Archive

Jun 2016

高橋てい一さんの思い出を語り合う会

On
by 卓 坂牛

FullSizeRender-16%E5%86%85%E7%94%B0%E7%A5%A5%E5%93%89.jpg
高橋てい一先生がお亡くなりになり「思い出を語り合う会」が国際文化会館にて行われた。会議があり中座したのだがかなり多くの方が来られた。代表発起人の内田祥哉先生が碁の話をした。とても心温まる話だった。僕は上越トークインに参加するようになってから交流を持つようになったのでそれほど長くお話しをする機会があったわけではないが、実に分け隔てのない人だった。司会の木下さんもそう言っていたし、献杯の発声をした池田先生もそう言っていた。大事なことだと思う。
内田先生それにしてもお元気。

ジャズを聴く犬

On
by 卓 坂牛

FullSizeRender-14%E7%8A%AC%E7%8A%AC%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%BA.jpg
久しぶりに古巣日建の先輩後輩と夕食。バルサ、ドバイ、シンガポールの話を聞く。世界はぐるぐる動いている。さっきまでグローバリゼーションの文章を書きながら現代の資本の偏在に疑問を持っていたのだが、彼らにはそんな悩みのかけらもないのがちょっと問題でもある。60メートルのキャンチレバーを浮かす楽しさはわからないではないがそれってアクロバット以上の意味があるのか??
今日は1時間ずつ4軒いろいろと歩き回り(スペインのバール巡りのようである)最後の店はジャズが聴ける。そこに犬が3匹もいた。音楽が始まると2匹は眠ったように聞くのだが、3匹目のおばあさんは我関せずである。

建築の理解

On
by 卓 坂牛

image.jpeg
image.jpeg
Juhani Pallasmaa: フィンランドの大御所の新作「Understanding Architecture (2012)」が届いた。辺見さんお勧め本ということだがビギナー向けに見える。世界の建築を 11分類。その切り口がちょっとユニーク。時間、物質、重力、光、沈黙、住、室、儀式、記憶、風景、場所である。今般建築固有の問題のみで建築を語る本は痛快である。

せっかち?

On
by 卓 坂牛

image.jpeg
月曜日の講義は21:10に終わる。この時間金町までの理科大通りは学生が多い。神楽から工学部全てが多い移動したことも理由の一つである。歩きながら思うのだが、狭い歩道に広がってゆっくり歩くのはちょっと迷惑。早く帰りたいこっちがせっかちと思わなくもないが、とにかく遅い。学生時代ってそんなに暇だったか?

軽井沢の二つの建物

On
by 卓 坂牛

image.jpg
image.jpg
13495060_1032790986812598_2989388274709603327_n.jpg
IMG_0475.jpg
IMG_0423.jpg
軽井沢に10 年前設計した別荘がある。そのクライアントの友人が設計を数年前に依頼してくれて昨年竣工。お二人にお招き頂き、週末は軽井沢の2つの自作で過ごさせて頂いた。10年前の建物は新品同様。大事につかっていただいている。新しい建物はやっと植栽が終わり落ち着いてきた。クライアントは室内にかける絵を若手の作家に頼み出来た絵は建物それ自体となった。
付属の同級生下級生が夫婦で10人集まり楽しい一夜でした。皆様ありがとうございます。

フード左翼

On
by 卓 坂牛

image.jpeg
岸さんが先週のゼミで言っていた速水健朗『フード左翼とフード右翼ー食で分断される日本人』朝日選書2013を読んで納得。私の知り合いの活動家(60を超えた素敵な主婦ですが)は決してジャンクフードは食べない。有機野菜に自然食である。衣食住全てがsocial changeのベクトルを持っているのである。
しかるに、、私の父は政治的には極左だが別になんでも食べる。むしろ選り好みは思想に反する(好き嫌いはあるが)。というわけで、この本の適用範囲は60代までのようである。

二つのナショナリズム

On
by 卓 坂牛

image.jpeg
出先から東京駅の丸善に寄る。小一時間、新刊とナショナリズム本を渉猟。ナショナリズムは今二稿を書いているグローバリズムに深く関係しているからである。特に僕が第一次グローバリズムと呼ぶ二十世紀初頭においては帝国主義が国家としてのまとまりを作るために半ば必然的にナショナリズムを招来した。一方、建築を、始めとする文化的モダニズムはインターナショナルなスタイルを生み、世界に広がった。こうした文化的帝国主義に対して、侵略された方はこれも半ば反射的にナショナリズムの殻を被って抵抗したのである。拡大という行為はする方も受ける方もナショナリズムを纏うというのが私の勝手な仮説である。
そんな仮説に対する正解が載っていそうな本があったので早速夕飯をとりながら読み始める。

今日は一日赤

On
by 卓 坂牛

syuuseisyuusei%20FullSizeRender%20%281%29.jpg
作品集の白黒色校が全然ダメで修正版を3つもらったがそれもダメで今週頭にコントラスト、ブライトネスを変化させた白黒、カラーの色校をもらいやっとターゲットに近づいた。それとは別にこちらで見つけた修正をいれたデーターを出版社には送って手元の最新データーのモックアップに赤を入れ出したら止まらない。赤入れの苦手な僕でもわかるようなオブビアスな間違いが次から次へと見つかるのには参った。
赤入れを終えて今度は午後届いた編集者に赤を入れていただいた原稿の書き直しを始めた。言われてみればわかりにくい、証拠不明、展開が弱いなどなど頭が下がる。
今日は一日赤である。

孔の次

On
by 卓 坂牛

IMG_1718%20%281%29.JPG
石川義正『錯乱の日本文学建築/小説をめざして』航思社2016を編集者の勧めで読んでいる。初出は『早稲田文学』2008年から2013年までに掲載されたものである。タイトルにある建築/小説とは建築のような無料ではない記号(これを著者は形象とよ呼ぶ)を内包する小説のことのようだ。つまり著者の仮説は建築と小説がある時代の空気しかも金が絡む空気を共有せざるを得ないということであり、そのことが一番わかりやすいのは(僕にとって)村上春樹、伊藤豊雄、柄谷行人が共有する形象である。
伊藤の閉じたホワイトUが開いたシルバーハットに変貌する姿と、村上の小説がデタッチメントから始まり孔を主題化していく変化、柄谷の『隠喩としての建築』におけるシステムの自律性とその不可能性、に形象の共通性を見出している。ちょうどその頃僕はやはり村上を引用し、デタッチメントからコミットメントへという論考を記しており、切り離されるのではなくつながることを目指そうとしていた。
しかし問題はこの次である。開けた孔は開けっ放しでいいのだろうか。その孔からなんでもかんでも入ってきていいのだろうか?孔を通過するものを正確にコントロールすることが重要なのだと思う。

女性もの

On
by 卓 坂牛

image.jpeg
大学からの帰りに同僚の先生に「鞄かえた」と言われ、電車に乗ったら、非常勤講師の皆々様に会い、また鞄の話しとなる。褒められているのかどうかは定かではないが、特徴的であるようだ。特に縁のディテールは特筆に値するとのこと。これ配偶者へのプレゼント。だいたい鞄でも靴でも、服でさえも女性用の方がいいデザインが多い。