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by 卓 坂牛
サラリーマンは人事異動の話しが大好きだ。と書いてあるか自分が会社員していた頃会社の人事で酒を飲むことはなかった。上司の悪口はたまにしたが酒がまずくなるので、飲んだらしないが決まりだった。しかるに最近古巣の人と飲むと好きだね、人事。この本に書いてあることは正しい。友人宅でも社内人事は酒の肴のようである。うちはそういう話とはあまり関係のない世界きに生きており、たまにこういい話を聞くとご苦労様といいたくなると同時にそういう世界から足を洗っておいて良かったとつくづく思う。
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by 卓 坂牛
二日連続一般入試の試験監督が終わってほっとした。一生懸命問題解いている高校生の姿を見るのは清々しい。終わって研究室に戻るとO君の修士設計セメントモデルが現れ驚く。セメント周り切らずにかなり補修が必要な模様。それにしてもこんなラーメンフレームをセメント打って作るって狂気。でもこのくらいの狂気が欲しいよな設計って。
(周辺を歩くのが怖いひっくり返したら確実に壊れそう)
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by 卓 坂牛
まだ古市さんの『古市くん社会学を学び直しなさい』を読んでいるのだがこの中でやはり圧倒的に面白いのは次の2人である、宮台真司、大澤真幸、中でも二人が実証性、とかエビデンスに触れた部分。
宮台はマートンに棹さしながらこう言う「だからアカデミックポストを獲得するために、いかにも実証できそうな仮説をソーシャルリサーチで実証して、モノグラフ書いて一丁あがりみたいのは、マートンからいえば『クソヤロー』なんだよね」「そうではなくてデータを検分していると、、必ず調査者が解説できない偏差が出てくる・・・その偏差を説明するための仮説を考える」
大澤はこう言う「あまり実証性にこだわりすぎるとつまらないことしか言えなくなる、、、ゆるい意味での反証可能性をもつような仮説を出すことが重要だ、、、『進化』という概念もそうでしょう・・・厳密な検証は不可能だ・・だけどDNAは増殖する方向性に適応するという仮説を置くと非常にうまく説明できる」
意匠の論文もそうなのである。だからバルセロナでの博士論文での所見を書くシートにはこの論文の仮説は何かを書く欄が最初からあるわけである。なのでこれからは仮説のないデーターの追いかけはやめにするしさせるし、その仮説がやる前から分かっているようなものは絶対に認めない。仮説が論文のむしろ全てなのだと思う。
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by 卓 坂牛
近所のペンシルビルの工事が終わりそうで囲いがとれてファサードが露わになった。なんだか透明感の階段室だなと思ってよく見ると前面側が5層吹き抜けになっている。こういう設計始めてみるね。ペンシルビルで一層の面積精一杯取りたいところでこんな吹き抜け作っちゃうのは珍しい。ここしかし階段室のようでもありそうでもない??区画しなくてもいいのだろうか??