Archive

Jan 2019

ニューヨークコーナー161

On
by 卓 坂牛

都立大学の駅前にあるテナントビルニューヨークコーナー161はクライアントがニューヨークに長く住みニューヨークの街角のの雰囲気にしたかったそうである。設計はキーオペレーション小山光、2016年竣工。確かに少しニューヨーク的、レンガタイルと階段。

ヒューレ研究の可能性

On
by 卓 坂牛

聞くと坂牛研OBOGの中には大学に戻って博士論文書きたいという人が結構いる。リカレント教育の時代ウェルカムである。そこで意匠を論理化するメソッドをいくつか開拓しなければと考えている。作家論の可能性は現博士課程の大村君が確立しつつある。そこで違う分野としてヒューレ(質料)をなんとか分析できないだろうか?理科大に来た時手を付けようとしてミノルタの高価な色差計を購入したが使い切れていない。先日加藤先生との話でも今後の重要研究テーマなのである。ヒューレの定量化、あるいはヒューレの差が生み出す感情の定量化などなど、なんかやれそうなんだけど、、、

Technical University in Liberec

On
by 卓 坂牛

2年前にEUの建築家を招いた中の一人OSAMUはおばあちゃんが日本人のチェコハーフ。EU会議後も1ヶ月くらい日本にいて理科大の講評会にも来てくれた。そんな彼から久しぶりにメールが来た。夏からリベレツというプラハの北100キロくらいの人口10万人くらいの都市の工科大学Technical University in Liberecの建築学科のディーンになるので学術交流をしたいと書いてある。OSAMUは本当にクレバーなやつで日本の学生からもとてもしたわれていたのでこれもまた楽しいかもしれない。学生の留学もほぼ英語で済みそうだし学費は5000ドルと手ごろである。

日建竹橋オフィス

On
by 卓 坂牛

日建がパレスサイドビルにオフィスを構えた。お披露目に伺った。皇居を望むオフィスは素敵である。ここにコワーキングスペースを併設したら面白いのに。

伊丹潤

On
by 卓 坂牛

伊丹潤の集合住宅ブロックイースト(1992)。この建築家にしてはサラリとした外観。

RCR

On
by 卓 坂牛

RCRレクチャーをイイノホールで聞いた。3年くらい前だったかバルセロナのラウンドテーブルに呼ばれた時にヨーロッパにインターンシップに行っていた坂牛研の学生が3人集まってきた。バルセロナからジローナさらに北へと旅をした。その時RCRの建物をだいぶ見た。徹底したコルテン鋼の使い方に圧倒された。そして昨日の展覧会今日のレクチャーを聞きながらヨーロッパの建築家って本当にぶれないし重いなあと思ってジーンときた。田根さんの時も少しそう感じたけれど、、、、

二部卒計

On
by 卓 坂牛


二部卒計が昨日提出。やや未完のものもあるが全員提出できたようで一安心。土曜日にパワポを使った発表をするのでそれを聞いて採点するが先ずは今日作品だけ助教の常山さんと見て回った。うんなかなか全体的にいい線いっている。常山さを曰く理科大に来てから見た卒計の中では一番いいできとのこと。確かに。どうしようもないという作品がない。

定年後

On
by 卓 坂牛


楠木新『定年後ー50歳からの行き方、終わり方』中公新書2017を読みながら世の中一般の定年後と僕自身のいつか来る定年後はだいぶ違うだろうなあと感じた。おそらく大学定年後も引き続き設計の仕事をしているところがまず違う。なので社会とつながり、居場所を確保せよという本書の教えに対しては答えが見つかっている。また定年後の最大の悩みは孤独と書いてあるが個人的なことで言えばやっと社会と縁が切れるのか(切れるわけもないが)と思うとせいせいしている。そうはいっても人里離れた山の中で孤独を楽しみたいなどと思っているわけではなく、友人と酒飲んで騒ぐのも大好きだが好き好んで⚪︎⚪︎サークル的な会合にでかけたりとか、不要な委員会などのメンバーであり続けるなどいうことは考えたくもない。そして世の人々もやっと孤独に人生を考えることができる時間が持てるのであろうから無理して社会と繋がるなんて必要もないだろうアドバイスしたくなる。しかしそうは思うもののOECD諸国の統計を見ると友人仲間と時間を共有しない人間の比率はダントツ日本が一番高い。この統計には少々驚く。これが孤独死の基盤にもなっているのだろう。ということは老後に焦って人付き合いしましょうというのではなく、そもそも社会人となって働いている現役の時から人付き合いできる心とお金と時間の余裕があるような国を作らねばいけないということなのである。定年後にあせって急に初めてもうまくいくはずもない。

模型を作らないこと

On
by 卓 坂牛

兵郷曰く、RCRは模型スタディはしない、その代わり必ず最初にこの水彩のコンセプトドローイングを作っていく。そして図面で考える。そういう建築家はいるよなあ、特に外国には。DIEGOの事務所にもまったく模型は無かった(彼は来春からハーバードで教えるそうだ)。サンパウロ大学行った時も日本人は模型を山のように作るのに驚いていた。しかし日本でも赤坂さんは模型を作らない。プランで考えるのだと言っていた。模型作らないでもできるのならそれに越したことはない。なんと経済的なのだ。

下馬南地区会館

On
by 卓 坂牛

新居千秋設計下馬南地区会館(1993)。90年代前半の香りがするデザイン。