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Jul 2018

面接

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by 卓 坂牛

最近外国の留学希望者と数名面接をして今日も大学院入試の面接をして思うのだが投げた球に当てない学生が多い。素振りが良くても球に当たらなくては意味がない。見送るのは論外である。こちらはストライクばかり投げているわけではない。とんでもないボールも時として投げるがそれにジャンプしてでも当てられる力を問うているのである。

Also soup stock tokyo

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by 卓 坂牛

Also soup stock tokyoは2016年に自由が丘にできたスープ屋さん。永山さんのデザインは自邸もそうだけど男まさりである。不要ものは一切ない。

悩ましい

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by 卓 坂牛

胃が痛くなるような悩ましいことがあっても一段格上のややこしい問題が発生するとさっきの悩ましい話など大したことないという気になる。しかしそのややこしい問題が解決すると大したことなくなった悩ましかった話がまた悩ましくなる。

論理的であること

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by 卓 坂牛

『流れとよどみー哲学断章』というタイトルに飛びついたのだが、中身はタイトルとはあまり関係なく大森荘蔵が朝日ジャーナルに連載した哲学談義である。「論理的ということ」という話が面白い。論理的であるということは冗長であるという点にその特性があるという。例えばこういう論理的な言い方がある。物体はみんな互いに引っ張り合うだからリンゴと地球は引っ張り合うだから枝から離れたリンゴは落ちる。しかしこの論理は最初の物体はみんな互いに引っ張り合うと言った時にすでにリンゴは落ちることを言ってしまっている。「だからリンゴの落下を引力理論から説明するとは、前に理論でいってしまったことを再度繰り返して言い直すことにほからなない」だから冗長だというわけである。

やるとなったらとにかくやる

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by 卓 坂牛

東洋大学情報連携学部というのが昨年(2017)開校した。理文芸の融合をうたっている。情報に連携するデザイン、エンジニアリング、ビジネス、インフラを教える。デザイン分野ではラピッドデザインと称し3Dプリンターなどの教育もするようである。これからの分野にいち早く進出している。どのように発展するのか見守ろう。

こんななんでもないビルにも被覆しちゃうのが隈さんなのだな。うーん。

ゼミの頻度

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by 卓 坂牛

設計のプロジェクトはスタッフのやっていることを初期段階では毎日見る。毎日見て自らのアイデアを注入し方向が狂わないようにリードする。これは研究も同じだろうと今年になってふと思った。だからある研究プロジェクトは数多く見ることにした。煮詰まってきた研究は集中力がものを言う。設計と同じである。そして頻度を上げると結果もそれに沿う。
そう考えるとちょっとした矛盾を感じる。ゼミというものは週一でやっている。しかも学生からすると隔週発表である。果たしてその頻度は適正なのだろうかと。もちろん卒論修論生が仮に週2で発表したらどうなるだろうか?先生もきついが彼らはそれについて来られない(来ない)と思う。でも本当ならそのくらいやってもいいのかもしれないという思いと、彼らには他にもやることがあるのだろという思いで最後はよく分からない。

修論発表会

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by 卓 坂牛

9月修了の修士学生の発表会が終了。フー。一人だけの修士設計は周りがそのムードじゃないのでなかなか大変。先生の仕事はムード作りでもある。しかし今後年に4回こういうことが起こる可能性もある。ウィーンから僕のところに来ていたアンナも母国に戻りつい最近修士設計終わらせたようである。

中庸

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by 卓 坂牛

ヴィットゲンシュタインによる分析哲学の後にそれを批判するポスト分析哲学はネオプラグマティズムに先導された。その主役はローティーである。簡単に乱暴に言えばある社会の中でば大事なのは科学的真理を追究することではなく、相手と同意することだという。それを彼は連帯という。この二者択一のどちらにも加担しないというのが著者の立場である。そして僕もずっと前から、自らの著書の中でも、申し上げているが背反するどちらかに定位しない。中庸が最もラディカルなのだと思っている。

keyaki garden

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by 卓 坂牛

堀部安嗣の建築を初めて見た。2008年にできたkeyaki garden。既存のケヤキを愛でて作った建物である。普通なら駐車場になるような場所を庭にして横に車を4台なんとか確保している。庭の片隅にはバス停のベンチもある。街が潤う。