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Oct 2017

台風対策

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by 卓 坂牛

朝家を出ると雨も風も強かったが、インターシティまで行き、アークヒルズの横から六本木の交差点まで来ると雨は少し弱まった。ミッドタウンのビニールハウスはビニールを一部剥がしてあり風対策。中の野菜が飛ばないようにブルーシートがかぶせてある。家に着く頃には空も少し明るい。

菊池智美術館

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by 卓 坂牛

jogarch 1 午前中書評のファーストドラフトを書いたので午後この大雨の中、傘をさして菊池寛実記念智美術館に清水九兵衛と八木一夫の陶芸を見に行くhttp://www.musee-tomo.or.jp/exhibition.html清水といえば金属彫刻が有名だが彼の始まりは陶芸なのだ。ということを展覧会で初めて知った。木下も清水も分厚い土の量感を感じさせるものが魅力だった。素材の力が溢れ出ていた。
この展覧会が行われている菊池寛実記念智美術館は友人の叔母(智)が父(寛実)を記念して創った美術館。展示室はすべて地下にあり、地上部は薄い板状の建物なので簡単な事務室くらいが入っているのか?収蔵庫なのかよくわからない。坂倉の設計竹中施工による美しい建物である。工事をしているホテル大倉の横に建っている。

政治における動的平衡論

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by 卓 坂牛

平田オリザが面白いことを言っている(『下り坂をそろそろと下る』講談社現代新書2016)。「少子化だからスキー人口が減ったのではない、スキー人口が減ったから少子化になったのだ」と。もちろんこれは比喩なのだが若い二人が出会えて、一緒に慣れて、子供を作れる環境を無くしたのは政治の責任である。もう少し言えばすでに下り坂にさしかかっている日本を直視することを恐れ下り坂を登ろうとするものの、まったく若者の生活環境を好転させられない政治に原因があるということである。

著者の提言は二つのことを認識することに始まる。一つは日本がアジアナンバー1であることという幻想を捨てること。二つ目は日本がすでに経済的ピークを過ぎて下り坂をそろそろと下る国であることを認めることである。
愛国心も帰属意識もない私が日本のことを考えるのには理由がある。日本という国は世界という全体の一部であり、世界が人体なら日本はその一つの細胞である。福岡伸一の「動的平衡」論に則れば世界という人体において日本という細胞は全体を機能させる一つ殻のようなものである。そしてこの次が大事なのだが、一見この殻自体が全体を動かしている一要素であるかのように見えるが実は動かしているのは殻から殻へ流動する血液を含む体液である。つまり世界中の人々はこの体液でありこの体液が健全に殻どうしを移動することで全体である人体は機能しているのである。僕は日本という殻をそうした視点から見ているが故に殻の一つに特別な思いれはないし、常に流動しているから帰属もないのである。あえて言うなら僕は人体に帰属しているのである。しかし、便宜上僕という体液は日本という殻においてのみ選挙権をもち、日本という殻が崩壊しないように見守る義務があるので選挙は行う。
そうした視点で日本という殻を見るとき隣の中国やベトナムなどという若くて元気な殻に比べれたら日本という殻はだいぶ歳なのである。そして歳には歳の生き方があることを学ぶべきであり、歳なのに若い元気な殻を打ち負かし昔の幻を追うことはあり得ないのだろうと思っている。そうではなく身の丈にあった殻を作り直し、そしてなにはともあれ中をある体液が健全であるような政策を行っていただきたい。一体それにもっとも近い人が、政党がなにであるかは正確には分からないが、自民党と公明党でないことは確かに感じる。おそらくもっとも近いであろう政党は福祉に力をいれて体液(人々)の意見を最大限に吸収する人、政党なのだろうと思う。今回は立憲民主党に期待する。

 

