建築を作る理論はあるようで無い。ヴィトルヴィウスも、アルベルティも、ワグナーも皆したためているのだが、それらはその時代の書として画期的だが、今アクチュアルに響くものではない。谷口吉郎が東工大の教員になった頃かなりしっかりとした建築意匠論の骨格を書いているのを今日のゼミで大村君が紹介してくれた。その内容が僕の博士論文の序論のようなので驚いた。登場人物が実に似ているのである。1世紀近く前の先人の知識と同じというのはいささか不安にもなるのだが、もしかすると現代は意匠論という形式がもはや展開しない時代といことなのかもしれない。つまりもっと言うと体系化しないということ。そう言う時代にある可能性は何なのだろうか?暫定的羅列だろうか?今日南洋堂行くとそう言う本が結構あるけれど買う気にはならない。
松隈洋『建築の前夜前川國男論』みすず書房2016を通読した。450ページを超える大部の書は著者の博士論文に手をいれたものである。数年前神楽坂の中華料理屋で松隈さんに初めてお会いして僕が戦間期をつなぐ建築論に興味があることを話すとそれはまさに自分の博士論文ですよと教えてくれた。それからチャンスがあればその博士論文を読んでみたいと思っていたら出版された。建築創作論としては戦間期に伝統と創造を主題としていた前川の姿が印象的である。しかしモダニズムを標榜していた前川が伝統を持ち出してきたのはやはり戦争がそうさせたのか?それとも戦争がなくてもそうなっていたのか?わからない。伝統は建築にとって他律的な概念であり、しかし創造は自律的なものである。これらはしかしどのように昇華されていたのだろうか?そして戦後の前川の論理はどう発展するのだろうか?松隈さんの戦後の前川論を読んでみたい。
SDで発表する新作のテーマは「運動と風景」高々80平米程度の空間に運動と風景を持ち込む不条理がこの家の住人である哲学者のねじれた欲望である。飯尾さんはベルクソンですねと言う。哲学は些細な日常の気づきね積み重ねなので結果的にそうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
今回の執筆で3回リライトしたのがすごいことのように自分では思ったけど、村上春樹は3回リライトしてから奥さんが読み、指摘部分を書き直し、それで初めて編集者に読んでもらいそれから原稿、ゲラを真っ黒にするそうだ。最終的に恐らく数十回以上書き直しているのだろうが、考えてみれば、僕らも設計となったら普通に数十の模型が並ぶのでやはり餅屋は餅屋ということだろうか?
レイモンドカヴァーは短編の推敲の最後は、気になるカンマを取って、読み返し、同じところにカンマを打てたら完成だそうだ。建築では散々そういうことをするが文章でもそうしないといけないのだろう。
山森さんの写真ができて送られてきた。今まで取れなかったアングルが絵になっていて驚いた。こういう風に撮れるんだということがわかり嬉しかった。是非そういう写真を使って欲しいのだが、、、、
昨日リスボン生まれのバークリーの教授に世界て一番好きな都市はリスボンで次はサンフランシスコその次は東京といったら喜んでいた。結構本音である。理由はどの都市も坂があり上り下りしながら変わる風景を楽しめるから。と言いながらこれは新しい住宅のコンセプト:運動と風景、であることに気付いた。無意識で繋がっていることにびっくり。
東工大の中村さんのスタジオに招かれ講評しました。中村さんの課題は捨てられるものをどう建築に使うかというもの。とても難しい課題でしたが皆面白い解を見せてくれました。塚本さん、安田さん、バークリーから来ていたルイザ、デイビッド、川島さん、とで議論して各賞を決めました。
若い人は浜野安宏と言っても知っている人は少ないかもしれないが、その昔浜野商品研究所と言えば雑貨から建築までその時代の最先端商品をプロデュースするとんでもない会社だった。その会社に勤めていた親友は浜野に「修羅場を3回くぐったら独立しろ」と言われてその通りした。僕もそれを聞いてその通りして間違いないなと思った。
その浜野氏の近著『一流の磨き方』ダイヤモンド社2017は若い人は読んでみるといい。3つ重要なことが書いてあり自分でも学んだ。
- 働くこと、住むこと、遊ことに境がないような生き方をしろ
つまり、働くことが遊びになるような働き方をせよということである。ここまでが労働時間で、ここからが遊びなのではない。もちろんこれができるのは人の下で働いている間は無理である。
FREEDOM IS NOT FREEとはつまり、自由を獲得するにはそのための犠牲を多く払わねばならないということである。資本主義の歯車となってとんでもない金を稼ぐのは結局会社の至上命令に従い、歯車となって働いた代償にすぎないということである。
友人、家族さえも自由を破壊する束縛になる。例えば年に1ヶ月くらいは一人で居られる時間を持つのも大事である。繋がりすぎてはいけないし、動きすぎてはいけないということでもある。
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