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by 卓 坂牛
早朝日本に戻る。夜行列車で帰ってきたようなものだけれど、時差3時間は実に楽である。夜行の疲れなど微塵もない。
選択して風呂に入り、溜まったメールに返事する。ここまできたら今日返そうが明日返そうが、明後日返そうが同じだろうけれど、気は心。返送すべき郵便も結構ある。それでやっとネパールの次回プレゼンの枠組みをパワポで作り、それを関係者に発信。これでひと段落と言いたいところだが、年明け10日まで使えないのでその後起こる様々なことに今から準備しなければならないことがいろいろある。その一つが翻訳である。今度は分量が半端ないから毎日少しずつ進めないと自分の英語力では歯が立たない。それでもここ2日間体調不良で運動していないので自転車で皇居一周。先日のダッカや今回のカトマンズなど東南アジアの都市から帰って最初に思うのは空気がきれいだということ。彼らがまずすべきことは空気と水をきれいにすることだと思う。
さて今年一年を振り返り思うこと。今年は以前にも増して多くの国に行きレクチャーしたり、シンポジウムで議論したり、国の仕事に関わったり、また国外の方を日本に呼んでレクチャーやWSをしていただいた。一段と日本を、そして自分を相対化することになり、そういう状況がますます建築を社会的な産物として浮き彫りにした。「建築の条件」で考えていることを補強する状況証拠が増えつつある。しかしそんな状況だからこそ建築の建築らしさが求められているのである。ということも世界を歩きながらつくづく感じた。自分の説明においても一番理解されるのは私が一番やりたいことをケレン味なく語る時である。建築らしい建築にぼくは感動し、武者震いをしてまた建築を続ける気力がわいてくるのである。単なる社会の産物である建築にはこれっぽっちも興味はない。そういう建築は前世紀のゴミ箱に捨ててしまおう。ぼくらは建築を作るのである。時流に乗る言葉はいろいろある。そしてそういう時流が全部不要なわけではない。それぞれそれなりの深い意味を持っている。しかし一番大事なものはそこにはない。
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by 卓 坂牛
ネパールはこれまでの海外出張では最もタイトだった。連日視察、訪問が4つ5つあり、年末の疲れが積み重なって3日目は完全ダウン。とは言ってもホテルで寝てることもできず、とにかく視察、訪問に連れまわしていただく。風邪なのだが、胃が荒れて風邪薬を飲むと吐き気をもよおす最悪な状態。さすがに移すとまずいだろうということでその夜の副首相、市長、大使、国会議員との会食は遠慮させていただいた。こちらも4人しかいないので一人減るのはかなり失礼なことなのだろうがご容赦。
そのおかげで最終日は体調回復。再び復興庁に行き事務次官とうちあわせさせていただいた。さすがに官僚トップは的を射る。しかし今回の打ち合わせ全体から感じるのは1年半たってこれか?という遅さ。そして実行プランがまるで見えない。計画の計画性が欠如。省庁間の責任範囲が曖昧。ゴミ処理を誰がやるのかと聞いたらグレーゾーンだと言うのにはちょっと驚いた。
とはいえ。大使が言うようにこの国の一番いところは安全であり、平和である。汚くて、うるさくて、くさいけれど人々は生き生きしている。これに勝る人間社会あるだろうか?
