On
by 卓 坂牛
理科大工学部一部建築学科の最終講評会、午前中10時から始まり、6時頃終了。あらかじめ専任教員で選んだ15作品を午後にOBによって見ていただきOBによる最優秀賞を決めるのが恒例となっている。とはいえ午後に選ばれなかった午前中の作品の中には午後のものより私の評価では高いもが5つもあった。それはそれとして、去年はインフルエンザでこの卒計発表会を欠席したので2年ぶりに見たし、今年はかなり力を入れて講評しようと思って例年にも増して真剣に見た。とても面白かった。これだけの幅の広さと深みのある作品の連続(量)はなかなか他大でもないのではないか勝手に想像する。月曜日は修士の発表会である。これ以上のものが出るのは当然であろうと思いつつやや不安。来週は他大の修士設計のゲストに二つ行くことになっているが、他に行ってもヤッパリ理科大が一番と思えるようであれば嬉しい。
On
by 卓 坂牛
先日チェコのサイトに掲載いただいたが、今度はインドである。Madder red houseは海外で受けるのかな?(日本では3月号の住宅特集に載せていただきます)
On
by 卓 坂牛
昨日配偶者の新しい書道のお弟子さんとしてドイツ人のアナさんが来られた。帰り際に少しお話しすると、彼女はドイツが誇るマックスプランク研究所の研究員で学問分野は美学。東大の小田部さんものとでドイツから日本への美学の伝達経路を後付けいているとのこと。
マックスプランク研究所は世界に50くらいのブランチを持ち、年間予算は1700億円くらい。理科大の年間予算の7倍弱、MITの1.3倍である。物理学者であるプランクに因み物理学研究がメインだったが派生して現在は彼女のような人文科学系の研究も行われている。アインシュタインも国外に追われる前は所長を務めていたところでノーベル賞受賞者は40名近く排出されている。
大学とはまた別のこうした国立の巨大な研究機関というものの存在に驚く。勉強したい人が勉強できる環境というものがあるんだなあと思う。しかも研究分野は理学、医学、文学、法学見るからに即お金になるようなものはない。大学の学費も無料でしかもこれだけの国家予算をかけた研究施設が存在するドイツという国に畏敬の念を持つ。
On
by 卓 坂牛
この手の本(飯島優子『ルポ貧困女子』岩波新書2016)を読むと毎度いくつかのことが頭をよぎる国の支援の甘さと新自由主義に舵を切った中曽根、それを加速させた小泉の結果的な読みの甘さ。しかし、ここで正確に当時を振り返れば、自分は今を予見できていたか?自民党を否定はしても(観念的に),仕事の中で競争原理を否定できただろうか?甚だ疑問である。むしろ率先して年功序列を否定してまるで会社側が言うようなことを組合の立場から言っていた。
まずはそんな自分を少し反省した上でしかし今は今である。厳しい時代である。不必要なまでの手助けは不要だが常に個別にそれぞれの状況を聞く耳を持つことが大事だと思う。
On
by 卓 坂牛
とある雑誌の原稿をだいぶ前に書いて出していたのだが、他の図面や写真などの最終校正の段になってちょっと分かりづらいですというダメ出しをいただいた。言われてみれば確かにわかりづらいかもしれないと思い、言われたことを直すというよりはかなり変えて送るとまた次の日に「少々唐突な表現が、、、、」と指摘を受けた。確かに言われてみればと思いまた変更を加えて送り了解されたのだが限られた字数で修正を加えることの難しさがよくわかった。まだ若い編集の方(おそらく)にダメだしをされることは一向に意に介さない。むしろ書く人(私)は編集者に育てられるのだと謙虚に思っている。それはそれとして、あることを説明すると400字はかかるのに100字しかスペースがないとするならどうしたらいいのだろうか?言いたいことを減らすしかない。そうすると3つの考えがあっても1つしか書けない。1つに絞れるならそれでいいかと思いつつ、3つ合わさって自分の考えなのであり一つでは違う物になってしまうという気持ちもする。でも時間がないのでひとつだけ書いたのだが、これは自分の思っていることではないのではと思ったりする。3つのことをまとめて抽象化して言うと正確には伝わらないけれど嘘を言っていないのだが、ひとつのことをわかりやすく言うと伝わるのだがほかの二つが欠落するのでこれは本当ではないのではと思うわけである。
On
by 卓 坂牛