槇文彦の一貫性

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by 卓 坂牛

槇文彦の3つのエッセイ集を並べてみる。近刊の『残像のモダニズム』をやっと読み終え、その昔読んだ残りの2冊の目次を見ながら中身を思い出す。そして思うのは主張の一貫性である。92年に出版された『記憶の形象』は1966年の「環境革命と機能主義」から1991年に書かれた「モダニズムとの出会い」そして書き下ろした「スケッチ・イメージ・未完の形象」までの42編が掲載されている。2013年に出版された『漂うモダニズム』は1996年の「静けさと豊かさ谷口吉生の建築」から2012年「言葉・風景・集い−−−日本の都市・建築近代化の中で現れた特製」そして書き下ろした「漂うモダニズム」「日本の都市とターミナル文化」など49編が掲載されている。最後の『残像のモダニズム』は今年(2017年)に出版された。掲載されている論考は1998年の「インタビュールシオ・コスタ—ブラジリア 時が育んだ都市の「根」」から2016年の「座談会「宴」のあと」そして書き下ろしの「変貌する建築家の生態」「空間・時間・建築」「つくり、書いてきた半世紀をふりかえって」25編である。この三冊の論考が槇文彦が書いてきたものの全てではないとしても、そのかなりの重要な部分が網羅されていると思う。そしてもちろん自らが選んだエッセイであるから各時代の槇文彦が現れているのだと思う。そういう視点で眺めてみると実に一貫している2つの点があることに気づく。その一つ目は、建築は「書くことと作ることの並走」であり、二つ目は、建築は「時間と記憶の蓄積である」という認識である。またこれら100編以上の論考は繰り返し同じ建築家、同じ自作に言及もしておりそのぶれない主張には目をみはる。
時間の話で言えばヒルサイドで槇はフェーズごとに差異を与え時間差を刻印した。その昔横浜アーバンデザインコンペで佳作をとったとき審査委員長の槇は海の上に突き出た都市の文脈を一見破壊しそうな過激な案を最優秀作としてこう言った。「建築は常にモデルネを刻印するものであるべきだ」と。忘れない一言である。そしてこの槇のコメントは50年間一貫しているわけである。

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by 卓 坂牛

朝オオクラの周りを走っていたら菊池のおばさんの美術館のポスターを見る。清水九兵衛の展覧会やっている。明日選挙の帰りにでも見に行こう。清水九兵衛といえば赤い彫刻が僕の仲では印象的。帰って朝食を食べていたら隣に引っ越して来た方がご挨拶に来られた。クッキーをいただいた。この包装紙の青と赤の配色がクール。

都市の集中化

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by 卓 坂牛

朝ホテルオオクラの周りを通る。新しいオオクラの巨大な鉄骨が地上に顔を出す看板を、見ると延べ床18万平米。最近出来た赤坂インターシティお潜り抜けミッドタウンで朝食を買って帰宅。家の周りは工事中だらけ。赤坂、六本木、虎ノ門でこれまで完成したものが150万平米、これから出来るものが100万平米。都市のコンパクト化、集中化は理があるが大きなビジョンがあるのかな?

意匠論

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by 卓 坂牛

意匠論なんてやっていると「そんなもの時代遅れ」と言われるので意匠論応援団になってくださいと香山先生にいうと。それは意匠論の宿命なんですよと言われた。現代もそうだし、香山先生が赴任した頃も意匠論なんてやらせてもらえる雰囲気ではなかったそうだ。そして古くは30年代もそうでしょうという。確かに谷口吉郎が1938年に建築雑誌に書いた「建築意匠学・序説」を読むと其の序には「意匠とは建築の添加物のやうにも思はれて、建築學の重要學科から押し退けられてしまつている」そこで「「建築意匠學」の出発点を明確にしたい」と言書いている。しかしその内容は建築學全体の分類にとどまり意匠學のなんたるかについては書かれていない。 

