都市のdiscontinuiy
2年前にウィーンで不連続都市東京というレクチャーをした。それはその頃意識し始めた建築の中での不連続面である淀みの空間の都市空間版である。それらはいずれも夢の中をさまよう人びとを覚醒させ埋没している都市や建築を自覚させる契機なのである。という話しを今日芸大でしたらその話を聞いてすぐにリンチの都市のイメージを思い出したとコメントシートに書いたロシアの留学生がいた。リンチの5つのエレメントはまさに都市の不連続エレメントなのである。彼女はいつも冴えていて驚く。こんな学生ばかりいたら授業は本当に楽しい、、
伊藤国際学術研究センター
本郷通り沿い東大現代建築その6は伊藤国際学術研究センター(2011)。これも寄付によって生まれた建物。大正5年建造のレンガ倉庫のリノベを組み込んで香山壽夫が設計。1階の椿山荘のレストランで香山氏と食事をした時にこの建物の入り口の話になった。氏はを道路側の塀を一部開け一般の人が入れるようにしたら保守的学部の保守的教授陣が大学の治安はどうなるのだと反対した。地域連携が叫ばれる時に何を時代錯誤なことをと氏は呆れたそうだ。
居住空間における日本的なもの-西洋建築と比較して
高階秀爾のアンソロジー『西洋の眼日本の眼』青土社2018の中に「居住空間における日本的なもの-西洋建築と比較して」という論考があり日本空間の開放性を西洋空間の閉鎖性との比較で論じている。日本建築の開放性は風土に大きく影響され、加えて木を使う伝統構法にも由来する。
さて、日本近代住宅史を紐解くと60年代日本の住宅は閉鎖的になりそこから現在に亘り開放的になったと言われる。ではなぜ本来開放的だった日本住宅はこの時閉鎖的になったのか?普通にに考えれば西洋化したということになるが篠原一男の第一の様式は日本の構法で作られているので彼に関しては西洋化は理由にならない。であるならば考えられるのは篠原は作為的に日本的なものを閉鎖的にしたということである。篠原は常に日常性を非日常に変換するが、日本の伝統を変換した中て最も重要な変換の一つはこの開放性の転換であったと思う。
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