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Mar 2018

BALCON

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by 卓 坂牛

木下道郎の打放しタワー集住(2000) has にはBALCONという名前が付いている。その理由はカードキーで開くエレベーターを降りるとバルコニーでそこがエントランスだからである。うまい!

高根ハイツ

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by 卓 坂牛

青木茂による昭和38年竣工のRC造4階建て共同住宅のリファイニング。高根ハイツ(2010)。既存建物の耐震診断でis値は0.9とかなり高かったようで主として老朽化した設備更新がなされたようである。マンションクリエイティブリフォーム賞審査員特別賞/グッドデザイン・特別賞(サステナブルデザイン賞) 受賞。

金属被覆

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by 卓 坂牛

有名建築家の建物が隣り合わせで建っていることがたまにある。長谷川逸子1986年のこの建物は長谷川さんがパンチングメタルを使い始めた記念すべき建物。富ヶ谷のアトリエという名前だがテナントビル。その3年後に湘南台文化センターができそこでさらに大々的にパンチングメタルが使われる。そのはす向かいにワークショップ(北山恒、谷内田章夫、木下道郎)1991年の小さなビルT-LATTICEがある。こちらはこの黒い金属の壁が特徴的。このころ金属のクラディングが流行った。お金のある時代だったのだろう。

学部長表彰

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by 卓 坂牛

理科大工学部二部では年度末に学部長表彰を行う。学科毎に選考基準が少し違うが建築はGPAトップと卒計トップが表彰される。毎年どちらか、あるいは両方僕の研究室の学生が受賞している。何故かGPAの高い学生もよくやってくる。嬉しいことである。今年はなんと坂牛研の中村さんが一人で両方受賞した。他学科の先生もびっくり!おめでとう!

ギャラリートム

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by 卓 坂牛

ギャラリートムは東大哲学を中退、前衛美術集団マヴォの結成者の一人でもある村山知義の息子村山亜土と妻治江によって開設された施設美術館。二人の息子錬が視覚障害であり彼のため、手で触って作品を鑑賞する美術館として生まれた。ギャラリー名トムは知義のサインからとったという。建物は内藤廣1984年の作品(処女作)。コンクリートの箱に斜めに鉄骨の梁をかける単純なラディカルさが30年以上たっても新鮮。

屋根

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by 卓 坂牛

切妻の美しい勾配を考えていたらどんどん平らになる。1/20が限度。森博士の家も平らに見えて2寸くらいはある。

Apartment 傳

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by 卓 坂牛

1999年の東京建築賞最優秀賞受賞作Apartment 傳は環七近くの騒々しい辺りから少しは入った道に面している。設計は日大教授泉幸甫。全21戸とカフェが北アフリカのメディナのように巧みに配置されている。

ウィリアム・クライン

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by 卓 坂牛

ウィリアム・クラインの展覧会は去年Akio Nagashima ギャラリーで行われていたが、今日は天気もよく2121に散歩がてら見に行った。クラインは1961年に来日し東京という写真集を出す。表紙のロゴが有名である。2121の大きな壁に巨大に映し出される写真は迫力である。
ちなみにクラインは56年にnew yorkという写真集をだす。ロラン・バルトは1980年に『明るい部屋』を著しクラインの写真集の中の一枚に写るイタリアン人の貧しくも明るい様子という一般的な関心(ステディウム)よりもこどもの出っ歯という写真家の意図しない面白さ(プンクトゥム)に興味を示した。僕はクラインをバルトを通して知った。

人事戦争

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by 卓 坂牛

たまにこういうエグいダーティーリアルを読みたくなる。