EU 日本建築シンポジウム・ワークショップ二日目の今日は昨日EU建築家が提示した7つの課題に対し学生+若い建築家たちが制作発表しレビューする。引き続き、ツバメ、竹内さん、堀田さん、米田さんが来られる。加えて今日のゲストでマニュエル・タルディッツも登場。皆さん今日も面白いので是非ご来場を。11時半慶応三田キャンパス北棟です。
昨日はEU関係者のもてなしに奔走し助教の先生に教授が弁当まで買いに行くんですか??と哀れみの言葉をかけられた。しかし昨日八十九歳の槇文彦はあの灼熱の太陽の下一人で歩いて慶応に来られらた(未だに事務所にはバスで通われているという)。そして1時に基調講演をして7時までシンポジウムを聞き、7時からのパーティーで乾杯の発声をされた。それを見ているとなんでもしなければと思わざるを得ない。
BSA_SC_Symposium_Program_CV_Photos EU 日本国際建築シンポジウムが無事開催された。慶応三田キャンパスで3つのシンポジウムを行い私は最初のシンポジウのmoderatorを行った。経済からサスティナビリティを超えるというテーマである。登壇者は竹内昌義さん、ポーランドのブレゼンスキー、ベルギーのライオネル、チェコのオサムさん。竹内さんは築地問題、ブレゼンスキーは古い建物の改修、ライオネルは建物を解体して使えるものを売る会社を作り、オサムはジャーナリストであり新しい建築情報の流通の仕方、について話をした。第二シンポジウムではテクノロジーと環境、環境を知るためのウォーキング、環境を知るコンピューテーション。そして最後のセッションではゲームによって環境の社会性を知るドイツチームの試み、ツバメアーキテクツの社会的建築の作り方などなど。実に話は多岐にわたった。それらの議論はサスティナビリティを超えるヒントを持つものもあればそこにとどまるものもあったと思う。そしてそうしたヒントを「建築」につなげるのは聴衆の想像力の中にあるのだと思う。もちろんそのヒントの一つは「人間性」というキーワードである。
槇さんはKeynoteでこういうdiagramを提示してくださった。僕たちの考えが響き渡っているようでとても嬉しかった。
曰く
「新しい共感の人間主義、そこには明確なテキストや様式はない。
それは人間性への社会的価値を獲得した建築の空間や形態の背後に存在する。
新しい人間主義はソーシャルメディアを通して形成される世界的な共感を通して生まれるものである」
明日から始まる、EU日本建築シンポジウム•ワークショップに備え、参加全建築家の紹介パネルと理科大大学院一年生の昨年度後期のスタジオ課題二つを搬入展示。課題の一つは日本設計大野、佐々木先生による形態は環境に従う。もう一つはアルゼンチン、ロべルト•ブスネリによるスラムの差住宅である。今回のテーマサスティナビリティを超えてにぴったりである。
オルジャッティが世界の建築家に彼らの建築的原風景を聞いて彼らからもらったイメージを羅列した小さな本がある。ポルトガル留学中の山本くんが教えてくれたので購入してみた。Sejima, Eisenmann, Jain, Ishigami, Holtrop, Siza, Diner, Caruso, Hasegawa, Puga, Zunthor, Mateus, Cohen, Radic, Sergion, Botta, Tsukamoto, Czech, Maas, Garcia-Abril, Orgiati, Chipperfield, Markli, Kerez, Rogers, Ventury, Isozaki, Berkel, Pawson, Fujimoto, Aravena, Holl, Sik, Wilson, Kollhoff, Nishizawa Ryuei, Meirer, Mayer, Adjae, Murcutt, Baeza, Herzog, Ito,つらつらと眺めてああこの人らしいとは思うものの、建築の原風景なんて本当にあるのだろうかと思ってみたりもする。
Kプロジェクト2階のプランは毎日変わり吹き抜けの形も毎日変わる。何をやってもうまくいかない場所なのだが、勾配屋根にそって勾配天井にしていたのをやめるとどうだろう。水平に持っていくと要素が減って落ち着く。水平垂直という建築のデフォルトにするとなんでも少し落ち着くわけである。といっても実はこの大きな天井は傾斜がついているし、なんといっても平面は台形なのである。斜め線を少し減らしただけだけれどこのくらいがいいところだろう。上下2枚のCGの間にいくつかの案がありここに来ている。スケッチアップは便利である。模型を作る前の下準備として。
去年m2を修了した学生はアトリエ志望で学科の就職率をかなり下げ、倉淵先生(就職幹事)からは皮肉とも非難ともつかぬ「坂牛先生大丈夫」という言葉も出て、私は一向に気にしていませんでしたが、運良く、あるいは皆の力で無事就職したい人は就職したようでまあ一安心。atlier9、みかんぐみ、オンデザイン、グアテマラで独立、Kw+Hg architects、GMOアドパートナーズ、ヴォチョンギア、理科大博士課程、一級建築士目指して勉強中、現職のまま(建築家とホテルウーマン)計11名。多様だね。
月曜の夜は長いゼミの後7時半から9時10分まで講義を行う。教材は『建築の規則』。二部三年生用である。この講義はビデオ収録されて大学のサイトの中にパスワードを入れてはいると見ることができる。そうしたサービスは今後の大学には必要だろうし、一度取っておけばサバティカルで海外行ってもみなさんにかける迷惑を軽減出来そうなので自ら志願して撮影していただいている。なのだが、このビデオのことが知れ渡ってから出席率が激減した。やせ我慢ではないが、聞きたい常連さんとだけでやっている方がこちらも気が楽なので結構なことかも知れない。毎回きちんと出席する学生の中に大学院生がいて感心する。しかも私の研究室ではない学生である。私の部屋の院生もこの二部の三年生講義に興味を持つものが毎年数人いるが数回出てそのあと続かない。それに比べると彼は時々遅れるが今日も出席。勉強は継続なんだよね。空気吸うようにやらないとだめなんだけど、、、彼が高校の後輩であることは最初から知っていたのでああ母校にも未だこういうコツコツ進む学生がいることを知り嬉しい限り。
選挙はその人の職業的立ち位置の現れになる傾向がある。つまりその人の明日の仕事を保証してくれる人を応援するという傾向がある。でもそれは正しいことだとは思わない。その人の思想的な正義を見据えるべきだと思う。
建築界で言えば大きな事務所は体制側を応援するし(せざるを得ないし)アトリエはその逆になる傾向がある。大学教員などは体制につけなかったか、つきたくなかったかという人の集まりだからまあ体制側にはつかない傾向がある。昨今そういう傾向を破壊するために国介入が著しいが。
しかし、、就職なんていうものはかなり偶然に左右されているのだからどこで働いているかということはそもそも偶然。であればその偶然によって政治的立場は本来決定されるべきではないのである。しかし多くそういう暗黙の意思によって洗脳されてしまうわけである。
これはおかしなことである。政治に参加するということはそうした利害関係の調停を期待するだけではなく、国内外の社会の全体的な向上を目指すものであるはずでそうした高邁な思想をを評価する軸がないといけないはずである。一旦目先の利害は横に置き未来を見据える洞察力が求められているのである。
小池が勝っても自民党が勝っても結局思想的には変わらない。こんな茶番に騙されてはいけないと私は思う。
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