ニューヨークコーナー161
都立大学の駅前にあるテナントビルニューヨークコーナー161はクライアントがニューヨークに長く住みニューヨークの街角のの雰囲気にしたかったそうである。設計はキーオペレーション小山光、2016年竣工。確かに少しニューヨーク的、レンガタイルと階段。
都立大学の駅前にあるテナントビルニューヨークコーナー161はクライアントがニューヨークに長く住みニューヨークの街角のの雰囲気にしたかったそうである。設計はキーオペレーション小山光、2016年竣工。確かに少しニューヨーク的、レンガタイルと階段。
聞くと坂牛研OBOGの中には大学に戻って博士論文書きたいという人が結構いる。リカレント教育の時代ウェルカムである。そこで意匠を論理化するメソッドをいくつか開拓しなければと考えている。作家論の可能性は現博士課程の大村君が確立しつつある。そこで違う分野としてヒューレ(質料)をなんとか分析できないだろうか?理科大に来た時手を付けようとしてミノルタの高価な色差計を購入したが使い切れていない。先日加藤先生との話でも今後の重要研究テーマなのである。ヒューレの定量化、あるいはヒューレの差が生み出す感情の定量化などなど、なんかやれそうなんだけど、、、
2年前にEUの建築家を招いた中の一人OSAMUはおばあちゃんが日本人のチェコハーフ。EU会議後も1ヶ月くらい日本にいて理科大の講評会にも来てくれた。そんな彼から久しぶりにメールが来た。夏からリベレツというプラハの北100キロくらいの人口10万人くらいの都市の工科大学Technical University in Liberecの建築学科のディーンになるので学術交流をしたいと書いてある。OSAMUは本当にクレバーなやつで日本の学生からもとてもしたわれていたのでこれもまた楽しいかもしれない。学生の留学もほぼ英語で済みそうだし学費は5000ドルと手ごろである。
楠木新『定年後ー50歳からの行き方、終わり方』中公新書2017を読みながら世の中一般の定年後と僕自身のいつか来る定年後はだいぶ違うだろうなあと感じた。おそらく大学定年後も引き続き設計の仕事をしているところがまず違う。なので社会とつながり、居場所を確保せよという本書の教えに対しては答えが見つかっている。また定年後の最大の悩みは孤独と書いてあるが個人的なことで言えばやっと社会と縁が切れるのか(切れるわけもないが)と思うとせいせいしている。そうはいっても人里離れた山の中で孤独を楽しみたいなどと思っているわけではなく、友人と酒飲んで騒ぐのも大好きだが好き好んで⚪︎⚪︎サークル的な会合にでかけたりとか、不要な委員会などのメンバーであり続けるなどいうことは考えたくもない。そして世の人々もやっと孤独に人生を考えることができる時間が持てるのであろうから無理して社会と繋がるなんて必要もないだろうアドバイスしたくなる。しかしそうは思うもののOECD諸国の統計を見ると友人仲間と時間を共有しない人間の比率はダントツ日本が一番高い。この統計には少々驚く。これが孤独死の基盤にもなっているのだろう。ということは老後に焦って人付き合いしましょうというのではなく、そもそも社会人となって働いている現役の時から人付き合いできる心とお金と時間の余裕があるような国を作らねばいけないということなのである。定年後にあせって急に初めてもうまくいくはずもない。
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