ダイソンも付けっ放し
梅雨が明けてクーラーは付けっ放しである。しかし想定どおり4台あるエアコンのうち最上階の1台を26度で付けっ放しにしている。する と1階で27度、地下で25度になる。27度で寝るのは少し寝苦しくこのところダイソンも夜中は付けっ放しである。
梅雨が明けてクーラーは付けっ放しである。しかし想定どおり4台あるエアコンのうち最上階の1台を26度で付けっ放しにしている。する と1階で27度、地下で25度になる。27度で寝るのは少し寝苦しくこのところダイソンも夜中は付けっ放しである。
先日来年度の博士課程の入学希望者から研究計画書をもらいその内容の緻密さに驚いた。僕の研究室出身でもない人が僕を指導教員に選ぶ理由は僕が設計実践と意匠研究の両輪で活動しており自分もそれを目指したいからだと言う。先日早稲田でresearch exchangeをした時も山村先生が設計しながら理論もやっている人は僕ぐらいしか思い浮かばないと言っていた。僕の見るところ実はそういう人は他にも色々いるのだが大抵はどなたもどちらかに荷重がかかり設計肌か研究肌にカテゴライズされている。しかるに僕は意匠論の中でも中庸を主張しており、どちらかに振り切らない生き方は意図的である。二頭追うもの一頭を得ずとならないようにしないといけないので結構中庸というのも疲れるのではあるが。
今朝エンリックが理科大で行なったワークショップのエピローグを送ってきたがそこに最後にこう書いてあった。I have always thought , somehow egoistically, that one of the best ways of learning is teaching, that is , putting yourself in a situation in which you have to be ready to revise your own ideas .「 最高の学びは教えから得られる」。そう思う。そういう気持ちでサンチアゴのワークショップの課題書作っていたら10ページになった。僕はこれから作る本の内容をここで試そうと思っている。自分の考えがどこまで世界で通用するのか特に地球の裏側の若い子達にである。タイトルは「東京で働く」である。富士吉田でのラボのテーマは働き方でありそこにもつなげるワークショップにしたいと思っている。
エンリックの原稿が、「篠原一男地の家増築」ワークショップ後8カ月経ってやっと届いた。安堵!彼の原稿は篠原が欧米で18世紀初頭に生まれたDomesticity(温もりのある家庭)を20世紀に破壊した筆頭に篠原を位置づけるものである。しかし室伏次郎さんがその昔指摘していたように篠原住宅は断熱を怠らないし、高橋晶子さんが先日教えてくれたが篠原住宅の床仕上げは絨毯が多くその理由は吸音のためだそうだ。実際篠原住宅はどれも実に住み心地は良さそうに見える。私が見るところ、現代の我々世代、あるいは下の世代でDomesticityを破壊している建築家は沢山いる。それらに比べたら篠原はDomesticityを守っているように見える。しかし篠原住宅は実はプランニングの根本でDomesticityを念頭においていない。もっと言えば生活は設計を決める論理に入っていない。建築の存在を今この場の理由で説明するのではなく永遠の物として考えていたのである。やはり篠原にとって建築は数学だったのである。
ブラインド掃除器具はだいたいプラスティック製で醜い。羊の毛で木製の素敵なブラシを発見。使いやすい。
句読点以外の文章記号は余程のことがない限り生涯学ぶことはない。特に理系の人は。しかし翻訳などやる場合はこのての記号(特に括弧は)使い分けが必要でこれまではF書店のルールを参考にしていた。そうしたら昨日カモメブックスにこんな辞典が売っていたので思わず買った。日本語で使う場合、外国語で使う場合などの例が豊富なのが嬉しい。
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