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Jul 2017

衣食住の各界における序列

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by 卓 坂牛

ブルデューのいう「界」(ある業界が成立しているフィールド)で見るとファッションモデル業界は世界中に「界」が分散し、それらの界にはランクがしっかり付いているそうだ。一流の界はパリ、ロンドン、ミラノ、ニューヨーク、2流の界は東京、ドイツ、スペイン、そして3流はその他大勢である。なのでモデルは自分のポートフォリオには日本の雑誌で大儲けしてもその事実は隠蔽する。あるいは雑誌からアジアの文字(漢字やかな)をフォトショップで消去するそうだ。もちろん超一流のモデルとなったら間違っても東京のショーには来ないし、雑誌にも出ない。それは自らのステータスをドブに捨てることになるからである。ファッションほど界の序列があからさまな業界も少ないだろう。衣食住で言えばその次にくるぬは食だろうか。料理にしてもワインにしてもフランスの優位性は高いだろう。そしてそれは様々な戦略を持って守られている。そして最後は住である。建築にはそういう界の序列は消滅しつつある。その昔は圧倒的なローマの優位のようなものがあっただろうが今はない。ニューヨークが東京より優れているということも無い。むしろ東京の世界的優位性をあげる人も多い。やはり学問という界の世界的公正さに守られているからかもしれない。

アルゼンチン大使館に招かれる

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by 卓 坂牛

来月アルゼンチンの国立サンマルチン大学での国際ワークショップに行くメンバーがアルゼンチン大使館に招待されました。フェリペ・ガルデラ公使自らパワポでアルゼンチン紹介をしてくれました。その後エンパナダとワインとお菓子とコーヒーを楽しみました。

リーガルデザイン

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by 卓 坂牛

法規制があるから出来ないという考えは古い。『法のデザイン-創造性とイノベーションは法によって加速する』フィルムアート社2017の著者水野祐は言う。今時代の寵児のような会社の行いは法を書き換えながら可能となっている。google  のストリートビューとプライバシー、uberと白タク、airbnbと民泊、どれも国によっては超法規である。しかし新たな世界の開拓にはこうした超法規を合法化するべくリデザインしなければならない。それが多くの望実ならば。恐らく我々か思う、あったらいいな、でもないという場合の多くはここに起因するのでは?

SDレビュー

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by 卓 坂牛

SDレビュー2017で新作をお見せする機会をいただきました。1988年に河口湖計画と横浜博の住友館を選んでいただいてから30年たってまた同じイベントに展示するとは予想もしないし、ひとつのコンクールがこれだけ続くのも凄いことだと思います。鹿島出版会には頭がさがります。

1988年は私が日建にはいり2年目で林昌二肝いりでできた少数集団、東京スタジオで思う存分やってみろと言われてやった仕事が住友館。河口湖計画は高校の親友から坂牛の作品を作ってくれと依頼された仕事でした。2つ出したら規定違反で両方落とされるかと思いましたが両方入れてくれました。入選の知らせを受けたのはシンガポールで40日滞在してまとめるコンペの真っ最中。当分帰れず、帰国後必死にドローイングを書きました。当時はA1一枚、模型一つの規制があったと思います。会場が狭かった。いつからか沢山展示出来るようになったようで、ある模型全部出そうかと検討中。来週からアルゼンチン行くので行く前には決める予定です。私と一緒に理科大で働いている常山さん、少し前まで理科大で働いていた伊藤さん、だいぶ前に内の家ね訪問レビューをしてくれた魚谷さんおめでとうございます。パーティーでお会いしましょう。

若い時の苦労は買ってでもせよ

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by 卓 坂牛

昨日比嘉さんが長谷川事務所時代を思い出すと週に3日くらいしか家に帰っていなかったけど皆楽しくやっていたと言っていた。僕は家が事務所から10分だったから遅くなっても帰宅していたけれど休みというものは無かった。独立した時配偶者はあまりに暇そうな僕を見て驚いていた。同級生も皆そんなもんだった。今は何時以降仕事してはいけない規制がかかり皆早く帰宅するのが当たり前になっている。でも若い頃はやれるだけやったほうがいいと思う。後になって力になるのは若い時の頑張り以外何もない。

ヨーゼフ•ホフマンのサマードレス

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by 卓 坂牛


昼から神楽坂でウィグリーの勉強会。前回までの登場人物ヴァンデベルデ、ムテジウスに加えてヨーゼフ•ホフマン登場。彼のデザインしたサマードレスが四角い。ホフマンはウィーン工房を立ち上げた人だが、彼のスタイルはなんと呼ぶべきものなのだろうか?アールヌーボーとは言えないし、、、、

坂本一成 例の会

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by 卓 坂牛

坂本研のOB会。例の会と言う。毎年東工大の蔵前会館で夏の今頃やっている。先生の誕生日会でもある。自由が丘の名のあるお店のケーキらしい。

3年製図終了

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by 卓 坂牛

3年生の製図の後半課題は金町駅である。JR金町と京成金町をどう繋ぐかがポイントである。ゲストには富岡駅のコンペで最優秀をとり出来上がって学会賞を受賞した武井誠さん。ショートレクチャーをしていただき改めてこの案の面白さを知る。

今日はもう一人チェコの建築家オサムも呼んだ。彼はEUシンポジウムで来日し、父親が日本にいるハーフなのでシンポジウム後3週間日本にいるということで今日呼んだ。積極的に英語でコメントしてくれて面白かった。レギュラーの3年生は今年で終わりなのだが、来年積み残しもあるので数名の先生には来年もお願いしたいがとりあえず今日で最後ということで記念撮影。非常勤の比嘉さん、浅見さん、塩田さん、山本力矢さん、山道さん、千葉さんとゲストの武井さん、オサムさん、常勤の常山さん僕。

beauty

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by 卓 坂牛

大学院製図に竹中さん、満田さんに構造コンピューテーションの課題をしていただいた。実にユニークで美しいデザインが出てきた。コンピューテーションも、構造も、どこか覚束ないのだがなかなか素敵なデザインが多く僕としてはとても満足でした。

職業としての建築家

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by 卓 坂牛

建築家の設計論とはどういう意味を持ち得るのだろうか?建築家に限らないのだが創作者の制作論とは何のために書かれどのような意味をもつのだろうか?おそらく制作論は大きく二つに大別される。一つ目は創作者の個別性が強くてマニフェスト的な体をなすものである。その場合その制作者の作品がその人独特であればあるほど、その作者の個別性が文章に色濃く出る可能性が高い。例えば篠原一男の『住宅論』などはそうした論の典型である。一方広く哲学的で汎用性があり広く多くの人の規範となるような制作論もある。それは教科書として見習いうるものとして価値がありその意味で学んでみたいと思うものになる。例えば槇文彦の『コレクティブフォーム』や『見え隠れする都市』などはそういうものである。一見都市の観察にも見えるがこれが槇の作品のベースになっていることは明らかでその意味でこれは制作論と言えるだろう。

ではこれらの中間、あるいはその両方を持つようなものはあるのだろうか?個別性と規範性を共存させる制作論はあるのだろうか?今のところ僕が読んだそういうものの中で最も参考になった制作論は村上春樹の『職業としての小説家』である。そこで僕もそういう方向から制作論を考えてみてもいいのではないかと今考えている。『職業としての建築家』である。