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by 卓 坂牛
神楽坂の家は歩きながら思索する哲学者の家である。
この本は『歩行する哲学』というタイトルだが歩行する哲学者が多く登場する。ギリシアの哲学者はもとよりカント、ヘーゲル、マルクス、ニーチェに至るまで歩くことは哲学することと同義でさえあるようである。
かつてオーフス大学に招かれた時、バイキングの末裔のような大きな顎髭をたくわえた教授が僕を散歩に誘った。EUの建築家を呼んでワークショップをした時イタリアの建築家は歩くことをテーマとした。歩きながら考えることの意味を時々知らされる。
そして歩くことが人の成立要因の一つ(歩き、読み、考える)であることを今また考えている。
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by 卓 坂牛
JIAマガジン1月15日号は昨日入稿。「建築が生まれる時」の今月は田根剛さんである。一本の線はあたかも書のごとく力強い。エストニアの博物館が生まれる時の鼓動が聞こえて来る。巻頭インタビューも田根さんにお願いした。最初に聞いたのはサッカーのポジション。ボランチだそうだ。世界を見渡す目はサッカーで培われたのかもしれない。乞うご期待。
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by 卓 坂牛
春木豊『動きが心をつくる-身体心理学への招待』講談社2011では来り返しジェームズ=ランゲが引かれ体の動きが先にありそれが心を生み出すことが例示されr。信原幸弘は『情動の哲学入門』勁草書房2017で情動は身体を感覚器官として価値的性質を知覚すると言う。言い換えるとそれはひ人の心が動く時、ほぼ同時に身体は反応し、その動きが脳の中に美しい、汚い、爽やか、などの価値的性質をもたらすと説明している。われわれ建築家は究極的には使用者にこの価値的性質を味わって欲しく設計している。しかしその方法が複雑でそんな簡単なことではないのでその方法をコンセプトと称して必死に説明する。しかし使用者はその方法など分からないしどうでも良い。むしろどんな価値的性質をつくってくれるのかを知りたいのである。槇さんが歓びの建築を作りたいと言えば納得する。今はそんな情動の価値の分かりやすさが求められているし、それは原点でもある。
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by 卓 坂牛
青山ブックセンター六本木の跡に文喫という名のブックカフェができた。1500円払うと入場できて本棚の本を自由にテーブルに広げられコーヒーか煎茶をいただきながら本を選べる。wifi も完備してるので仕事も可能。値段は高いがそのせいか広いテーブルは独占状態。
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by 卓 坂牛
新宿駅西口広場は坂倉準三の設計で1966年に竣工。延べ床面積70,610㎡と坂倉事務所のHPには書いてあるがどこまで含むのかはよく分からない。1967年に学会業績賞を受賞。DOCOMOMOに登録されている。1969年に反戦フォークゲリラ事件が起きてから正式名称は西口地下通路とされた。
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by 卓 坂牛
西川口キリスト教会は日本バプチスト連盟の教会。2010年にコンペで西島正樹の案が信者の多数決で選ばれた。打ち放しの湾曲したファサードに十字が切り込まれている。
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by 卓 坂牛
今日工学部教員の新年会があり学長が「アカデミック•フリーダムを大事にしたい」とおっしゃった。これは今日明日役に立つ研究ばかりはなく100年の系で学問を捉えることですか?と聞くとその通りだとお答えになった。近視眼的なお上のもとどれほどリアリティがあるのかわからないけれど頼もしい。長とつく方のスピーチとしては近年稀にみるいい話だった。
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