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by 卓 坂牛
朝からCasa casa ビデオ撮影。ディエゴのことだから、また思い切り生活臭のある映像になるのだろうな。
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by 卓 坂牛
出来た時(2002)かなり話題になったナチュラルエリップスと命名された卵のような物体。円山町にある。初めて見たがとなりの建物と並べて見ると曲面で斜線をかわしているのがよく分かる。外装はFRPだろうか?白いボートのようにも見える。ガラス開口は壁面に殆どないので採光は主にトップライトからである。設計は遠藤政樹と池田昌弘。
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by 卓 坂牛
我が家のはす向かいに赤坂の場末のジャズバーがある。ジャズと言ってもかなり古めの曲がかかっている。帰宅前にたまによる。ここに来ると時間が止まっている。
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by 卓 坂牛
このお寺に通い始めてもう10年経つだろうか?2代前の住職の息子さんが養護施設のオピニオンリーダーで10年間生きた勉強をさせていただいている。改めて本堂見るとなんと立派なことか。
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by 卓 坂牛
白井晟一52才、私が生まれる一年前(1958年)の作品。善照寺本堂。家と家の隙間から忍び込むようなアプローチは昔からだったか?
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by 卓 坂牛
昨日の香山セミナーでの驚きは香山先生にヴェンチューリが与えた影響の大きさである。そしてそのキーワードは「習慣」「ハビトゥス」だった。何かを変革して新しくする、過去と断絶して革命的なことをするというモダニズムに対して、生活の基礎であるハビトゥスから建築を考えるという態度はヴェンチューリが根っこだったのだということがわかった。坂本先生も最も影響をうけた建築家はヴェンチューリである。おそらくこの時代のかなりの建築家がヴェンチューリの影響を受けているのだろう、しかしその現れ方は様々である。いや様々だからこそそれがヴェンチューリの影響なのだとも言える。
それにしても昨日のセミナーは久々に痛快だった。現在の我々が直面している問題を形という側面からお話されていたからである。社会でも哲学でもなく最後は形、人間は言語を使って話すが、形を使っても話すのだと力説された。哲学を振り回し、計画学を叫び、歴史(のみ)に拘泥する学者、建築家を串刺しにして葬り去ったのは痛快であった(これは2次会の話)。
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by 卓 坂牛
昨日の香山先生の話を聞き、様式、あるいは形言葉が目につく。ネオルネサンスと呼ばれる銀座和光旧服部時計店は1932年渡辺仁の設計。戦火を潜り抜けた銀座の顔。実はこの建物はこれでも2代目。初代は1894年に作られた。
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by 卓 坂牛
日本建築学会の建築論建築意匠小委員会主催で香山先生をお呼びしてお話しいただきそしてディスカッションした。タイトルは「建築論の問題群」場所は香山先生がコンバートした伊藤国際研究センター。議論は白熱した。
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by 卓 坂牛
坂倉準三が建築家を志してフランスへ渡ったのは、東大文学部美学美術史学科卒業後の1929年。コルビジュエのもとで5年働き帰国して事務所を開いた。そして戦後この日仏会館を設計する。キノコのような柱が特徴的(1951)。
や
岡田新一1970年の名作。日本歯科大体育館。夜景もいい。
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