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Nov 2017

じじと孫

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by 卓 坂牛

jog arch 11六本木の交差点を少し麻布の方に進むと右側に地上げされて駐車場になったボイドがある。そのボイドの片隅に大高正人が設計した全日本海員組合本部がある。1964年の建物である。その昔大高事務所でバイトしてた時は美術館の天井模型を1/20で作り目地のスタディばかりしていた。なのでRCなのにこういう繊細なデザインをする気質がなんとなくわかる。そして二本の柱がすっと通ったモダニズムである。六本木から外苑東通りを青山通りと交差するところまで行くとホンダビルの裏に新居千秋さんの集合住宅がある。柱ばかりか梁も通さず左右に上下にずれるさまはさながら彼のトークの如し。二つの建物は44才違う。親子どころか爺さんと孫。

方法論

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by 卓 坂牛

ウィーンに行っている平田がゼミにスカイプ参加。工科大のスタジオはゼセッションの増築。毎回美しい絵葉書のような写真、レタリング、ドローイングのコンポジションを作ってくるように言われるとのこと。こういう教育は大事だと思う。ウィーンからの留学生アナのエスキスチェックを見ていた研究室の学生は気づいていたと思うけれど、彼女は毎回小さなトレペに数色のサインペンで同じスタイルのスケッチとレタリングで思考を定着させる。そのスタイルはいずれ作るもののスタイルを規定する。そういう訓練は学生時代からするべきことかもしれない。
日本は作文でも絵画でも自由を良しとするが、作文は明らかに悪害多し。方法論も基礎はやるべきなのだろう。

都市のグレーゾーン

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by 卓 坂牛

江ノ電沿線の空間分析をしている学生の写真を見ると実に面白い。電車線路が様々な私の用に供される。こういうグレーゾーンがなぜ生まれどのように維持されどう街に生きているのか?こういうグレーゾーンが都市に多様性を与えるのだと思う。生物は多様性が失われると絶滅するように都市も多様性が失われると荒廃するのである。

 

セセッッション式

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by 卓 坂牛

昨日の分離派研究会でアールヌーヴォーを広く日本に知らしめたのは伊東忠太と武田五一だという話があった。たまさか研究室に武田五一が大正15年に書いた『住宅建築要義』を開いてみると、第1章住宅建築史であり一節が日本住宅史、二節が西欧住宅様式史で一項イタリア、二項フランス、三項ドイツ、四項イギリス、五項その他欧州、六項アメリカである。アールヌーボーはフランスのところで紹介されている。セッションはドイツ。セセッションがセセッション式と紹介されているのも昨日のお話とおりである。面白いのはこの本の構成。武田五一が著者ではあるが、二章は住宅建設の準備、ここは設計のことが書いてある。部屋は何が必要で、方位はなど。三章は構造法一般で基礎、壁、床、屋根などが書かれている。そして四章は装飾、5章は衛生設備、六章は日本住宅の注意と称して、風呂、便所、押入れなどが書かれる。これも衛生設備ではあるが特に注意ということか。7章は付属建築と題して茶室、門、庭園などである。このころ設備と意匠という厳格な区分がないことが分かる。また装飾がしっかりあるのもやはり1911年という時代だろうか。面白い。 

大江宏の細さ

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by 卓 坂牛

jog arch 10 赤坂通りが外苑東通りの下をくぐる手前に乃木会館が建っている。大江宏独特のバルコニー。線が細い。半世紀前の建物には見えない。

オフィスビル2つ

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by 卓 坂牛

jog arch9 その昔篠原先生が世田谷に住んでいるころ新年会で一度だけお会いしたことがある。日建の先輩でもある。林さんに異議申立てをしてお辞めになった山下和正さんの1978年の作。ペガサスビルは 外苑東通りに建っている。角をキャンチレバーにし、深いバルコニーで開口を消し彫像のように作っている。開口がないということでは、伊丹潤の赤坂Mビル(1993)は道路側開口は皆無である。側面にはあるがもちろん隣地には建物がある。

おほ

innsomniaという名のホテルのカフェ

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by 卓 坂牛

このカフェ、ホテルのエントランスを兼ねているから24時間open。それはいいとしてこれだけ空間にゆとりを作るのはどうしてだろうか?何が意図があるのでしょうか。でも気持ちいねえ。余りに椅子がないのでカフェだと気づくのに1ヶ月かかった。

分離派建築会誕生100年を考える

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by 卓 坂牛

分離派建築会誕生100年を考えるという研究会は発足5年。東京、京都で交互に研究会が開かれてきた。数年前から連続シンポジウムになり今日は3回め。テーマはメディアと建築家。大正に入り多くの建築雑誌が発刊されそれにより二つのことが起こる。

1)国家の建築を作る主流を構造派に奪われた分離派は国家的なものではなくメディアで流布される、商業的なものへ傾倒する。

2)分離派が生まれたころ博覧会に作られた14のモデル住宅が文化村と言われメディアを通して一般の中流層に浸透する。

メディアは何に対しても常にギブアンドテイク。よくも悪しくも。

今回の企画は坂牛研でPDしていた天内君。彼自身も東京博覧会の建築群を紹介。堀口はこんなこともやっていたわけだ。面白い。

 

違ったかもしれないモダニズム

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by 卓 坂牛

翻訳中のウィグリーの『白い壁、デザイナーの服』と先日田所先生に頂いた『ビフォーザバウハウス』は親戚みたいな本である。両方とも近代建築史は 作られたお話であるということを主張している。そしてその捏造の主犯はギーディオンでありグロピウスである。本当の歴史を知っているのはムテジウスだと。ムテジウスはバウハウスの前にあったドイツ工作連盟を作りそこで全てのデザインに定型を求めたがヴァン・ド・ベルデたち芸術家肌の人たちに反対され彼らは定型ではなく個性を主張した。
どうもこの個性派が服をたくさん作り、装飾を重視した。ここにモダニズムとファッションの戦いがありファッションは負けてモダニズムが近代建築史というテキストを制覇したということなのだろう。ファッションが勝っていたら僕たちは全く違ったテキストとエピステーメのもとに違う建築を教えられていたのかもしれない。

セータービル

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by 卓 坂牛

jog arch 8 Japan Architecture Mapと言うアプリがありこれを見たら近所に北川原温さんのオフィスビルがあった。スクリーンデザインだけど、よくあるそれとはディテールが一味違う。色もいい。ミナ・ペルフォネンのセーターみたい。