有限の殻に閉じこもらないこと
ワークショップのための海外トリップはワークショップでほとんどの時間を費やさざるを得なくて何も見る事ができない。一方レクチャー、ミーティングメインの海外は多くの新しいものに触れる時間があり貴重である。アルゼンチン、ブラジル、チリしか知らなかった自分だが、今回ペルー、パラグアイが加わわった。都市で言えば、ブエノスアイレス、バリローチェ、サンチアゴ、リオデジャネイロ、サンパウロ、ブラジリア、ベロオリゾンテにリマ、アスンシオンが加わった。ラテンアメリカの感じ方もだいぶ変わった。一口にラテンアメリカといってもとても広くて、気候も人間も食べ物も社会も文化もそして建築も多様であることを少しずつ知ることとなる。もちろんこのトリップは延々と続く知の拡張の途中経過でしかない。そしてその拡張は死ぬまで終わらない。世界は無限で人間は有限である。たかだか80年くらいで人間の知が及ぶ範囲など人間社会のほんのひとかけらでしかない。しかし人間は有限であることをことさら意識すると有限の殻に閉じこもってしまう恐れがある。有限であることは事実であるが、心の持ちようとしてはそのことから解放された方がリラックして、多くの人やものを受けいれる柔軟性を保持できるのだと思う。無限の人間社会といっても所詮有限の人間が作り上げているのである。でも、だからこそ有限の僕らは想像力で無限を構想する必要があるのだろう。確証なんていらない、想像力で自分の殻から抜け出て無限を構想し続けること、間違っていてもいい、考えることを止めないことがとても重要である。今回のトリップで思ったことはそんなことである。
巨匠ファビエールと会う
⚫構造模型を前に熱弁を振るうファビエラ
⚫ファビエールハウスリビング
⚫ファビエラハウスのプール(冬でこの暑さだからプールは必需品か?)
⚫ファビエラの弟子ミゲルの家名前はhouse in the air
⚫ファビエラの弟子ミゲルの事務所のテーブルはRC
⚫ファビエラデザインのゴルフ練習場
セバスチャンが朝早く僕をパラグアイ川の実験的建築の作成現場に連れて行ってくれた。そこにはパラグアイでソラーノと双璧をなす巨匠ファビエルが私を迎えてくれてた。若手の建築家を束ねてこのフローティングアーキテクチャーの実験をしている姿は清々しい。僕より少し若い二人が国の建築を引っ張っているのだからすごいものである。
パラグアイ川を後にしてファビエルの自宅とその横にある事務所を見て驚いた。事務所は巨大模型が吊るされていてあたかもガウディのごとく構造実験が行われている。ある模型を前に熱弁を振るう姿は感動的である。今年のビエンナーレはソラーノが仕切ったが2014年コールハースがディレクターの時はファビエールが巨大構造模型をベネチアに展示していた。彼の建築は入念な構造への配慮と素人が作れるものという理念でデザインされている、アクロバットに見えるがブリコラージュ的である。事務所のそばに義父の家があり見せてもらったが一つとして新しい材料は使っておらず全てはこれまでの工事現場の余り物で作ったとのことである。
昼食後ファビエールの弟子の家、そして有名なゴルフ練習場の建物を見せてもらう。どれもが荒々しく、アクセシブル(誰でも作れる)な風情である。それにしてもキャンチレバーが好きである。
ヒスパニックの逆襲
今年のヴェニスビエンナーレはチリのアラベナがディレクターを務め、最高賞である金獅子賞はスペインの二人の建築家、パラグアイのソラーノの事務所、ブラジルのパウロ・メンデス・ダ・ロチャの長年の業績に与えられた。特別賞はペルーへ。そして唯一ヒスパニック以外で賞をもらったがのが日本だった。
ラテンアメリカで多くの人と話してみると明らかに彼らは今回のディレクター、賞について喜んでいるとともに、ヒスパニックのある種のつながりの中で賞を総なめにしたことを認めていた。
ヒスパニックの建築に豊かさや可能性を感じて彼らから学ぼうと走りまわっている僕にとっても嬉しい話だが、冷静に考えると3つのことに思いが至る。
1) ヒスパニックの逆襲とでもいうこのムーブメントがどれだけ続くかは謎である。ビエンナーレのような伝統ある美の殿堂がアラベナを選びreport from the frontのようなテーマが結果的にヒスパニックを称揚するのは最初から見えていたと思う。それを承知で開かれた今回のビエンナーレは幕間的様相を呈しているようにも見えなくはない。きらびやかな建築の形合戦に飽きた世界にダーティーリアルを見せつけるのは展覧会の存続作戦としては極めてまっとうな選択だからである。となると次回はまたあっさりとクリーンリアルに戻る可能性はいくらでもあるだろう。
