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May 2019

付き合い悪い

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by 卓 坂牛

今日は日建の創立記念日らしく日建に行ったogが研究室に遊びに来て飲みに行く後輩を物色していた。先生も行きますか?と誘われたが断った。最近は家が一番居心地いいので可能な限り家にいたいわけである。家の光を見ると嬉しい。引きこもりである。1年間は付き合い悪いが悪しからず。

山本耀司

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by 卓 坂牛

ワイズの服が好きなわけでもないし、山本耀司がかっこいいと思うわけでもないのだけれど、彼の書く文章が好きで彼の本は出ると買うが新刊を読んでいたら既読感があってよく見たら6年前に出た本の増補新版だった。
デザイナーを目指す人に言いたいことはー「命と取り替えても作りたいのか」と、
服のことを考えない日はありますかーないですね。三六五日考えています。という部分を読んで思い出した。

簡単なこと

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by 卓 坂牛

金曜日の午前中は日本女子大で建築の制作を講じている。10時50分始まりで最初は家を10時に出たが早すぎる。今日は思い切って10時半にでた。そしたら10分前に着いた。つまり10分で着くということか!そんなこと1〜2回で分かれよという話しだが最近頭がそういうことに働かない。

きれない

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by 卓 坂牛

この間お会いした方から僕の建築に現れるちょっとした曲線や不思議な目地がキュートだと言われてななぜああいうデザインになるのですか?と問われ「決め、決め、切れ、切れのデザインを回避したいから」と答えた。おそらく古典的な美は完全性の上に立脚しているのだろうから(が)その完全性から逃げたいのだろう。でも脱構築したいわけでもないから小さく逃げているのだと思う。

 

学ぶ

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by 卓 坂牛

先日芸大に行った時シンポジウムを聞きに来た芸大先に懇親会で「先生の書いた『建築の規則』読んで勉強してます」と言われた。あの本は出版して10年経つけど地味に読み続けられているようで著者冥利に尽きる。そして続けてこう聞かれた。「あの本には美術のことが沢山書かれていますが、いつ勉強されたのですか?」僕が美学を勉強したのは日建やめてからである。美学の父である哲学は高校時代から背伸びして読んでいたけど美学を体系的乱読したのは独立して暇になってからである。その頃からの読書が今の自分を作っている。そこで得た教訓は独立とは仕事をしないこと。質素な生活だったけど有り余るほど本読む時間があったあの頃は最初で最後の至福の時間である。

異国風

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by 卓 坂牛

先日近所を散歩していたら異国風の建物が沢山あるエリアを通った。木密地域ばかりでもない。

芸大

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by 卓 坂牛

芸大は学部生は研究室配属されない。しかも彼らはほとんど大学院に行かない。これはもったいない。こんないい先生がいるのにあまり交わらずに卒業してしまうようである。

建築に限らず音校も含めてテレビに出るような人たちが普通に教えているから学生もそれがデフォルトになっているのだろう。それは非常勤にも当てはまり各分野のトップランナーが並んでいる。最近では青木淳さんも来られトムや北川原さんリタイアの後を埋めた。1学年15人でこのスタッフの充実度は他に類を見ない。

だから大学院で芸大を受験する学生が多いのは理解できる。しかしその結果大学院はほとんど他大、外国、からの学生が集まり、芸大のコスパの高さをデフォルトと勘違いしている芸大生はむしろ他大の院に行くという不思議な現象が起こっている。

 

 

藤村オープンゼミ

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by 卓 坂牛

芸大藤村研オープンゼミで建築の内在性と外在性について議論した。1.5時間の短い時期に僕と彼が30分ずつ話し、議論30分。めちゃくちゃ早口で1時間の内容を30分で話した。東大から平野さんを含めて隈研から2人、慶応松川研から2人、神戸大学、前橋工科大から1人ずつ、うん!オープンゼミである。素晴らしい。僕にとって自律と他律はどちらをとるというものではない。どちらも必要だしその中庸がラディカルである。藤村さんお呼びいただきありがとう。企画した矢口御苦労様。

 

膵臓

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by 卓 坂牛

広谷さんが膵炎になった時坂牛もお酒やめないとなるぞと脅されたが広谷さんも禁酒を解いたのでその話は喉元を過ぎた。そしたら先日白い巨塔が久しぶりに新キャストで放映された。ガンの医師が膵臓ガンで死ぬラストシーンに毎度涙するが、今回は広谷さんの膵炎も二重映しとなって思わず友人の医師に膵臓の検査したいとメールしたら、膵臓ガンを早期に発見する方法で検証されているものはないとの返事だった。どうしても心配ならPET検査をしたらと言われた。これはがん細胞がブドウ糖を吸収する能力が他の細胞に比べて大きい性質を利用して糖を入れて糖が集まる場所の有無を調べる検査である。他の撮影ものは物の形で判断するのに対して物の有無で判断するこの方法は結果が分かりやすそうである。しかし保険が効かないのでかなり高い。さてやるべきか否か?

正論モンスター

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by 卓 坂牛

古市憲寿の『誰の味方でもありません』は正論を吐いて場を混乱させたり、建設的議論を硬直させたりする「正論モンスター」を揶揄している。この正論モンスターはまたペダンティックであることが多い。しかもたいした知識ではなくちょっとぐぐれば分かるようなことを披露して自らの優秀さ(?)を主張したがる困った生き物である。僕は正論が必ずしも正しいとは思っていない。と言うと矛盾なので言い換えれば、正論は必ずしも常にどこでも有効であるとは限らない。と思っているので古市さんに一票。