明日からのワークショップに備えて夕食をとりながらカトリカ大学の教員チーム4人と食事をしながら明日からのやり方、学生の志向、ぼくへの期待などを話しあう。やり方は半日個別クリティーク、半日プレゼンテーション、学生の志向はかなりソーシャルプロブレムを扱うプロジェクトが多いとのこと。ぼくへの期待はソーシャルプロブレムからスタートしているので案がリアルに凝り固まっている。なんとかそれを解きほぐして、もっと多くの代替案を作らせてもっと自由に飛び立たせて欲しいとのこと。賢い学生なだけに最初の教育が地道だと、卒業するときに急に自由にと言ってもそう簡単になれるものでも無いような気もする。
クスコは15世紀半ばに確立したラテンアメリカの帝国インカ帝国の首都だった。その帝国の一つがマチュピチュである。首都クスコは16世紀にやってきたスペイン人にクスコから追い出された。スペイン人はインカの建て物の多くを破壊し、一部その基壇の石積みの上に自分たちの建物を築いた。その典型的な例がサンドミンゴ教会修道院である。インカの石積は、目地が無く複雑な形状をしている。彼らは文字を持たなかったので、その技術の内容が神秘的なベールに包まれている。建物スタイルが政治的に変わる時、それが征服や革命の場合、スタイルは融合することはなく断絶する。しかしこういう風に断絶面が綺麗に残るのはあまり見たことがない。
インカ帝国のマチュピチュでは壁は石積みだけれど屋根は木の小屋組である。数年前見たマヤの遺跡では屋根も石を積んで作っていた。作り方が少々異なる。なぜ屋根を木にしたのか?降雨量の差だろうか?勾配が物語っている。ところで最盛期に1000万人くらいいたインカ帝国の一般の人々はどういう空間で暮らしていたのだろうか?それらは朽ちて亡くなったのか?スペイン人が焼き払ったのか?そんな昔の話ではないのでどこかに何かが残っていそうなのだが。