2) 日本の位置はこうやってみると実に面白い。ユーロセントリシズムをヒスパニックによって相対化するのが今回の企みだとするとここには様々な政治的枠組みが見えてくるのだが、日本は言語的に孤立した文化を保持している。アングロサクソンでもヒスパニックでもアラブでもチャイニーズでもない。孤立しているからこそこうして賞の仲間にするっと入り込む余地を常に持っている(提案がよかったことは当然として)。こうなると日本がイージーにグローバライズしないで鎖国的状況を戦略的に保つことも意味あることかもしれない(もちろん今の状況を肯定するという意味ではないのだが)
3) アラベナを見てもソラーノを見ても現場からの報告という意味では極めて社会的メッセージを放っている。しかし僕はレクチャーで建築は単に社会的産物(フレーム)ではダメなのだと主張した。そしてそこに建築固有の強さが含まれていなければならないつまりどこかをリフレームする必要があることを強調した。ディエゴはそのことに強く理解を示してくれたし、そのメッセージはチリの建築家に届いていると言ってくれた。そして思うが、アラベナにしてもソラーノにしても当たり前だが、単なる社会的産物としての建築なんて作っていない。彼らは恐ろしいほど建築の建築たる所以を追い求めている。ここに来てこのことがよくわかった。
パラグアイでレンガを見る
⚫mikiたちの作品
⚫彼らが実験的に作ったアーチ
⚫彼らの先輩であり先生であるソラーノの設計した障害者施設
昨晩深夜アスンシオンにつき流石に旅の疲れがたまり午前中はずっと寝ていた。昼にMiguel(ミキ)が迎えに来てくれて私をパラグアイ料理の店に連れて行きご馳走してくれた。その後彼らの工事中の仕事を二つ。彼らの友人が作り彼らがワークショップなどに使うレンガのアーチを見せてくれた。アーチを3スパンずつ作るシステムには感心する。そして最後に彼らの大学(国立アスンシオン大学)の先輩であり先生であるソラーノの障害者施設を見せてもらった。。ソラーノはウルグアイのディエステ亡き後ラテンアメリカでレンガ使用にこだわる唯一の建築家となっている。彼らが徹底してレンガを使うのは安いからだけではなく、レンガは日干しでもできるわけでコンクリートに比べるとはるかにco2排出量が少ないし地産地消なのである。例えば彼らの作っているアーチのレンガは敷地にある土に10%のセメントを混ぜて日干しで作っているとのこと。
作品集をいただく
今日はホテルに荷物を預けてディエゴの車でヴァルパライソの刑務所の改修を見に行った。帰りはダウンタウンで降ろしてもらいそこからホテルまで10キロくらいをのんびりと歩いてみた。旧市街から新市街までの街の変化がつかめた気がする。ホテルに着くと昨日のレクチャーに来られていた彫刻家のイグナシオ・バルデス(Ignacio Valdes)氏からお会いできて嬉しい旨の手紙と作品集が届けられていた。バルデスさんはサンチアゴ生まれカトリカ大学出身でイタリア、パリで学び、ニューヨークで作品作りをしていたアーティスト。素敵な作品集をありがたくいただく。これから夜の飛行機でアスンシオンへ向かう。
カトリカでレクチャー
プリッツカー賞を受賞したアラベナやスミルハンを送り出したチリ、カトリカ大学でArchitecture as Frame and Reframeについて話をする機会をいただいた。学部長から老齢の教授から若い学生まで聞きに来てくれる方の幅が広いのには本当に頭が下がる。質問も多く話が深く広がりとても楽しいレクチャーだった。
カトリカ大学のキャンパス
⚫カトリカ大学建築学部のメインの建物は200年前のスパニッシュコロニアル
⚫スパニッシュコロニアルを抜けるとコートヤードがあり逆側にアラベナの増築が建つ。
⚫レンガを模型材料として使用しエスキス中
⚫2層の図書館
⚫️建築専用の図書館
アラベナやスミルハンが卒業したカトリカ大学を案内してもらいディレクター始め多くの先生とお話しができた。
キャンパスは200年前のスパニッシュコロニアルの邸宅を買い取ってそれに増築をしながら今日となっている。落ち着いたコートヤードに続いてアラベナが設計したモダンな建物が続きコンペでできた木構造のミドルライズなど実に多様な建物群でできている。このキャンパスは僕がいままで見た世界の建築大学の中でも1、2を争う環境である。羨ましい。
建築学部は独立した学部でデザイン(グラフィック、テキスタイル、ファッション)、アーバンデザイン、建築の3つの軸で構成されている(正確な学部名はla Facultad de Arquitectura, Diseno y Estudios Urbanosである)学生は1000人強、教員は常勤、非常勤合わせて60人程度だそうだ。
学生の作業を見せてもらった、レンガを使って空間エスキスをしている。たまさかそれをやっていたのはポルトガルのリスボン工科大学の学生で1年間の交換留学で来ているとのこと。アラベナ効果もありカトリカの名声は世界に広がっているようだ。