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Oct 2017

100人のワークショプ

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by 卓 坂牛

毎年のことだが、来る前は忙しくて来るのが面倒臭いと思うのだが、来ると満足して帰ることになる。その一番大きな理由はゲストのお話しが面白く、そのノリでWSをやることで自分が拡張した感じを、得るからである。
今年のゲストはUDSの中川さん。建築企画の専門で出身も社会学である。運営目線でものを考えることが建築のデザインをいくらでも変えられると教えていただいた。
100人を超える学生は九州からもやってきた。渡辺真理さん、木下さん、山代さん、安原さん、西澤さん、今村さん、川口さん、高橋真さん。ご苦労様でした。

建築トークイン上越

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by 卓 坂牛

今年は100名を越す参加者で、我々もびっくり。理科大も工学、理工の両方から沢山の学生が参加しています。明日の議論が楽しみ。

Izquierdoのレクチャー

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by 卓 坂牛

チリからルイス•エスキエルドとその息子クリスチャン•エスキエルド加えてルイスの奥さんでパートナーのレーマン、コロンビアの先生のエンリケ・ウォーカー、、ニューヨークのアーティストが理科大を訪問。チリ建築を見せていただいた。建築を建築として作っている人は世界にはたくさんいるということがわかってなかなか樂しい。

ヴィドラーの第三の類型

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by 卓 坂牛

昨日磯崎がケネスフランプトンを批判していたのを見てちょっと気になるこの本を覗いてみた(アンドリュー・リーチ横手義洋訳『建築史とは何か』中央公論美術出版(2010)2016)である。リーチはおそらくまだ30代の若手の建築史家であり将来有望と言われている。内容は近代建築史史的なところもあり、ヴィドラーが書いた『20世紀建築の発明』のもう少し広く浅いものとも言えるだろう。この本から直接磯崎の言葉をどう考えたらいいかというヒントはもらえないが、歴史を批判的に扱うという姿勢からはメタなものの見方の重視する点で共通しているかもしれない。
僕としてはちょっと面白かったのはヴィドラーが1977年に記したThe Third Typologyという論考の紹介でたまたま手元に原書がありアブストに目を通してみた。この論考は当時のヴィドラーの目からみた建築を3つの類型に分類し、三つ目を比較的重視した言い方になっている。そしてその3っつとは、
第一の類型:自然を基礎とする→自然とはロージェの言う原始の小屋のようなものだが自然科学のようにわれわれのガイドラインとなるものでもある。
第二の類型:産業革命を基礎とする→機械文明の中で生きるための建築。技術のユートピアとも言える。
第三の類型:自律性を基礎とする→自己言及的。使用される幾何学も自然的でもなく技術的でもなく建築的である。
この三つの類型は現代でも有効な類型と思われる。現代的に言えばエコロジーは第一の類型であり、ソーシャルは第二の類型である。そして今でも第三の類型はあり得るということである。もちろんこれらはある程度融合して建築はできるのだと思う。

芝生養生

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by 卓 坂牛

近所の檜町公園では芝生広場があり休日は家族連れやカップルが、シートを敷いてピクニック気分で楽しめる場所。なので芝生は直ぐ傷む。傷むと半分ずつ養生する。オレンジの柵で囲み、白い透湿シートのようなものをかけて10日。今朝シートがとられていたがさあお立ち会い。見よこの蘇り方。

何を見習うのか?

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by 卓 坂牛

大学院の製図の中間発表を聞き思う。環境建築が大きなテーマなので自然からアナロジカルに見習う学生が大半である。差が出るのは何かというと、見習うモノが建築に使えるモノかどうか?それが既存の建築を変えられるモノかどうか?この二つである。建築にならないモノ、建築を変えられないモノを抽出するのは即刻止めよ。時間の無駄。

日本建築思想史

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by 卓 坂牛

近代建築における構造の扱いを博士課程のO君とずーっと見ている。それは作品と言説双方からおっかける作業なのだが、言説史を知る上で磯崎のこの本『日本建築思想史』太田出版2015を読んでみる。堀口、丹下、磯崎、妹島の4人が思想史の変節点であるとの指摘である。それが正しいかどうかを完全に判断するだけの知識はないが、納得のいくものである。構造を追うという意味では、堀口は同時代で言えば構造に主張のある人ではない。そもそも構造派からの落ちこぼれという書き方をされているくらいだから。しかし実はその時代には後藤、森田という意匠構造派がいるわけである。さてそれあ置いておいて丹下も構造を表現しているし、美しいものは機能的という苦肉のアンチを打ち出している点で意匠構造派にいれることは可能だろう。そして磯崎も群馬で構造フレームを作為的に作っているのは意匠構造派と考えても良い。
ところでこの本で一番面白いのは建築思想家は接続と切断が必要だという主張である。これは先日読んだ本の正しい読み方の橋爪大三郎の言う本には思想があり思想は下敷きとしている思想(接続)と対抗する思想(切断)があるということと同じ謂なわけである。そこで磯崎曰く妹島は自分の世代の持っている建築的な常識を全て切断してたという。これはひとつ面白い。もうひとつ面白いのは4人の話と関係ないが、建築史家の話でイギリスには磯崎の少し上の世代にコリン・ローとジョゼフ・リックワートがいて思想的な歴史家として尊敬していたがその少し後から出てきたケネス・フランプトンは歴史を表層のファッションに接続してジェンクスト同レベルになってしまったと述べている点である。確かにローとリックワートの語りは形而上的でありジェンクスやフランプトンは物自体のところがある。

建築トークイン上越2017

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by 卓 坂牛

建築トークイン上越2017今週末開催です。このイベントが来るとああ一年経ったと感じます。たくさんの学生と話をするのが楽しみです。

カタルーニャ独立

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by 卓 坂牛


朝の公園を散歩しながらカタルーニャのニュースを聴く。親友のことが気になる。
僕が博士論文の主査をしカタルーニャ工科大学の教授エンリック•マッシブボッシュは熱狂的独立派である。先日、僕の研究室からカタルーニャへの留学希望者がいてメールしたら返事は即返って来たが独立すれば当然大学のシステムも変わるだろうから、決まり次第また連絡するとのことだった。EUからも離脱させられるかもしれないし、いいことも悪いこともありそうで心配である。

サテライトオフィス提案

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by 卓 坂牛

昨今総務省は地方活性化の一環として空き家利用のサテライトオフィス活用を支援している。私たちがまちづくりをお手伝いしている富士吉田市でも空き家をオフィスへという計画を日本女子大学宮さんと一緒に進めている。今日は市民の方々との意見交換会。市役所の方、まちづくり協力隊、市民の方々にお集まりいただきました。