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by 卓 坂牛
震災復興橋聖橋は1927年完成。山田守の放物線を使った表現的デザイン。
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by 卓 坂牛
毎年元旦に日建設計の新しい役員人事が郵送される。中分さんが副社長を辞し、新たに同期の西村が取締役となった。時代はドラスティックに変わる中世界の設計事務所は二極化している。アメリカ、イギリス、オーストラリアには数千人を要する事務所が巨大資本をバックにますます巨大化している。先日スチュワートさんがキャピタルB(大文字のビジネス)と呼び、もはや建築ではないと言っていたがそう思う。日建設計がキャピタルBにならないように同期の理性を信じたい。
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by 卓 坂牛
建築には色々な能力があるのだけれど、自らの生や感情を確認する契機となる力に注目したい。ベルグソンはいいことを言っていて人間は常に変化して何に対してもいつも違う感情を抱いているけれど、人は自分の実なる感情を自覚する前にその感情を生み出している対象とその対象の名前からその感情を受け取ってしまうと言っている。そこで人間のこの悲しいメカニズムを排除するために運動による体感として建築を受け取ることを考えている。運動の「流れ」を強引に建築的主題の中央に置いてみると建築はどうなるのだろうか?SD賞をいただいた「運動と風景」はもうすぐできるし杉並の子供の施設もそういう運動として体感する建築と言えると思っている。
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by 卓 坂牛
二松学舎大学は東洋学の確立を目指し明治10年に創設され以来三番町で発展した。現在の九段キャンパスの1号館、2号館は香山 壽夫の設計で2004年に完成。低層部をピロティにした中層校舎である。建物は内堀通りに面している。ちなみにこの内堀通りはこれだけ大きな道だが都道である。環状線はほぼ都道で構成されている。
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by 卓 坂牛
スチュアート研新年会@自由ヶ丘。こっちが皆定年なのに先生はまだ現役教授。息子の健はシアトルて活躍中。日本てphd取ればいいのではと誘惑。
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by 卓 坂牛
安田講堂は1925年内田祥三、岸田日出刀の設計で完成。僕らの世代にはテレビに映った機動隊との攻防が頭に蘇る。また後方に見えるガラスカーテンウォールの建物が出来た時のことを思い出す。歴史的なシンボルの後方での建物建設を制御した景観法が整備されたのはその後のこと。この設計をしたのは日建設計でその頃日建は慶應病院も設計しそちらも絵画館の後方に現れた。景観法ができた時に雑誌に原稿を書きながらあれあれとおもったことを思い出す。
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by 卓 坂牛
兄家族と母の墓参り。おふくろにそして皆さまにご挨拶。あけましておめでとうございます。早々に賀状をいただいた方ありがとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
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