ウィーン工科大学(TU)の学生数は約3万人。教員数は約1800人。教員一人当たり学生数は17人。建築だけで見ると学生数は7250人。教授48人助手182人(非常勤は含まず)で教員(助手を含み)一人当たりの学生数は31人である。一方理科大は学生数約2万人教員数は約720人。教員一人当たりの学生数は27人である。建築では教授、准教授32人、助教、助手22人で教員一人当たりの学生数は27人であり、TU,TUE双方ほぼ同じである。
TUの建築学科の分類を細かに見ると
⚫️歴史 Institute of History of Art, Building Archaeology and Restoration
教授7人助手16人
⚫️デザイン Institute of Architecture and Design
教授17人助手65人
⚫️科学 Institute of Architectural Sciences
教授4人助手30人
⚫️都市デザイン Institute of Urban Design and Landscape Architecture
教授5人助手20にん
⚫️芸術とデザイン Institute of Art and Design
教授3人助手17人
⚫️空間デザイン Department of Spatial Planning
教授11人助手32人
⚫️コンピューター Computer Laboratory of the Faculty of Architecture and Planning
教授1人助手2人
ワークショップを終えて、そこで見聞きしたことからするとウィーン工科大学は学生が多くて先生が少ない。とそんな印象を持ったのだが、データーを正確に見ると理科大並で、生徒が多いぶん教員も多く研究分野の細分化がしやすいようである。それにしてもん入試がないので学生が多く、施設のクォリティを挙げきれないようである。
二日目の1日エスキスも終わる。ムフが見ている部屋を覗くと東京に来ていたチームの数名が仕事をしていた。このスタジオは学年がいろいろだからというのもあるのだろうが、進捗も能力もいろいろである。ドローイングまで含めて終わっているかなり優秀なチームもあれば、昨日から始めたのかい?という体のメンバーもいる。教員人も半ば呆れているが、まあ最終プレゼンは2週間後だからこれでもいいのかもしれ無い。僕としては前回見たものからのデヴェロップメントを期待しているのだが、、明日のプレプレゼンに期待しよう。
今晩は前回見られなかったオペラに行く。演目はリヒャルト・シュトラウスのバラの騎士。舞台はマリアテレジア治世かのウィーン。上演時間は3時間20分6時半に始まり幕間の休憩がはいるので終わったら10時半である。こんな長いオペラ見たのは初めてだった。
朝5キロほど近所の公園を歩いたり走ったりしたらさすがに腹が減って、7時半に始まるスーパーに一番で入ってこんなに買ってしまった。
ネクタリン(1箱)
イチゴ(1箱)
パン(2個)
カマンベールチーズ(1ラウンド)
ソーセージ(2本)
ミックス野菜(1袋)
ルッコラ(1袋)
インスタントコーヒー(10袋)
ドレッシング(1瓶)
ヨーグルト(2カップ)
ポテトチップス(1袋)
しめて17ユーロ(約2000円)
日本でこれだけ買うと
おそらく3000円かな?
うちの近くなら3500円?
食べ物は安い。
朝やっとコントラクトにサイン。これで終わりでしょうね、、、サインしてからスタジオに。今日明日はin-between スタジオのさらなるエスキスチェック。明後日プレファイナルプレゼンテーションを行う。午前中は複数の学生と一緒に彼らが敷地としているワーグナーの設計した地下鉄液を3つほど見る。
1時にエルンストとヴィンター教授、谷さん、日墺科学交流センターのイリスと昼をとり学術交流の話をする。さてどうまとめ得るものか?