人口の奪い合い

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by 卓 坂牛

先日紹介した本に2010年から2015年の人口増加率の23区の順位は上から千代田区(24%)、港区(18.6%)、中央区(15%)とありこの要因はタワーマンションと指摘していたが、本日紹介する本(野澤千絵『老いる家崩れる街ー住宅過剰社会の末路』講談社現代新書2016)でもやはりタワーマンションの林立を問題視している。1980年後半から2013年までに都内では550のタワーマンションが作られその6割が湾岸6区(中央、港、品川、太田、江東、江戸川)に集中しているという。なぜここにかというと湾岸エリアにオリンピック施設が集中すること、都市計画規制の緩和を大幅に行っているからなど人口減少した過去の反省から人口を呼び戻そうというわけである。しかしこの呼び戻しは現状予定よりはるかに越えたためすでに教育施設不足などが発生しているという。そしてこうした人口の奪いあいは湾岸タワーマンションに限らず日本全国様々な場所で行われ、計画性の皆無と言える滅茶苦茶な住宅、賃貸住宅の乱立を招いているという。著者は幾つかの提言をしているが、やはりバランスある開発と総量の抑制が必要と思われる。

日本は建築しやすい国?

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by 卓 坂牛

モネオ3姉妹と刺身を食べに出かた。ママが日本食を好まないので食べるチャンスが無かったようだ。ベレンはスペインの経済危機で国内ではこの数年全く仕事が無くラテンアメリカに打って出た。メキシコで素敵な教会を完成させ、ドミニカでホテル、ボゴタでコンプレックスを設計中。日本も経済が停滞でと言うと笑われた。日本の住宅展を見てきたそうで、若い人が、実験的な建築をあんなに作れる国は世界には無いと言われた。論点かややずれたが彼女の言いたいことは分かる。しかし、日本にしか無い巨大事務所が残す唯一のビルディングタイプが住宅なのだと説明すると、それでもそう言う最初の一歩を踏み出す可能性があるだけいいでは無いかと諭された。やっぱ日本は建築しやすい国なのかも。

ラファエルの事務所を継がないのかと聞くとどっちがいいのだろうかと悩ましい顔をしていた。仕事が増えるでしょうと聞くと、そんなことはない。と言っていた。

ラファエロ・モネオとベレン・モネオ

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by 卓 坂牛

数日前に突然ベレン・モネオから今週日本に行くことになったのでというメールが来た。彼女の父親ラファエロ・モネオが高松宮記念文化賞を受賞したからである。ベレンとは何年前か忘れたがグアテマラに二人とも招待されてレクチャーをしてコンペの審査などを一緒にやった。ベレンの夫のジェフともその時知り合い12月にはジェフが理科大でワークショップをする予定である。彼らは2年前子供と一緒に来日して一緒に東京で建築を見て回った。リーテムも見てもらいとても気に入ってもらった。グアテマラに呼んでもらった時に向こうの大学にいたルイス・フェルナンドはその後僕の研究室に文科省の給費留学生でやってきて修士を卒業してすでに帰国した。
ラファエロ・モネオの建築の話を今日聞いて改めて素晴らしい建築家であると思った。特に自分のスタイルを強く主張するのではなく周囲の状況にいかに融合させるかが彼の真骨頂である。サンセバスチャンのホールはガラスでできていて雑誌で見ていると少々派手だが行ってみるとあの建物があそこにある理由がよく分かる。きっと彼の建物は皆そうなんだと思う。こういう建築家の生き方があるのだなと今日思った。ベレンは今マドリード工科大学の先生をしている。別にテニアではないしアカデミックな世界に身を没入する気はないけれど理科大と交流しようということを今日決めた。まずはアグリーメントを結ぼうと約束。
ベレンはハーバードで学部を出てコロンビアで修士を出ているので私の友達との接点も多い。先週来たチリの建築家であるエンリケ・ウォーカーもよく知っているという。なんと世の中狭いことか。友達の友達は友達というのが世界の建築界である。