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Nov 2017

寺の集会場

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by 卓 坂牛

寺の集会場を計画中。暮石みたいな箱の中に柔らかい天井を吊ろうと考えた。ふと2分割したいというクライアントの希望を思い出した。柔らかい天井は分割には不向きかな?さてどうする。昔幕張メッセのコンペで空間を分割しやすいように天井は平らにと言う条件をさらりと破って軽やかな屋根を載せた槇さんが勝った。と言うこともある。

大江宏

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by 卓 坂牛

jog arch 18 大江宏は丹下、浜口と東大の同級生(1913生)。建築家ではそんなに多くない芸術員会員でもある。地味な存在で作品も丹下のような華やかさはないが有名な法政の校舎以外も渋くいい作品が多い。先日お見せした乃木会館も独特の細い線が特徴的。本日は屋根2題。メキシコ大使館(1963)と東京讃岐倶楽部(1972)。モダニストでありながらちょっと変化球を混ぜて洒落たことをする。 

照明計画

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by 卓 坂牛

勾配天井の照明を考えている。平らな天井にスリムラインと斜めの梁間にバルブを並べるというのはどうだろうか?器具の種類は極力少なくはいつもの方針。そしてDLは一切使わない。僕らはいつも器具の個数は平米あたりのルーメン数を参考にしてきた。LEDになって勘が鈍る。

ブルドーザービル

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by 卓 坂牛

jog arch 17 その昔コマツビルの屋上には真っ黄色の巨大なブルドーザーが乗っていた。最近でこそビルにゴジラを乗せたり宣伝に余念がないが50年前では稀有だろう。僕は建設機械の世界二大巨頭コマツの名をこのビルから知った。

増沢洵、中山克己の共同設計鹿島建設の施工で1966年竣工。パレスサイドビルと同い年である。外壁は帳壁ではなく耐震壁。六角形の開口が外壁にパターン模様を描く。材料は白系の大理石であっさりと、窓周りのディテールも静かにまとめてある。

二酸化炭素に弱いので外装に大理石の使用を認めない事務所もあるが、近くで見ても未だ元気そうである。厚さは何ミリだろうか。

このビル屋上に庭園があって週一回一般開放している。地域のシンボルビル。大事にしたい。

 

 

2121

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by 卓 坂牛

2121に野生展を見に行ったら左サイドで吉岡徳仁のガラス展示が行われていた。太陽の光がガラスに吸い込まれていた、野生と言えばレヴィストロースを連想するが『野生の思考』が未開人のトーテムと部族の構造に関するものである(正確にはよくわかっていないが)のに対して、この展示でのそれは、人間各自の脳内に残された飼いならされていない領域へどのようにして到達可能かを模索する。そしてその方法を南方熊楠の縁起に求める。今日の2121は半分以上フランス人。

ワードローブを小さくしよう

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by 卓 坂牛

ジェニファー・L・スコット神崎朗子訳『フランス人は10着しか服を持たない』だいわ文庫2017を読んでデンマークで教え子に言われたこと思い出した。彼は日本で履いていたオニツカタイガーの靴をデンマークでもずっと履いていたし、着ている服も毎日同じだった。「こっちの人は服は滅多に買わないけれど買うならいいものを買って毎日着ていますよ」と言う。王立アカデミーで教えているレネも同じ服。日本に来ても同じ服だった。
この本の話はフランスだけれどヨーロッパでは割とみなこういう感覚で生きているのかもしれない。そもそもだからこういう本を書いた著者はヨーロッパ人ではなくて消費大国アメリカの人なのである。パリで暮らして驚いたわけである。この本が日本でもベストセラーになるというのはまさに日本もアメリカ同様の消費大国だからなのである。かくいう私もそんな消費大国の消費人間でありこの本を読み驚いている。
先日大谷のお家を見た後で感想をメールしたらそのメールの返信に我が家に来ると次の日から自分の家の押入れのものを捨て出す人がたくさんいるんですよと書いてあった。彼のファミリーはまさにワードローブに10着しか服のない家だった。10は無理にしても、必要なものを必要なだけ着て、食べて、暮らすそんな生活を目指したい。そしてやりたいこともやりたくないことも楽しくやる工夫をして肩肘張らず静かに着実に生きていきたい。と思わせてくれる嬉しい本でした。

街中の小さなオフィス

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by 卓 坂牛

jog arch 16 東京の特徴的都市構造は幹線道路沿いを商業地域として容積率を上げてその後背地を住居系にして容積率を下げスモールスケールの空間を担保している。そんなエリアに小さいけれど個性的なオフィスやお店があるのが青山あたりの楽しさである。永山祐子さんの湾曲したファサードは9年経っても不思議と汚れていない。北川原さんの395は30年経ってすっかり街に溶け込んでいる。中村さんのjewelry boxは246沿いだが何故かスモール。ガラスが波打っている。   

バブルの頃

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by 卓 坂牛

jog arch 15 僕が働き始めた頃世の中はバブルになり始めた。その勢いが当時世に出始めた中堅建築家の背中を押したのは明らかである。1987年 麻布エッジ 鈴木了二。1991年  南青山fビル 伊東豊雄。1992年 スカラ 北川原温。こうやって見ると20年以上経っても設計の空気は変わらない。ちなみに僕は1988年のSDレビューに河口湖T計画を出した。ずいぶん変わった。

サンクチュアリ

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by 卓 坂牛

年末恒例国際ワークショップのテーマをジェフと議論中。彼の提案はサンクチュアリ。コーヒー一杯で敵も味方も老若男女もその差が消える空間。助教の常山さんにこれを東京のフレームに入れたらどうなる?と問うたら銭湯♨️はどうでしょう?との答えが返ってきた。富士吉田のプロジェクトを一緒にやっている宮さんが銭湯作りたいと言っていたのでこの偶然に驚いた。そこで横にいた宮さんに銭湯流行っているのと聞くと建築女子の中ではちょっとしたブームとか。

日建の都市開発

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by 卓 坂牛

先日日建の大松さんとすれ違い、「本読んだ?」というから「何を?」と聞くと「日建の都市開発の本作ったから送るよ」と言われ、さきほど届いた。日建の都市開発図鑑である。まあ大体知っているもの。全体的に見やすくてわかりやすいのだが、もう少し玄人向けにつくったらどうだろうか所詮専門誌なんだから。苦言を呈するなら巻頭の文章があまりにプア。これ読んで少しげんなりする。歴史的説明のこれからの展開の説明がまたあまりにお粗末。これからこそがこの本の主眼ではないのか?都市が数十年後に縮小へ向かう準備が語られなければ片手落ちでしょう。これまでの右肩上がりの時代を懐かしんでも仕方あるまい。