午後さらにエスキスを続行。終わったら7時。プレゼンがとてもうまい子もいれば、うまいけれども内容が無い子もいれば、いろいろである。こちらは日が長いので気がつくと時刻はかなり遅い。
カタール深夜特急でドーハ経由ウィーンにお昼着。自由に使える時間は今日しかないので、ウィーン工科大学の博士課程にいて付属の後輩でもある谷さんに連れられ、あっちこっちの木造建築を見て回る。来年再来年にウィーン工科大学と理科大で共同研究をしようと計画し、学振に応募するための作戦会議もついでに行なう。ウィーンは梅雨もなく6月は最高の季節という感じである。湿気もなく快晴。ちょっと時差ぼけの頭だがフルに稼働してだいぶ話は煮詰まったのか?そうでもないのか?とにかく先ずは谷さんにたたき台を作ってもらうことにする。
前回はゼッッセションのそばの四つ星ホテルだったので今回はドナウ運河そばのアパートメント。いやはや全然こっちの方がいいや。
深夜12:15分前の羽田空港国際線ターミナルの写真である。全ての飲食店は回転しているし、大量の人たちが動いている。ということはこの時間でも飛行機は飛んでいる。僕の飛行機は0時半発だが、1時台、2時台、3時台、4時台、5時台と全て飛んでいる。
いつからこの空港は不夜城となったの?知らなかった。
午前中昨日からの読みかけの本を読み終え、ジムに行って泳いでから事務所で小西とグラフィック本の翻訳打ち合わせ。何を打ち合わせているかというと、僕の論旨の甘いところを突かれそれを釈明しているというのが実態である。しかしこうして論理がより正確になっていくのはありがたいことである。夕方荻窪に高橋堅さんの住宅オープンハウスを見に行く。ファサードに窓が一つもないのが高橋さんらしい。
四谷では昨日今日と須賀神社のお祭りで、街には法被姿の老若男女が歩いている。ここに引っ越してからはや10年。この法被をいつも羨ましく思いながら眺めている。四谷の新宿通り沿いはそんな祭りに似つかわしい和風のお店がいろいろある。着物屋、三味線屋、和風道具屋など。暖簾が大きくゆらゆらしていて素敵である。
ハワード・S・ベッカーは著書『アート・ワールド(Art Worlds)』後藤将之 訳、慶應義塾大学出版会2016(1982)においてアーサー・ダントーの有名な論考The Artworld(1964)によってある程度概念的に定義付けられたこの言葉を発展的に具体的に論理化した(ある人は無視したとも言う)。
一言で言えばアートがアートたり得るのはアートを生み出す様々な関係者がそれをそう考える時にそうなると言うことであり、そうした関係者が作り上げる場をアート・ワールドというのである。このワールドというのはどこかで聞いたことがあると思ってこの本をくくるとその答えは著者自ら25周年版へのエピローグという章を設けて対談形式で述べている。そこにはピエール・ブルデューの「場」が提示され彼のいう「場」と自らが示す「世界」との差を問題にしている。しかし二つの概念は同根である。つまりこの時代に二人の社会学者がアメリカとパリで類似した思考をしていたということである。僕はこの手の論考が大好きなのだが、それはその昔学兄である小田部胤久氏に言われた「美は作られたもの」という言葉を信じているからである。
さてこの30年以上前に書かれた本にはすでにしる社会構築論的な常識以上のことが顕著に見られる訳ではないが、具体的な説明になる程思わせることがいくつかある。その一つはアートワールド周辺にウロウロしているアーティストの類型である。彼は4つの類型をあげている。
1) 統合された職業人
2) 一匹狼
3) フォーク・アーティスト
4) ナイーブ・アーティスト
この分類が現代の建築界にそのまま当てはまりそうなので面白い。
1) 統合されたプロの建築家たち(日建設計など)
彼らは一般的な社会通念とそれを受け入れる幅広い常識人の支援のもとに確実な技術を駆使してプロフェッショナルな建築を作る。しかし得てして既存のアーキテクチャーワールドの中でしか建築を作らないので凡庸に陥りやすい。
2) 強い自我を持った建築家
彼らは建築をそれこそアートと勘違いして、それを受け入れるワールドなど無視して自らがそのワールドを作る勢いで創作する。まさに創作をする建築家である。ニューワールドが作れれば持続するがそうじゃない場合は自滅することも多い。
3) ソーシャルアーキテクト
地場の力を信じて一歩ずれると民芸調になるギリギリのところで既存のアーキテクチャーワールドにつながりながら、建築家なしの建築を標榜しながら建築家としてのアイデンティティを維持している建築家たち。しかし基本的には資本主義社会のコマになることを拒否しているのでプロフェッショナルとしての職能の維持が困難となり自滅するケースも多い。
4) 上手下手あるあるアーキテクト
2)3)同様に統合されたプロの建築家のつまらなさを逸脱しようとしてナイーブであることを装って上手下手に走る。この手法はプロの専門性が鼻に付く一部クライアント筋に受ける場合もあるが、プロはプロとしての力量を要求するのが社会であり、ニーズは多くなくいつまでもやっていると自滅する。
プロフェッショナル建築ワールド、一匹狼建築ワールド、ソーシャル建築ワールド、上手下手建築ワールド、がここにはあるが、しかしベッカーから30年経った今果たしてニューワールドはないのかと思わざるを得ない。つまりプロフェッショナルでフォークでナイーブな一匹狼である。