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Mar 2016

アンリアレイジ秋冬コレクション

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by 卓 坂牛

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長期出張前は毎度のことだがto do listが終わらせる量より増える量の方が多くなりパンクして成田を出ることになる。今回もそのような気がする。先日西谷さんがフェイスブックにあげていたので注目していたアンリアレイジのパリコレライブは結局放映されなかった(のか見られなかった)。その代わり(?)その次の日に事務所に秋冬コレクションの展示会の案内が来た。3月末なのでバルセロナ出張が延びれば行ける。相変わらず錯視を駆使したデザインのようだし、案内状も上の塩ビを動かすと字が動く。

4月からの研究室運営を考える

On
by 卓 坂牛

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来年度の研究室運営を考える。今年度は留年、留学の院生が多くM2、12名、M1、6名、4年2部16名、1部3名 計37名。おそらく学科の中では最も大きな所帯であろう。人数が多ければ多様性もありそれはそれで楽しい。完全なる社会人が2名、留学生が2名、他大の学部から来た院性が4名である。
まずは役割分担を考える、来年も富士吉田、茨城との共同研究は続き、トークイン、新宿アートは継続する。輪読、1時間設計の担当も考える。
次にゼミの進め方、今年から院生の進め方について抜本的な改革をすることを考えている。もっときちんと設計を考えるゼミにする。そのために、M1は2年前期で論文を終わらすようにスケジュールを組む。M2は10月で論文を終わらす。加えて11月以降のゼミでは毎回必ず模型を持ってくるようにする。それは小さいものでいい。大室くんの作った川崎長太郎小屋の模型の大きさでいい。とにかく建築を持ってくること。概念と形は常に並走するようにする。さらに11月からはOBも呼んでエスキスチェックを行う。それによって先輩後輩の繋がり、就職のアドバイス等もでき一席二鳥と考えている。
さて輪読だが前期は以下の本を読むことにする。
1デザイン 坂牛卓 他 建築プレゼンのグラフィックデザイン 2015 鹿島出版会
2芸術 椹木野衣 後美術論 2015 美術出版社
3音楽 渡辺裕 聴衆の誕生-ポストモダン時代の音楽文化 1989 春秋社
4経済学 宇沢弘文、内橋克人 始まっている未来-新しい経済学は可能か2009 岩波書
5経済学 水尾和夫 資本主義の終焉と歴史の危機 2014 集英社新書
6経済学 宇沢弘文 社会的共通資本 2000 岩波新書
7社会学 ジグムント・バウマン リキッド化する世界の文化論 2014 青土社
8社会学 見田宗介 現代社会の理論 1996岩波新書
9、10建築 エイドリアンフォーティー 言葉と建築 2006 鹿島出版会
11建築 山崎亮 ソーシャルデザインアトラス 2012 鹿島出版会
12、13 建築 エイドリアンフォーティー メディアとしてのコンクリート 2016 鹿島出版会
手前味噌だけれど、どれも基礎的な本である。

新世界の生き返り

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by 卓 坂牛

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富士吉田市に新世界通りというかつて栄えた飲屋街がある。数十軒が軒を並べる。繊維産業がピークを迎えた頃にこの辺りは繊維で儲けた人々の歓楽街であった。それが産業の衰退とともに、テナントがすべて抜け壊す寸前だったところを貯金箱財団がオーナーにお願いして待ったをかけて再生に乗り出した。現在三軒。この後6軒を改修するが、そのお手伝いを来年度する予定である。今改修し終わった建物は木の骨を残して簡素なおにぎり屋さんとなっている。店内に苔を生やすなんて土間の家である。

消費と情報の転回

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by 卓 坂牛

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東京からバスをチャーターして富士吉田に向かう。製氷工場コンヴァージョンのお披露目その1である。貯金箱財団(クライアント)の理事長である斎藤さんと僕の都合のつく日がここしかなく、火曜日に行うことになった。多くの着たい人が来られなくて残念なのでまた外構が出来た頃にいろいろとお招きしたいと思っている。さてそれはさておき、こういう改修工事を行うことの意義を再度考えてみる。もちろん勿体無いし、お金も無いしだからコンヴァージョンだというのは半ば必然的な流れである。しかしもう少し突っ込んで考えてみると、資本主義が有限の需要と無限の供給可能性という自己矛盾を孕みそれが恐慌と戦争を必然としてきた。しかしこれに対して、消費力をあげ、情報操作によって消費欲望を掻き立てることでこの有限需要を無限に拡大することでこの資本主義の矛盾は解消されたかに見えた。これが80年代後半のバブル経済だったと言える。しかしそれもつかの間バブル崩壊とともにこの消費と情報に疑問が提示された。しかし見田宗介は『現代社会の理論—情報化・消費社会の現在と未来』1996岩波新書で書いている。消費と情報は人間の自由の本能として必然でありこれを除去することはでき無い。しかしその方向性を転回することは可能であると述べている。
消費と情報が人間本能の必然であるという指摘がここではとても重要である。我々はともすればこの要素をモダニズムが産み出した悪弊であるとして無視しようとする。しかしそうでは無いという見田の指摘は卓見であろう。しかしさらに重要なのは今までの物質的な消費ではなく、単に消費を誘導する情報(差異化)を乗り超えたところに我々が豊かになれる真の自由があるはずだという見田の洞察である。
つまり金がなくて勿体無いからという受け身の理由で工場をコンヴァージョンしているのでは無いのである。むしろ積極的に、物質的な消費である新築の建物を作るより古い建物を継承するほうがはるかに精神的で、土着的で、地元の人々の記憶が刻まれた建築が生まれると考えるべきなのである。さらに一見昔の建物と建物自体は変わりのないように見え(差異化がないように見えて)建物の随所に建物を貫く穴があきそこから見える風景が建物を違うものに見せているのである。これは今までの建物自体の情報ではなく建物に絡む周囲の情報を取り込むことで建物が変化するという新たな情報(デザイン)の扱い方なのだと思う。
21世紀においても消費と情報は消えない。しかし転回するという見田の指摘をどのように咀嚼して建築のデザインに展開するか。今年の課題であもある。