美学と政治
ジャック・ランシエール市田良彦他訳『平等の方法』航思社2014、待望の入門書というわけで読んでみたがなかなかどっこい難解である。ランシエールはニコラ・ブリオーの『関係性の美学』を批判した『解放された観客』の著者である。その批判の全貌は星野太君が「ブリオー×ランシエール論争を読む」において説明してくれておりそれはそれでなかなか晦渋だが面白い。ランシエールの批判は少なくともブリオーを利用した「芸術の再政治化」批判だと読める。ランシエールによれば芸術と政治は感性の分有によって成立する本質的には相同的なものであるにもかかわらず、関係性の美学に基づくアートはそれらを無理やり繋げることで芸術の本来持つ力を削ぎ落としてしまっているというのがその主張のようだ。つまり芸術を無理やり政治が発露する社会の中に強引に挿入すること(再政治化)で逆にその力を失っていると言いたげである。その点についてランシエールの思考の裏付けをとりたく読んでみたのがそう簡単に裏は取れない。インタビューにもかかわらず、、、
マインドフルネス
スティーブン・マーフィー重松『スタンフォード大学マインドフルネス教室』講談社2016は昨今のストレス排除法として注目を集めている自己への集中法が記されている。スタンフォードでは実際講義前瞑想で授業理解向上へ効果があることが実証されているそうだ。
そうした自己集中の一つにAuthenticityとう項目がある。これは自分は何かを見極める瞑想である。本当の自分、そして自らが望むものをじっと考えることである。そういう集中を自らちょっと試してみると、今科研の申請書に書いていることが果たして「自分」なのかとやや疑問に思ったりする。自分はやりたくないけれど助成金が降りそうな方向へ考えを曲げているのではないかと疑念を抱く。もちろん自分のやりたいことだけでお金がもらえたらこんな幸せなことはないわけでそれは無理なことだが、ギリギリの線を狙うのがAuthenticityなのだろう。 もう少し考えてみないと。
予算配分
公表されている資料を見ると、私立大学(理科大、早稲田など)の学生一人当たりの予算規模は年間約200万円である、これに対して旧国立大学のそれは約400万(信州大学)、約500万(東工大)、約800万(東大)くらいである。つまり旧国立大学は私立大学の2〜4倍の予算規模を持っている(この時点で国の姿勢に少々疑問をもつが先ずはそれをおいておこう)。
この予算がどのように配分されるかによってその大学の経営方針あるいは重点方針が明確になるのだがそういう指標は公表されている資料からでは正確にはつかめない。しかしたとえば次の事実は理科大の重点方針の遅れを如実に示す。東工大の国際部の事務員の数が72人で理科大のおそらく5倍くらいはいるという事実である。理科大は東工大の倍の学生数がいるから学生一人当たりで考えれば東工大の国際部の事務員は学生一人当たりに換算して理科大の10倍いるのである。予算規模は2.5倍なのに事務員の数は10倍ということは予算配分において理科大は国際推進が過小評価されていることとなる。少々悲しい。
しかしもちろん理科大が国立大学に比して圧倒的に優位な側面もある、潤沢な研究費と図書費などである。つまり理科大の予算配分はおそらく伝統的に研究重視なのである。それはそれで喜ばしいことである。しかし少し見直してみる時期なのかもしれない。特に国際推進については喫緊の課題である。この事務員の数で言えば東工大がクイーンエリザベスなら理科大はゴムボートである。ゴムボートで世界に旅たつのはさすがにしんどい。せめてヨットくらいにはして欲しいものである。
your name.
山道君に勧められて人気映画「君の名は。」を見に行った(「は」の後の句点に注意)。「舞台が四谷なんですよ」という山道君の言葉に惹かれて行ってみた。確かにこれは地元の人でかつ私のようにこの辺りをジョッギングで走り回っていなければわかるまいという場所がいろいろ登場する。レストランミクニの脇を左に曲がり学習院のプールへ行く渡り廊下の上を抜けて中央線を横断する橋のあたりとか、、、、ラストシーンの須賀神社に上る階段の横の白いお家とか、、、、、まあディテールはいいとして東京と飛騨の二つの土地と二人の人と二つの時間を二つの人格が移動する速さが小気味良い。でも一方で話が壮大過ぎるのは僕好みではない。彗星は絵としてはいいが話としては陳腐である。もっと日常の詩学の方が、リアリズムの方がどちらかといえば好みである。予告編でやっていたが、7日間の恋とか30日で消える恋人とか、どうも期間限定で人がワープしてしまう話が多いのは今時の若者好みなのだろう。娘なら普通に読み解く話なのかもしれない。
土曜朝一(8時20分)を見終わって出てきたらこの混み具合!!!
ネパールの街づくり
ネパール地震の瓦礫処理の援助に加え一般ゴミ処理の支援が環境省の公募事業になり手伝って欲しいと頼まれた。頼んだ企業はそれらに加えてネパール市が考えているグリーンカトマンズプログラムを加味しエコシティの建設に乗り出そうと検討中である。グリーンの計画も、廃棄物処理も僕の専門ではない。にもかかわらず僕に声がかかるのは市民参加と市民の意識向上の実績があるからだそうだ。廃棄物処理、エコシティ作りで最も重要なことの一つは市民の参加意識なのである。しかしネパールの人相手に何語でワークショップやるのだろうか?それにいつ行けるかが問題である。空きは年末のワークショップが終わった次の日から正月にかけてしかない。