子供のそれに比べて高いのである。老人してにこれなのだから子供の状況はもっとひどい。一体今の政治はこういうところに回すべき金を集団的自衛権に持って行こうとしている。いやすでにしているし、そのための法制化を着実にしようとしているのである。知性の欠片も感じない首相のいる国に住むことが恥ずかしい。
ゲストクリティークの帰りに敷地に行こう
新しいコンペの最初のミーティングをした。まずは過去の事例を見てみることに。こんな施設は滅多にないだろうなんて思うと結構あるもんだ。そしてなかなかの名作もある。しかし機能からヴァリエーションが生まれるタイプの建物ではなく、敷地が形状を大きく左右する建物である。
そこで敷地であるが、来週滋賀県立大学に二日に渡るクリティークに御呼ばれしているのでその帰りに見てこようと思う。どうも敷地を見ないことにはさっぱり分からんというのが今回のコンペの特徴かも。
奇跡の納まり
コンペが終わった次の日は出張から帰ってきた次の日のようである。一日中、溜まった雑務に追われる。返していなかったメールに返信、放っておいたあれこれの処理、忘れていてリマインダーが来た結構大事なお仕事などなど。そして12月のワークショップのブックレット作って、ポートフォリオの編集して、それで3月のウィーンでのワークショップに向けてエルンストと調整して、そのためのレクチャーのパワポ二つ作らねばならぬ。僕も助手もくらくらするような仕事量。それでいて次のコンペの参加登録してしまった。ほとんどマゾ。
というわけで最近のちょっとした楽しみは新しく買った電化製品などがOFDA2Aのいろいろなところにキレイに納まるのを見たりすること。この冷蔵庫の納まりもほとんど奇跡的。
10代の心と体
昨日は人を(作品)を評価して賞を与える側に居た。著者が数年かけた思いが結実した著書を読み込んでそこに見える価値と思われるものを抉り出して評価する。大変なことである。
今日は逆にコンペの提出日。数年はかけていないので昨日の著者ほどの血と汗と涙がこもっているとは言えないけれど、ここ1ヶ月燃焼させたエネルギーを評価してもらう作品の提出日である。去年の12月に事務所を引越し宮晶子さんと事務所をシェアして早速一緒にコンペをやろうということになった。もちろんどこの誰かも知らない人とコンペなどできるわけもないが、すでに理科大で非常勤をしてもらったこともあるし、台湾に建築を一緒に見に行ったこともあるし、その建築観を共有する部分があることは分かっている。そしてそういう他者と仕事をすることは僕の常々思っている仕事の仕方なのである。そして佐川君が入りこの3人の力に加え研究室の中川、宮前、大村、増田、長谷川、平野素晴らしい活躍。出してしまったものには常に後悔が付きまとい、そしてそうではなかったかもしれない未来が妄想となって脳裏をよぎる。毎度のことである。それは建築だけではなく著作でもそうである。八束はじめがそういうことをある本のあとがきに書いていた。八束さんほどではないけれど私にも同様な感覚は生まれてくる。
朝最終のプレボに宮さんと私で赤を入れて佐河君に後を託し、宮さんも私も大学へ向かう。入試の監督である。国語の問題では好井裕明『違和感から始まる社会学 日常性のフィールドワークへの招待』の一部が使われており、日常性と向き合うことにおいて他者への眼差しの重要性が書かれていた。他者と向き合うことが日常を感じ取ることなのだと改めて思いコンペの意味を再確認したわけである。
午後の英語の試験を終えて生徒たちは今日の入試が終わった。朝はいささか緊張気味だった表情も緩み、弛緩、脱力、あるものは満足げ、あるものはちょっぴり後悔も混じった表情を見せていた。生徒たちは一年あるいは数年の努力をここに結実させてその評価を大学に委ねるわけである。良くも悪しくもこれが子供たちの成長の一過程である。しかしそれを評価するぼくたちもついさっきコンペを出してその評価を先輩後輩建築家に委ねるのである。その構図は全く同じである。僕は今事務所に戻りひとり女性ボーカルの音楽を聞きながら少々脱力、弛緩しながら掃除して、コンペの垢を物理的にも精神的にも拭き取りそしてこの文章を書いている。
ああ50過ぎても10代の生徒たちとその人生を通過していくその仕方は変わらない。10代の心と体(?)がある限りこのプロセスは続く。