Archive

Sep 2018

ピエール•ボナール

On
by 卓 坂牛

来週からピエール•ボナールやるんだ。台湾ね学生がボナールそっくりのドローイングしていたのがずっと心に残っていて今朝この看板見てイメージが重なり驚いた。

緑はデフォルト

On
by 卓 坂牛

建築でもアーバンデザインでもカフェでもいまや緑はデフォルトだなと思って帰ってきたが日本でもその感はある。もう5年も昔にできたこのビルも緑満載である(東京スクエアガーデン2013)。

真面目さ

On
by 卓 坂牛

ラテンアメリカでワークショップやると日本人の勤勉さが露わになる。台湾ではそうでもないだろうと思ったがやはり同様だった。一方で大学の授業数はというとブエノス・アイレス大学はセミスター16回、成功大学は18回だそうで日本の15回を上回っているのには驚く。彼らは春休みが殆どないようだ。

近隣のリッチカントリー

On
by 卓 坂牛

台湾国民の平均可処分所得は物価を勘案すると日本の倍くらいあり貧富の差が少ない。食べ物は健康的で酒をあまり飲まず適度に勤勉。大学キャンパスには教員宿舎がありフェデリコの宿舎は2LDKでリビングは30畳、マスターベッドルームは15畳くらいある。学生寮(写真)も綺麗に整備されていて1年生は全員入れ学費は年間40万弱。裕福度や幸福度やその他様々な指数で日本を抜いて上位にいるのは頷ける。そんな近隣の国に幸あれ。

ワークショップ無事終了

On
by 卓 坂牛

さてワークショップのファイナルレビュー。昨晩何時までやってたのと聞くと一番早区帰宅したグループが午前1時、一番遅いのが朝5時。というわけで皆ふらふらかと思いきやなかなか立派な最後のプレゼンだった。スエ教授、ディーンのテイシェン教授も来てくれたのが嬉しい。彼はUCLA出身でUCLAをこよなく愛しているようで私が同窓であることを何度も皆にアピールしていた。1週間ご 苦労様でした。そして私を呼んでくれたフェデリコに感謝。

それとは別に

国際ワークショップで何を得るのか1)異なる価値観の建築家のクリティークを受けること 2)自分の大学の課題では考えないような課題を考えてみること 3)実際に何かを作るという経験をしてみること。いろいろな言い方はあるにしても結局は「建築を通して異文化(異なる価値、方法、人)に触れ自らを拡張すること」だろうと思う。では自分にとって何が広がっているのだろうか?深く考えたわけではないけれど今年のワークショップで自分が受けた大きな変化は、ペルーでは土地に対する考え方が変わった。土地とは極めて政治的なものなのだということに驚いた。グアテマラではサスティナビリティへの考え方がもはや今まで通りではだめだという認識に感化された。そしてここ台湾では建築の簡易実験性を理解した。これらの自己拡張が起こる契機は必ずしもその土地の場所性にあるわけではなく、ワークショップの課題、そこで行われる教員同士の議論、学生の振る舞いなど様々なことに起因する。それは何であってもいい。国際ワークショップだから国際性だけが重要なわけではなく、国際ワークショップだからこれまでに経験していない何かに触れる可能性が高まることが重要なのである。さてその意味で今回参加した学生が何に触れることができたのか?皆そのことを考えてみてほしい。それがここにきたことの意味なのだから。

 

日本統治期の建物

On
by 卓 坂牛

朝走って台南に3つ残るラウンドアバウトの周りに残る日本統治期の公共施設を見て回る。旧台南公会堂、旧台南測候所、消防署、旧台南州庁舎、旧嘉南農林事務所、旧台南警察署。を見終わった頃についに雨が降ってきた。台風の影響だと思う。ついていない今日最終レビューなのに、、、しかし雨が降ってわかるアーケードの有り難さ。

ゲストハウス

On
by 卓 坂牛

台湾にも日本同様のゲストハウスがあるようで路地奥の住宅が改造されたり増築されたりしている。一階がカフェで上階が宿泊施設。その走りが今は閉鎖された白いゲストハウスで有名人が一部屋ずつデザインし、藤本さんも参加し外装は藤本さんのデザインだとHsueh先生は言っていた。

  

C-HUB

On
by 卓 坂牛

やったー午前中ついに本体完成。学生たちは黙々と自分たちのプロジェクトを制作中。われわれが活動している場所はC-HUBと言って設計学部が主として使う産学協同で 活動する場。1階工房、2階カフェ、3階ギャラリー、4階アーカイブ、5階インキュベーション。中々よくできてる。理科大にもこんな場所があればと思う。

 

オーダー

On
by 卓 坂牛

UBAでフェデリコの教え子だったヴィッキーはアジアの街を見たく旅行中。僕が東京はカオスだが台南は(台南だけではないのだが)ディスオーダーだと言ったら。フェデリコが東京のどこがカオスなのと真顏で聞く。彼はブエノスアイレスからカタルーニャに行き博士をとり、伊東豊雄の本をスペイン語で最初に作り度々東京に来て台湾の女性と結婚した。そんなコスモポリタンな彼が真顔で聞くのでもはや東京は篠原がカオスと言っていた東京ではなくなったのだなと思い直した。でもいわゆるヨーロッパ的なオーダーはないよねというと、、、まあね、でもそんなオーダーのどこに意味があるのというような顔をしている。