さよなら愛すべきネパール。また2月。
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by 卓 坂牛
朝市役所へ行き市長さんと面会。とても若くて穏和な感じの方だった。一体カトマンズ市の中でどの地域をモデルとしてマスタープランを作るべきか尋ねる。全部で5地域くらいが候補にあがり、それらをしらみつぶしに午後見たが結局全部を見ることは無理。この荘厳な建物は上部2層がもげ落てしまった。この辺りはさらなる倒壊が起こらないようによこからつっかえ棒をしている建物ばかり。体調不良で今晩の市長、大使、大臣たちとの晩餐会は欠席してホテルに戻る。
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by 卓 坂牛
本日は朝連邦開発局に行き。日本からの援助を期待する3つの地域とその地域を選んだ理由の説明を聞いた。さらに地域局の方からその地域のこれまでの歴史的建造物保存の計画と地震による被害について説明を受けた。1数100棟の建物の80%の建物が全壊半壊の被害を受けている。3300年の歴史を持つサクというこの場所で多くの4階建ての建物は4階3階が倒壊し2階建てになり20世紀の鉄筋コンクリートの軸組のある建物だけは残っている。午後17キロ離れた現場にバスに揺られて到着してみるとまさにそんな感じである。しかし外聞空間は密度といいシークエンスといい少し直せばとてもいい場所になるはずである。それにしても埃っぽい。
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by 卓 坂牛
バンコク経由カトマンズに26日昼に到着。飛行場が混んでいてしばし上空で旋回してから着陸。ホテルに着いたら3時くらい。今日は何もないと思っていたら。早速ミーティングがあり、リーテムが共同しようとしているメンバーでその中にはヒマラヤ銀行の頭取がいた。なかなかの親日家でとても信頼できそうないい人であった。
カトマンズは丘あり谷ありの楽しい場所。ダーティー(泥っぽい)のがたまにきず。震災瓦礫が街を汚くしているのであると説明されて納得。泊まったホテルはシャングリラ(あのシャングリラとは関係がないらしい)。もともとイギリスコロニーなのでブリティッシュクラブの雰囲気なのだと一緒に行ったドイツのエコエンジニアのアンドレアスが説明してくれた。
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by 卓 坂牛
OBによる修士設計デザインクリティークを聞きながら、いい指摘だなあと思いつつ。ああそうかまだまだダメだなということがいろいろわかってきてまた気を揉む。でもまあ仕方ない今年も今日でとりあえず大学は仕事納めにいたそう。というわけで皆で乾杯。今日きてくれた先輩たちには本当に感謝したい。でもこれは恒例にするので来年も宜しく。
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by 卓 坂牛
坂牛研、クリスマス修士設計デザインクリティーク進行中。金沢、中岡、山下、奥田、福尾、本田、中東、半田、宇佐美、OBたちの鋭い指摘に学生たちも感じるところがあるだろう。それにしても、ちょっと前まで未だひよこだった彼らが、それなりの指摘をできるようになったのが嬉しい。
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by 卓 坂牛
すったもんだの末、日時を今日の昼に定め、小沢の教授昇進祝いをしようという矢先に大雪。小沢、雪の北海道から脱出できず、主人公なしの普通の忘年会を行う羽目に。久しぶりに筑波を退任された鵜沢さんが来られ、SFCの小林博人教授がこれから新しくこのスチュワートファミリーの仲間入り。
大統領選の話はしたくなかったけれどそうなると共和党支持のスチュワートさんはとにかくヒラリー大嫌い。理由はヒラリーでは何も変わらないというわけである。うーん細かく話し出すと時間がかかるし、面倒くさいので話題を変える。
お店は品川のオイスターバー、牡蠣の種類が8種類くらいあり一つ一つに名前が付いている。ワシントンの牡蠣なのにkumamotoなんて付いているのはなぜか?アメリカの牡蠣のすべてのオリジンは日本なのだそうだ。
内装はグラセンの真似でで気分はアメリカ。鵜沢さんのイタリア以外、6人のうち5人がアメリカの大学院を卒業。イェール、ハーバード、コロンビア、ペンシルベニア、UCLA。アメリカでもそうない感じだな。
たいそう食って飲んで一人4000円は安い。その分サービスも悪い。
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by 卓 坂牛
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3年生後期の最後の課題。先生は竹中の帽田さん、高橋堅さん、渡瀬正記さん、構造の横山太郎さん、そして坂牛、常山。ゲストは元新建築編集長の中谷さん、とロベルト。皆の投票で最優秀になったのは鳥海さんの針金のような構造にならないような部材を沢山もってきて構造にするというアイデアである。さらにロベルト賞も中谷賞も鳥海さんであった。短い時間で一番いいのにしようと思うとわかりやすい案に引っ張られる傾向があるのかもしれない。他にも面白い案はいろいろあった。賞を取れかなったからといって気を落とさないでほしい。考え続けていればいつか報われるのである。