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Jul 2016

建築批評

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by 卓 坂牛

とある有名な外国の美術館キュレーターの方とお会いしてお話した。その美術館では来年日本の建築展覧会を行うので情報収集しているとのことであった。
そこで制作論としてArchitecture as Frame and Reframeの話を最近できた作品集をもとにした。次に、受容論としての建築の規則、建築の条件の話をした。彼女はこの受容論に大変興味を示してくれた、日本には建築の理論がなく、建築チーフキュレーターに日本の建築理論にはこういうものがあると勧められるものが無いと言っていた。その中では大変興味深いという話をいただき嬉しく思った。こういうことを言われたのは2度目である。おそらく日本にも建築理論はあるのかもしれ無いが、発信されていないのである。あるいはどんどんプラクティカルになっているのである。でも建築はやはりロジックなのだと思う。だからこういう実践を評価してくれる人がいると本当に救われる。
建築の規則はアブストラクトを英語化できているが、建築の条件についても英語化を前提に書籍化を考えたいところである。

Time flies

On
by 卓 坂牛

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昨晩は友人家族の提案で娘の渡米を祝っていただいた。娘同士が小学校1年生の同級生でそこからのおつきあいである。ぼくは娘が小学校へ入学する少し前に日建をやめ新しい人生をスタートさせたので昨晩はそんな二つの記憶が重なりあって感慨深いものがあった。
娘の友人は財務省で働き始め、娘はNYCに旅立とうとしている。小学生の面影はもはやない。光陰矢の如しである。僕の独立してからの歩みもあっという間で最近できた作品集の30作品のうち29個がその短い時間の中でできたものだった。16年前にできた建築にたまに会うことがあるがもちろんそれらはそのころと変わらない。むしろエイジングしている。そしてさらに数十年すると人間がエイジングしてもしかすると建築の方が若くなっているかもしれない。

モンゴル帝国

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by 卓 坂牛

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第一代皇帝チンギス・カンが1206年に即位し、それから約200年続くモンゴル帝国は歴史、地図を作り世界で最も広い範囲を領土としていたのだが、全く身近な存在ではないのは建築物が残っていないからではなかろうか?帝国読書は神聖ローマ帝国に始まり、モンゴルへ来たさが、地図見れば、神聖ローマ帝国はモンゴルの10分の1くらいである。それだけ統治の仕方が緩かったのだろうと想像もできる。

松の支え

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by 卓 坂牛

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Pine Galleryの松の木がやや不安定なのでサポートが欲しいとクライアントから電話があり、素敵なサポートを考えて欲しいと言われた。さて素敵なサポートというのは???おそらくサポートなるものは本来はない方がいいのだろうから見えないサポートにしたいと思い。幹の高さ1.5mくらいのところに幹を保護しながらリングをはめて(黒っぽい金属で、できればリン酸処理した亜鉛メッキの輪がいいが)それにワイヤーを(これも黒っぽいのもがいいのだが)数十本つけて周囲の土にアンカーする。基礎がいるかどうかはこれから検討。絵ではわかりやすく白く書いてあるが、これがワイヤーか細い鉄筋くらいなら消えないだろうか?

