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May 2018

観音寺

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by 卓 坂牛

その昔いつもこの観音寺の横を通って事務所に通っていた。子供が生まれるころ方南町に引っ越したが久しぶりにこのあたりを歩いていたら寺がラディカルに増改築されているのを見て驚いた。石山修武によるもので調べると1996年のことだった。改めてじっくり見てみると細長い敷地に見事におさまっているのに感心する。20年たってもディテールがよく、メンテナンスもいいのだろうとてもきれいである。

 

華やかソファー

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by 卓 坂牛

神楽坂プロジェクトのソファーは作り付けにしようと考えていた。ワイドが3000近いので既製品があまりないから。しかし見積もりが結構高い。そこで既製品も探してみることにした、昔使った家具屋さんAREAに行ったらrocheboboisというフランスの家具屋に変わっていた。でもそこのソファが結構いい。デザイナーはZeno Nugari。ほとんどディベッドのような水平ソファーに背もたれは勝手に好きなところに置くというシステム。柄がなかなか派手でその布はミッソーニ、ケンゾー、ゴルチエもの。このソファは食事の時にも使いたいのでsh=380の硬めの水平座面と自由に動かせる背は機能的にはぴったり。加えて暗〜いシックな内装に花を咲かせる意味ではいいかも。

ホルヘモンテスチェア

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by 卓 坂牛

今から6年前、2012年の夏にグアテマラのLa Cátedra Jorge Montes と呼ばれる建築家ホルヘ・モンテスの名を冠した建築国際会議に招かれ、その後この会議に深く関わったグアテマラの学生が国費留学で僕の研究室で修士をとり昨年帰国した。その学生が母校ITSMO 大学で教え始め、この国際会議に再度関わっており、私に参加を依頼してきた。今年はワークショップも行うということなので学生も連れて行きたい。そこで何をするのかを今メールでやりとりしている。最初の提案は大学のそばの古くからあるコーヒー農園の中にプレヒスパニックのマヤの時代の遺跡があるのでそれを中心にコーヒーの歴史資料館を設計するのはどうかと言ってきた。グアテマラといえばコーヒーだしマヤだから双方揃っているのはなかなかな興味深い。写真を送ってもらうように頼んでみた。ところで前回行った時はキャンパスが新しくなるとのことでアメリカのsasaki assoiates の設計したパースが掲げられていたが果たしてそれはできたのだろうか?

 

HOTEL CLASKA

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by 卓 坂牛

目黒通りにホテルCLASKAという築34年のホテルをリノベしたホテル+ギャラリー+スタジオ+ショップ+レストランがある。UDS、インテンショナリーズ、トラフ等が参画して2003年に完成。なので通算50歳くらい。HPを見るとhttp://www.claska.com/hotel/index.html外観は少し疲れているが内部は面白そう。客室はmodern, tatami, contemporary, DIYとそれぞれのテーマで18平米から48平米まで値段も室料で17,000円から30,000円までとリーゾナブル。

 

プリーツ

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by 卓 坂牛

プリーツの本があってそれを見ていたらつい折ってみたくなり折っていたらこれは使えると思うものをいくつか見つけた。プリーツは多く折板構造をインスパイアするけれど板金の処理にも使えるものが色々ありそうである。例えば壁をはぜで葺いて上下でねじって倒すと流れるようなラインができる。職人さんが泣くかな?

熊谷守一美術館

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by 卓 坂牛

2012年にJIAの25年賞をとった建物の一つに熊谷守一美術館がある。設計は岡秀世+I.C.D建築設計。1985年竣工。つい最近まで国立近代美術館で個展をやっていたがそこにはなかったものに熊谷の書がありこれはなかなか素敵である。館長が娘さんで展示品に娘のコメントがあるのも面白い。豊島区立となっているので運営費を区がまかなっているのだろう。

西早稲田

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by 卓 坂牛

結婚して最初に住んだ西早稲田を夫婦で本籍地とした。結婚式の夜に友人達が押しかけ朝まで飲み、異口同音に早稲田出身でもないのに大隈講堂(佐藤功一、佐藤武夫、1927) 脇に住んで本籍地まで変えるって意味不明と言われたが、別に理由はない。敢えて言えば、地縁、血縁、国籍、所属、の類が嫌いだから。でもこの辺りは日本屈指のいいアーバンスペースで未だに時間があるとふらりとやってくる。なので早稲田の文化構想学部て教えていた時は気分が良かった。ずっと教えていたかったが母校からの要請で早稲田は終わりにした。

建築の生まれる時

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by 卓 坂牛

槇さんは設計と文章を書く事は創作の両輪だと言っていたと川向さんに話したら、槇さんの文章は竣工後の感想であると言う。それでもその感想が次の設計の起点にはなるでしょうと言うと頷いていた。しかし、、起点といえどもやはり創作とは文章のような論理性からではなくもっとドロドロした感覚で生まれる、伊東豊雄もそうだと川向さんは言う。確かに恩師篠原も言葉を大事にした建築家ではあるが、やはり創作の瞬間は絵であり模型なのだろうと思う。言葉で建築ができるのなら千枚もスケッチ残すまい。建築が生まれるのはいつ何によってなのだろうかと自分を分析してみる。自分のスケッチのあるいは模型のあるいは文章のどこでそのプロジェクトの方向がきまるのだろうかそしてそれはどういう理由によるのだろうか?

レーモンドの教会

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by 卓 坂牛

アントニー・レーモンドは50年代半ばに東京に3つの教会を設計した。その一つがこの聖パトリック教会(1956)。東長崎の駅のそばに建っている。正円、正方形の窓が並ぶ楽しいファサード。建物のコーナーの面取りで水平になった屋根の端部に三角形が現れている。後方に回ると直方体を重ねた塔が見える。

アウェイ感

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by 卓 坂牛

年度始めで副学長と将来ビジョンのお話しをして改めて思う。建築以外の工学の人は基本的にミクロな眼を持っていて価値観を共有している。よってインターディシプリナリーな議論ができるし必要となる。一方建築は?副学長は建築はディシプリンが確立しているのでいいですねとさらっと皮肉をおっしゃるので相変わらずのアウェイ感。まあこれは工学の中にいる宿命。まあそれでも共通点も多々あるのでよろしくお願いします。