川添登は1963年に「カタチ論」を『デザイン』2月後に寄稿する。そこには建築家・菊竹清訓が1958年から書き始めた『建築代謝論 か・かた・かたち』も簡単に紹介される。菊竹のそれは〈か〉:本質的段階であり、思考や原理、構想。〈かた〉:実体論的段階であり、理解や法則性、技術。〈かたち〉:現象的段階であり、感覚や形態。なのだが、川添はかたちの「ち」に生命の根源を、「かた」にその具現を見ている。よって「かたち」とはどうもアリストテレスいうところの「形相」のようなものなのである。つまり「かたち」一語に「か」も「かた」も「かたち」も一度に見出している。ところででは建築家が形を作るときにこの原理である菊竹流なら「か」川添流なら「ち」とは一体具体的に何になるのだろうか?それは場所にあるのか?材料に内在するのか?建築家の内面に宿るのか?それはどうもはっきりしないのだが、二人の言いっぷりを聞いているとどうもそれは建築の用途や要求、目的あるいはそれを達成する効率とか合理というところにあるのではなさそうである。そうではなく、建築それ自体あるいはそれが立つ場所に宿るもののように聞こえるのだが。つまり建築のカタチは建築の自律的問題として取り扱っているように聞こえるのだが、、、菊竹の建築が狂気だと言われる所以はここに由来しているのではなかろうか?
研究室対抗のフットサル大会が毎年この頃行われ、毎年梅雨に入り雨の中か雨が強すぎて延期になるか、延期が重なり中止になることもあるのだが、今年は幸い梅雨入り前で不幸にも30度近い高温に見舞われたが雨の降らない大会は理科大に来てから初めてであり奇跡である。しかし残念ながら奇跡は一度しか起こらず、坂牛研Bチームはほとんど最下位。Aチームは強そうだったが4位だった。強そうなのはどこも同じであとはどういうサッカーを目指すかというコンセプト(戦略)の差だったようであるが、個人の力量の差というのももちろんあるだろう。最後の記念撮影をしながらこの研究室は何人いたのか、これで全部なのかまだいるのか???
引っ越してきたマンションのデザインである。三方枠がスチールフラットバーと言うのがかなりデザインオリエンテド。加えて、ボタン側にフラットバーをダブルに立てて、ボタンと階数表示を挟み込んでいる。20年前くらいの建物だろう。当時としてはかなりとんがっていたのだろう。あとで知ったが設計は鹿島のwさんだそうだ。納得した。
今日の日曜日はここ1ヶ月くらいの追い込まれ感から解放されて配偶者と近所の散策をした。というのもやっと『建築の条件』の原稿の最後の校正を終えたからである。それにしても小さな編集社を率いる飯尾さんたちの編集のやり方には驚きを隠せない。その内容を事細かに書くと膨大なものになるので割愛するが兎にも角にも敬服に価する。そんな経験のあとなので『みずず書房旧社屋』幻戯社2016の加藤敬事もと社長の文章を読みながら共感した。その文章にはアメリカの出版人、ジョージ・エプスタイの著書『出版、わが天職』からの引用がある。「出版は本来、cottage industryである・・・出版は自主性を侵すものには用心を怠らず、著者の要求と読者の多様な関心に敏感という、共通の心意気をもつ人々の小さな集団が一番です」と。
そんな本を読んだら一昨日のインタビューを思い出した。インタビュアーは私が巨大建築設計事務所の大きな仕事からアトリエ事務所の小さな仕事にに携わるものが著しく変化した事に興味を持っていた。そして今巨大事務所で学んだ事が何かを聞いてきた。僕は素直に、技術と倫理と答えた。確かにこの二つはなかなかアトリエ事務所では学びづらいものだと思っている。でもものづくりのフィロソフィーは残念ながら巨大事務所では学べない。そうそう建築もcottage industryの側面を持っているのである。もちろん世界中の建物がcottage で作られるとは思えないが、21世紀その可能性と役割は増加するはずである。7月に行うEU Japan建築会議でもテーマの一つはそこにあるだろう。