緑本完成

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by 卓 坂牛

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最初の作品集『フレームとしての建築』を6年前に出版した。6年経ちその間に10以上の建物が竣工し、フレームの一部をリフレームするという考え方が芽生、そんな建築が増えてきた。それを一度まとめておこうと思いたった。やっとできた。嬉しい!!!前回のは黄色本、今回は緑本。もうすぐアマゾンに登場します。値段は税込2、970円。
Preface to revised and enlarged Edition
Architecture as Frame and Reframe
This book, “Architecture as Frame and Reframe”, is the revised and enlarged
edition of “Architecture as Frame” published in 2010. The book contains 30 of
my works. 9 works including the works done when I was at Nikken Sekkei Ltd.,
those not have been built, competition proposals, and interior designs have been
dropped from the previous edition. Instead, 12 new works that were completed
between 2011 and 2016 have been added.
At the time the previous version was published, I began to form a fundamental
view on architecture: an impression of a piece of architecture is primarily made
under a strong influence from various elements around it, including plants,
passers-by, or weather outside, and the dwellers or pets inside, and a piece of
architecture is merely an open frame which frames these non-architectural
elements. The idea still hasn’t changed basically, but these days I am thinking that
the architecture itself has more potential.
It is evident in the four private homes and three homes for the abused children I
designed recently. In each building I deliberately designed a space or a structure
that gives strong and distinctive impressions so that the residents get a strong
impact to their senses whenever they pass by. A building as a whole is like a
frame, open to inside and outside, and various elements are interacting. The
space or the structure that stands out, which sits in between the rooms, is isolated
and independent from the other rooms, and acting as the center of gravity and the
spiritual core of the building. If an entire building is a frame, it is re-framing the
frame. Therefore, inside it is a reframed space. The common characteristic of the
reframed space is that it is the space for reflection, while the building itself is a
framed space that indicates openness.
For the time being, my design will be dictated by the consideration of a fine
balances between the potential of architecture itself and the influence of nonarchitectural
elements, and framing and re-framing.
増補改訂版への序
フレーム・リフレームとしての建築
本書Architecture as Frame and Reframe は2010 年に出版したArchitecture as
Frame の増補改訂版である。前書に掲載されていた作品のうち、日建設計時代の
作品、アンビルト、コンペ、インテリア9 作品を除き2010 年以降竣工した12 個
の建物を付加し全部で30 作品を掲載している。
ところで前著「Architecture as Frame」( フレームとしての建築) とは建築におけ
る、建築以外のもの、例えば建築外部の植物、人、空模様、あるいは建築内部のペッ
トや住人達に建築の雰囲気を作る大きな力があるように思い始め建築はそうした
建築以外の物を切り取るフレームのようなものではないかという仮説から上梓し
た本であった。その考えは今でも基本的には変わらないが、最近建築それ自体にも、
もう少し力があるのではないかと思うようになった。というのも最近設計した4
つの住宅や3つの児童養護施設においてどの建物にも部屋と部屋の間にかなり強
い印象を持った性格のはっきりした空間や構造体を挿入し、印象の強弱を作り部
屋の移動時にそれらを強く認識するようにデザインしているのである。建物全体
は内外部に開かれ多様な関係性を持ったフレームのようなものと考えているが、
建物内部の空間と空間の間にはある強い独立性を持った空間やモノを作りそれが
全体を引き締める、あるいは異なる箍(たが)をはめる効果を作ろうとしている。
つまり建築全体がフレームであるならばその中で再度強いフレーミングをしよう
としているのである。その意味でこれはリフレームされた空間と言えるであろう。
これらリフレームされた空間に共通することは建物全体コンセプトである「フレー
ムとしての建築」が外向きであるのに対して、内省的な場と言えるであろう。
これからしばらくは建築以外と建築自体、フレームとリフレームとのデュアルな
力のバランスに建築を載せていきたいと考えている。

イギリス帝国

On
by 卓 坂牛

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帝国に関する読書第二弾は秋田茂『イギリス帝国の歴史−アジアから考える』中公新書2012を富士吉田への道中で読む。かつて世界の陸地の4分の1を占めていたイギリスと言われてもにわかにはピンとこないが確かに、カナダ、オーストラリア、インド、アフリカ南部、そして結構忘れがちなのがアメリカである。アメリカ東部はイギリスの流刑地だったのである。こうしてみるとアフリカ以外は全て訪れたことがあるのだが、果たしてイギリススタイルの建築がこれらの地に建てられていたのだろうか?もちろん本書からはわからないのだが、例えばアメリカのジョージアン様式はイギリスのスタイルに他ならない。カナダ、オーストラリア、インドは???それぞれの国の建築史をおさらいしてみたい。

On
by 卓 坂牛

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ちょっと前まで朝起きてストレッチしながらNHKワールドニュースを見ていたのだが最近はCNNをネットで見ている。9月までは月480円かかるが9月からは無料。また歩いていたり、研究室で周りがうるさいとRadio Americaというアプリを使ってBBC(どういうわけかアメリカのアプリだがイギリスの放送が聴ける)やアメリカのFM曲;ロサンゼルスのkiss fm とかchicago public radioなどを聞いている。本当にこの手のネットラジオは本当のラジオに比べてはるかに鮮明に聞こえるわけで便利である。

ソ連という帝国

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by 卓 坂牛

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帝国に関する読書第一弾は佐藤優『自壊する帝国』新潮文庫2008である。この帝国とはソ連のことであり、しかもソ連が他国に侵略したという意味ではなくソ連という連邦が既に目に見えない宗主国(あえて言えばモスクワ)を中心に、ソ連邦を構成する共和国を属国化したという意味である。佐藤優は外交官ではあったが、7年以上ロシアにおり、とても普通の外交官では踏み込まない危険な一線を飛び越えた人のようである。読み応えがある。さてしかし、属帝国調査の目的は属国の建築が宗主国に同化したかどうかを見極めるためである。残念ながらこの本からはわからない。まずはバルト3国に行ってみるか?

富山

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by 卓 坂牛

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大学の用事で富山へ。信大にいた頃は金沢によく来たが、富山は素通りだった。富山の駅舎がコンペになった時があり、西澤君、ナカジと出したが勝てなかった。駅の東西をつなぐことと、LTEの駅舎をつくることがじょうけんだった。コンペで勝った案の特徴はよくわからなったが駅前は気持ちのいい広場になっていた。LTEにのって一周して街をもいていたらウィーンを思い出した。

三年生の合評会

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by 卓 坂牛

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三年生の製図合評会。ゲストはフェデリコ・レルネル。一昨日来日し今晩ホンコンに行くと言う過密スケジュールの合間に来てもらいレクチャー、クリティクをしてもらった。課題は水元公園の美術館。最終一等賞は比嘉スタジオのアーキペラーゴと題した、水上で動く美術館。比嘉さんの師匠長谷川逸子のコンセプトだね、そう言えば。