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Jun 2018

たかはら自然塾

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by 卓 坂牛

茨城町廃校再建委員会(私は顧問)で日立市の山間部にある廃校再建した「たかはら自然塾」を視察。ほぼ限界集落に近い場所に農水の補助1.1億、県の補助1千万、市が1.2億出出し9年前に完成。運営は地元の方が交代で行う。運営もなかなかトントンにはいかないようだ。それにしても予想以上に立派。写真に見えているのは新築。この後ろにリノベ棟が建っている。旧校舎は陸屋根で防水がボロボロなので勾配屋根を載せた。

東工大蔵前会館Tokyo Tech Front

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by 卓 坂牛

UCLAから帰国した頃(1985)日本の建築の流れが変わったと思う。坂本一成、伊東豊雄らが生きられた家を実現化し始める。イクスクルーシブな篠原建築に二人はインクルーシブな立場を示す。UCLAでインクルーシブなムーアの教育を受けて来た坂牛の修論は篠原先生が退官前年という理由で篠原坂本共同指導となった。しかし実質的には坂本先生に見ていただいた。イクスクルーシブな自分の中にインクルーシブな思考が成長した。坂本先生との出会いは大きかった。これがなければ今の自分はない。

坂本先生のエッセンスは住宅に凝縮しているが、この東工大蔵前会館Tokyo Tech Front(2009)にもさまざまな形で坂本流が現れている。大学の門をとっぱらたのもその一つである。

個人空間の崩壊

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by 卓 坂牛

近代に入り音楽も美術も聴くもの見るものを対象化して専用の場所を発明した。イーフートゥアンは加えて、大騒ぎの食事にマナーが生まれそれにあった食器と空間が整備された。観客と役者の一体化した劇から純粋に見る劇が生まれたと言う。こうした近代のセグメント化は建築的には個室を整備しプライバシー概念を生み出した。

しかし21世紀はそうしたセグメント化を瓦解し前近代に戻すようなベクトルが働いている。観客と役者の境界を取り払うイマーシブシアター、個の自律より繋がりの重視、分節を排除したプライバシー概念の希薄な住宅、機能分化しないワンルーム。しかしなんでもかんでもセグメントを崩壊に導く必然もない。特に個を見つめる空間などは重要である。

百年記念館

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by 卓 坂牛

篠原一男のもとで学ぶことを勧めてくれたのは高校の先輩である富田玲子さんだった。象事務所に遊びに行くと富田さんと大竹さんにこう言われた「大学なんて何も教えてくれないから事務所で働いて早稲田の第2理工(夜間)に行くといい(でももうその学校はなかった)、、作っている先生がいる学校がいい」と言って出た名前が篠原一男だった。今考えるとこの意外な組み合わせに驚く。人生本当にアクシデントである。
大学院の時この百年記念館(1987)の設計が始まっていてその仲間の端っこの方に入れていただいた。先生はエーロサーリネン記念招待教授でエール大学と東工大を行ったり来たりしていた。ある日あの形のスケッチが現れた。アメリカで描いていたのだろうか?ハーフシリンダーが折れ曲がっているのがかっこよかった。実施設計しているころ僕はUCLAに行ってしまった。ちょっと残念だった。帰国すると工事が始まった。構造の木村俊彦先生が全部が完結して成立する構造なので工事中に地震が来ると壊れると言っていた。

感情のコトバ

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by 卓 坂牛

建築を定着させるのにコトバが必要である。そのコトバは現代的なアクチュアリティが内在していて欲しい。そう考えると昨今の哲学的問題系と連続しているのかもしれない。そうした問題系のひとつに感情、感性がある。美学が感性に依拠する学問が感性から離れて今また感性を見直していたり、脱理性の流れが随所に見られる。建築にも感性、感情を位置づけたい。しかしこれがことの外ややこしい。あまり深まらない。そもそもコトバにできないから感性なんで、コトバに出来るなら理性な訳である。

清家先生の管理棟

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by 卓 坂牛

2年生から始まる専門の製図の最初の課題は清家先生設計の事務局一号館(1967)の着彩パースである。残念ながら先生はその前年定年で芸大に異動された。この建物は当時管理棟と呼ばれ学長がいる建物だった。半世紀経ったがコンクリートはとてもきれいである。

黄昏

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by 卓 坂牛

本日は配偶者は書展の打ち上げでいないので吉池で買物。店を出ると空か黄昏ているので思わず一枚。さて帰って食事にするか、もう一仕するか?0時までまだだいぶ時間もあるし、、

グロピウス批判

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by 卓 坂牛

本日のウィグリー翻訳のクライマックスはコリン•ローによるグロピウス批判。ローおよびローの弟子たちはグロピウスの建築工業化の思想、バウハウスの匿名デザイナーの育成は作家性の欠如した商業主義だとして揶揄した。特に標的になっていたのはガラスカーテンウォールである。ウィグリーはグロピウスは建築史からハブられたとまで書いている。しかし21世紀の日本にいる私にはよくわからない。20世紀半ばの欧米ではそういう空気があったのだろうか?バウハウスシンポジウムで聞いてみみたい。

東工大70周年記念講堂

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by 卓 坂牛

オブジェクト問題を考えていたら急に東工大を見

たくなった。雨の中久しぶりにキャンパスを走る。スキー部時代はとにかく走って走って走った。正門周りには東工大建築の展示場のようで谷口、清家、篠原、坂本、安田の名作が並ぶ。せっかくなので1日一つずつ紹介する。古い順にまず谷口吉郎の70周年ん記念講堂。1956年竣工。敷地の傾斜を利用してエントランス部がヒューマンスケール。DOCOMOMOに登録されている。谷口建築の中でも傑作の一つではないだろうか。同年竣工する秩父セメント工場のティストも感じられる。学部の卒業式はここでやった記憶がある、総代が化学に行った高校の同級生で羽織袴ではなくスーツだったのが印象的だった。

類と種

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by 卓 坂牛

ロンドン大学バートレット校で建築史を講じるマリオ・カルボは『アルファベットそしてアルゴリズム−表記法による建築−ルネサンスからデジタル革命へ』2014(2011)の中でデジタル技術を建築史の中に位置ずけた。そして今後の設計を類と種という概念を用いて説明している。類とはアルゴリズムの種類を示す概念でありそのアルゴリズムを使ってできる様々なデザインは種に分類される。そこで類をデザインする人がこれまでのような原作者としての建築家であり、与えられたアルゴリズムを使って条件を入れ込むデザイナーは2次的な建築家であると言う。しかしこれはピアノという楽器を発明した人が原作者でピアニストが2次的な音楽家と言っているようにも聞こえる。もちろんピアノを発明した人の創造力は途方も無いが、それを駆使するところにはそれに劣らぬ創造性が要求されるものである。