午前中オフィスでインタビューを受けるというので待っていたが待てど暮らせど来ない。インタビュアーが道見迷っている。やっと1時間遅れで到着したのだが、後が詰まっているので早口の質問に早口で答える羽目になり、言いたいことは言っているのだが英語としてめちゃくちゃな感じである。聞きたくない。午後築理会の講演を聞きその後懇親会。夕方打ち合わせがあるのでお茶を飲んでいたら体調が良くなってきた。今週はよく飲んだ。体がフルオブアルコールになっていたのでちょうど良い。オフィスで打ち合わせ。いよいよ実施に入り細かな寸法をいじり始めると途端に様々な数字が矛盾し始める。いつものことだが今回は平面断面に斜めが多いので様々な数字が連動して動くので難しい。
今晩はサンチアゴからカトリカ大学の建築家ディエゴグラスが来校してレクチャー。それを聞きに先週来たペルーカトリカ大学のルイス・ピッチーニ、ウルグアイの国立大学の教授ペドロが学生25人連れて来校。3年生のスタジオを見学。その後近くの中華料理屋でウエルカムディナー。ペドロは僕がブエノスアイレスビエンナーレに招待された2013年ウルグアイの招待建築家で僕のレクチャーを聞いていたそうだ。世界は本当に狭い。
Guy Nordenson 著 Reading Strucutre 39projects and Built Works Lars Muller Publishers 2016は世界の有名建築39の工事中写真と構造アクソメをつけてその構造的特徴を解説する。1月にみてきたnew museumの丘立ちはこんな解説がつている。外観は箱を積み重ねたように見えるが、トラスで縫い合わされ、力は外装を舐めるように地上に伝えられる。
日建の山崎さんと久しぶりに一杯。上野に戦前から残る素敵なお店韻松亭でお会いする。山崎さんは3年先輩だが入社1年目に同期の山梨、大谷と四人で愛知の文化センターのコンペをやった仲である。現在は海外の仕事が多い。役員定年まであと5年だそうだが5年でなにをしますかと問うと。海外の仕事できちんとしたいい図面を書きたいという。相変わらずの図面フェチなのには驚く。三つ子の魂百までである。実際にできた建物より図面そのもの方が下手をすると大事だと思っているらしい。大したものである。
菅付雅信『新しい写真、それは世界を新しく見つめなそう方法だ』玄光社2016は月刊『コマーシャルフォト』の連載「流行写真通信」の5年分なので約60の写真家や写真事情が書かれている。それを見ていると日本の若い写真家は日常的な写真を撮る人が多いことに気づく。そして実際2014年の木村伊兵衛賞の審査時に「アサヒカメラ」前編集長の勝又ひろしがこう言う「最近の賞の候補者は、よくも悪しくも自分の半径5メートル以内で勝負している写真が多い」日常性に拘泥するのは、アートも、建築もどこでも起こっている。そしてこれは日本的現象かというとそうでもないようである。
でもずっと日常性の中にいるのは創造に結びつかないと思っている。坂本先生と対談した時におっしゃっていた。「習慣を完全に外すことはわれわれがわれわれであることを否定することで、それはしたくないという思いがあります。習慣はわれわれがわれわれであることを明らかにするけれど、同時に習慣には嫌な部分もあるので、その部分への『違反』をどうにかしてやりたい」日常をどこかですり抜けて別の世界に行かないといけない。
日常は出発点であっても、回帰点ではない。
5月頭に赤坂に引っ越し、何よりも四ツ谷と違うと思い、嬉しいことは緑の量。圧倒的と言っていいと思うが、公園も公開空地の緑も集合住宅の植栽も多い。朝のジョギングが清々しい、次に嬉しいのは美味しい店が多い。四ツ谷も多いけれど赤坂はもっと多い。