5月の後半に寺田倉庫でブラジル建築の展覧会を行う。オリンピックがリオから東京へという流れに乗っている。東京がリオから学べることは何か?日本の建築がブラジルから学べることは何か?ラテンアメリカ建築の意味。それらを深めようという狙いがある。ブラジル大使は言わずと知れた建築評論家。2014年のヴェネチアビエンナーレのブラジル館のチーフキュレーターである。彼を含めてブラジルのアーバニスとワシントン、そして日本から数名の登壇をしていただき私がモデレーターをする予定。
今日はブラジル大使館でその打ち合わせ、打ち合わせ後に地下の新しくできた展示スペースを見る。そこには去年GAギャラリーで展示されたパウロ・メンデス・ダ・ロチャのMDF模型が置いてあった。すごい模型である。
On
by 卓 坂牛
月末のある国でのプレゼンの打ち合わせをクライアントの会議室で行う。スタッフがプレゼンの日程出席者その他を説明している。相手国の行政のトップクラスや次官などは出席されるが、市長がとある理由で欠席ということがわかった。それを聞いた社長が珍しくやや憤る。市長のいないプレゼンは意味ないからリスケしようと言う。すでに航空券も発券しているのだが社長は譲らず秘書に電話して市長の携帯番号を聞き即座に電話した。国際電話で日程調整。そして市長の空いている日を聞き、僕らをはじめ日本政府の参加者の日程もあっという間に調整してリスケ完了。この素早さがビジネスを成功させるのだと感心した。プレゼンのターゲットを逃さない。ここまで陣頭指揮するならついていくかということで僕もこれから自分のリスケに追われる。いろいろと不義理を働くことになりそうだがお許しを。
On
by 卓 坂牛
うーん、、、、修士論文の仮とじなるものが本日締切だった。自分の研究室11編。他研究室の論文(自分が副査を務めるもの)7編。あわせて18編の論文を通読した。なんで18本の論文が1時から始まって4時間くらいで読み終わるかというと、字数がこれっぽっちしかないからである。一番長いだろう歴史の論文でさえ多くは史料となった図版である。そしてエンジニアリング系のものは式と表。設計のものは主は図版(それもまだないのだが)。しかし前半の論理構成のところに読むべき文章が並ぶはずなのだが、ほとんど文章がない。それにもかかわらず、節ごとにページを変えるので真っ白な部分だらけである。重要なのは設計で論理構成のところは分析対象と分析とその結果と考察という一連の論理が明快ならばいいとも言えるが、意匠の論理は文章自体のレトリックも重要なのである。一体こんな数式みたいな文章だけってどういうつもりだ。寒くなる。これまでウェッブレポートを一部生も二部生も半期を2回はやってきて、そして苦労して輪読なんてやっているのにこんな結果しか出ないならもうウェッブレポートなんてアホくさくてやってられないし、輪読なんてごく限られた優秀なやつとだけやったほうがはるかに実りある。
On
by 卓 坂牛
2001年9月の同時多発テロの2ヶ月後社会学者のウルリッヒ・ベックがロシアで行った講演が『世界リスク社会論』(島村賢一訳ちくま文庫2010。ちなみに本書は後期近代社会を知る上で社会学の定番教科書である)の第一部である。この講演でベックの現代社会観察は1)テロと戦争と題して昔の国家同士の戦いが今は個人的なテロ行為という形で発生しうる。2)経済的グローバリズムと新自由主義と称して、そうしたテロ社会の中で新自由主義社会は政府をダウンサイズして内政的安全管理に予算を投じないが対外的には軍事介入して予算を投じることがある。3)国家と主権と称して、それゆえグローバル社会においては国家はその権力を最小化、脱国家化してコスモポリタンな関係性を築かなければならないと説いている。ベックがこの時念頭においていた批判の対象はブッシュなのだがトランプのしていることはまさにベックの主張の真逆である。グローバルな社会の流れと調和を取るためのコスモポリタンなセンスがない人間が一国の宰相となるのはまったくもって危険である。
On
by 卓 坂牛
最近iphoneが突如バッテリー0になる。ついさっきまで50%くらいあったのに突如である。ところが再起動かけると復活したり、やっぱりダメだったり気まぐれである。学生に聞いたら3年使ったもうダメですといわれたので諦めて今日機種変更しようと思ったらSEという小さいサイズの機種は人気で当分手に入りませんと言われた。それなら仕方ない今のこのiphoneを大事に使うことにした。まずはもう一度コーナーのガラスが割れているところをSUGRUというアメリカ製のセルフセッティングラバーで補強した。そして充電器をアマゾンで買った。これであと半年SEが余裕で買えるころまで持つだろう。そのころはまたサービスが良くなっているかもしれないし。