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Aug 2018

グラン・ルーフ

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by 卓 坂牛

東京駅八重洲側に日本の超高層グラントウキョウノースターワーとサウスタワーが2007年に完成しその間234メートルを大きな屋根でつないだ。タワーの間に東京湾からの海風を内陸に通しヒートアイランドを抑制するという計画だったがその目論見通りになっているのだろうか?駅を屋根にするというアイデアは秀逸である。屋根は人を呼び込み流れを作る最適なツールでありかつ仰々しくない視認性を持っている。でもこのエリマキトカゲはあまり好きではない。僕なら2つのタワーから吊るなあ。デザインアーキテクトはマーフィー・ヤーン,設計監理は日建設計とジェーアール東日本建築設計事務所。2013年竣工。

マネージャー

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by 卓 坂牛

この本を読んで考えた。僕は優秀なマネージャーになる資格と才能があるか?

ありそうな部分:この本では部下の成果をinput(働いた時間とか努力)で判断するな。output(成果)で判断せよとある。これは当てはまる。そもそもその昔サッカー部のキャプテンやっていた頃がさっと下級生が辞めたのがトラウマとなり規律を重んじる組織論には馴染めず、結果的にoutputしか見なくなった。だからinputへの情はない。

なさそうな部分:いいマネージャーは部下に注意したことが最初に直された時に褒める観察力が必要だとある。これは厳しいかも。人を観察する能力は乏しいなあ、、、

習慣化せよ

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by 卓 坂牛

音楽をやっていたころ毎日ドレミファソラシドを1時間弾いていた。これは全然面白くないのだがある時プロのヴァイオリニストもやっていることを知って仕方なく来る日も来る日もやっていた。そしてドレミファソラシドが終わると練習曲を1時間弾いて、その後やっと所謂曲が弾けた。つまり最初の2時間はウォームアップで面白くもなんとのないのだがやらなければならなかった。スポーツもそうであるウォームアップを怠ると怪我をする。こういう面白くもないけれどやらざるを得ないことはどんなことにでもある。だからこそこういうことは風呂に入る、寝るというようなことと同様に生活の中で習慣化するしかない。そう思っていたらメンタリストダイゴも集中力の本で同じようなことを書いていた。僕の生活の中ではこの手の習慣化されていることがいろいろある。朝のジョギングも、その後の語学の勉強も、本を読むことも、ブログを書くのもほとんど習慣である。だからなるべく効率的に短時間で行う。そしてそれ以外の時間が自分のクリティテブな教育、研究、設計の時間である。誰でもそうやってあまりやりたくないけれどやると自分の精神的にも肉体的にもプラスになる肥やしのようなものがあるはずでそういうことは習慣化してしまうしかない。そうすれば難なくこなすことができるようになるし長期的に見ればとてもプラスになるものである。

Fujimura

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by 卓 坂牛

Because of much pain in my waist I had seminary at a cafe near my home.Then I felt recovered after that, I went the gallery MA to see Fujimura exhibition especially videos shot by my friend Diego Grass, which I found fantastic and fitting to his architecture. I think his way of shooting is to show the contexts of buildings which are very important for his architecture.

郵政の建物

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by 卓 坂牛

2週間ほど前に舌にできたしこりが気になり細胞を採取して検査にだしたが悪性ではなくて一安心。一つ良くなると一つ悪くなるのか昨晩急に風邪と腰痛になり唸っていたが今朝は少し回復して台風もどこにいるのか雨も小降り。

日本郵政グループ飯倉ビルは1930年に竣工した旧逓信省貯金局庁舎。大蔵省営繕管財局設計、銭高組施工。1943年から逓信本省、郵政省が使用しそして現在に至る。文科省もこのころ大倉営繕が設計しているがあれも茶色いタイル張り(スクラッチだが)で当時の流行りだろうか?

今朝よく見たらこれもスクラッチだった。

 

コーナー溶接

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by 卓 坂牛

「建物はコーナーが命」と日建時代外装のプロ横田さんから言われた。それ以来建物を見ると最初にコーナーに目がいくのだがiron gallery(2011)を以前紹介したときはうっかりコーナーを見忘れていた。というのもコーナーのディテールがないからである。つまり波板コールテン鋼のコーナーやらサッシュ廻りから全て溶接されているのである。部品はすべて工場加工してきて現場の工事は47日間で終了したそうである。

 

MOMA

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by 卓 坂牛

そんなにしょっちゅう行くわけではないけれどやっぱりニューヨークは好きだし、行けばMOMAに行くし、行けば月並みだけどピカソのアヴィニョンの女とワイエスのクリスティーナの世界は見る。アヴィニョンの女は卒論でキュビズムの説明に使ってからずっと好きである。クリスティーナの世界はとあるプロジェクトのランドスケープの提案でこんな何にもない庭を作りたいと言ってから取り憑かれている。その二つの絵画が偶然登場するMOMAを舞台にする原田マハの短編集は都会の空気が心地よく流れている。

バウハウスとラバノーテーション

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by 卓 坂牛

一昨日のバウハウスシンポジウムのパネラーの一人、バウハウスデッソウ協会会長のクラウディア・ペレンがくれた雑誌『Bauhausu』vol8をペラペラめくっていたら目に付く図版があった。それは振付家ルドルフ・ヴォン・ラバンのつくったダンス分析図ラバノーテーションである。この記譜法を建築の設計図に転用することでダンスの雰囲気を建築化しようと考えている院生が昨日のゼミで発表していたのでこの図が目についた。なんとこの記譜法はバウハウスでもオスカーシュレンマーが実験的に使用していたようである。その時に重要な概念はモデュールである。バウハウスではモデュールを基礎とした空間、運動、服飾などを考えており、そこにこのラバノーテーションは整合したようである。

飯倉 キャンティ

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by 卓 坂牛

キャンティは1960年,僕が生まれた頃飯倉にできたイタリアンレストランである。常連客は文化人から芸能人まで幅が広い。背伸びしたい年頃の若者が一度は訪れてみたい「伝説のレストラン」だった。「だった」と言うのは、僕が学生の頃そうだったということで、その後来たことがないのでいまだにそうかどうかはよく知らない。あの頃から30年以上たってまだ続き、ウィキペディアにも載っているこの店にまた来てみたい。内装は村田豊がてがけたそうだ 。でも裏にまわるとこの釣り構造。

 

篠原のムーア評

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by 卓 坂牛

篠原一男は四つの様式を通じて「日常」と言う単語を頻繁に使った。各様式で日常が形容する名詞が変化しその名詞句が前期は否定的に後期では肯定的に使われた。前期では慣習を形容し慣習は非日常へ変換すべきものとして否定的に扱われ、後期ではカオスやノイズを形容し、さらに強調されるものとして肯定された。

そんな篠原が1968年に都市住宅の鼎談でチャールズムーアについて肯定的に述べている。その理由は日常を非日常に変換しているからである。今日ゼミで大村にそのことを教えてもらって驚いた。篠原は僕がムーアのところに行くのをひどく嫌がっているだろうと勝ってに思いこみ彼の前で怖くてムーアのムの字も言ったことは無かったのだが実はそんな昔にムーアを認めていたわけである。

助手の武田さんあたりが教えてくれても良かったのに、、、