山村研究室
昨日早稲田山村健研究室との合同ゼミを行い学生も私もとても刺激になった。一番の刺激は卒論の質量の充実とその方法論。できて3年しかたっていない研究室の卒論が意匠系の論文として資料編などがあるわけでもないのに両面印刷で200ページ以上ある。どうしてかというとどの論文も基本的には作家論でその作家のまだ翻訳されていないモノグラフを翻訳することが義務付けられているからである。だから150ページくらいは翻訳なのである(出版したらいいのにと思う)。しかも英語以外の言語であることという制約つきである。そして翻訳しながらその建築家の作品を現地に行って見てこないといけない。そしてそこから所謂卒論が始まるわけである。しかもそれを11月までに終わらしてから卒計をやるのだから半端ない。なんでこんな方法思いついたのかと聞いたらそれは今井兼次、池原義郎、入江正之と受け継がれてきたのものなのだそうだ。うわっ、、、、流石に伝統というものを感じざるを得ない。という話を配偶者にしたら僕がその伝統を創ればいいんじゃないとさらりと言われた、、、確かにねえ僕にそんな能力があればだが、、、、、そう言う思いで昨日理科大生全員に配られた今井兼次の本を読んでみた。こういう本があってこの美しい文章を早大山村研の学生はまず読むのかと思い、これで彼らは意匠に対する心構えができるのだよなと羨ましく思った。しかも我々全員はこの本以外に池原先生の本、入江先生の本も頂いた。早稲田建築の長い歴史のいい意味での重みを感じた。
早稲田山村研との合同ゼミ
早稲田山村研と合同ゼミをやってみた。今井、池原、入江、と言う巨匠の流れを継ぐ山村研の卒論や修論は何をしているのか見せていただき、こちらむ発表をした。理工の建物を見学。巨大な製図室、アトリエ、スタジオで学生が制作していた。このキャンパスはすでに容積オーバーしているので建建て替えできないらしい。でもだから名建築が残っている。地下鉄直結の入り口があるので都市と直結したキャンパスとなっている。山村研の皆さんありがとうございました。
ペリ逝く
シーザ•ペリの訃報を聞き最初に思い出すのはこの写真。彼は前年にエーロ•サーリネン記念教授としてイエール大学に招聘した篠原一男とその弟子たちに連れられ日本ツアーをしてタイムズで安藤忠雄に会う。それをセットしたのは安藤の隣に写る中村敏男だったのだろう。写真左端はパリからの留学生シルビー、右端はイリノイからの留学生キース。彼はその後シーザの下で10年以上働くことになる。二人ともわたしの同級生である。当時の篠原研は本当に世界中から学生が集まっていた。ボストン、ウィーン、コペンハーゲン、バルセロナ、香港、留学生は自由奔放だから規律の厳しい篠原研は住みにくかったに違いないが皆先生を心から尊敬していた。
研究の2軸
社会学者稲葉振一郎に拠れば、研究には大きく因果を知ろうとするものと事象や事物を解釈しようとするものがある。ある言い換えをすると万物の法則を知ろうとするものと個別の歴史を探るものがある。さらにそれを方法論的に言い換えると量的分析と質的分析がある。分析対象と分析項目が定まっていれば対象を数値化して多変量解析すれば良い。しかし建築論のような領野では対象がそもそも定まっていない建築論のようなものではいきなり量的分析など難しい。だからまずは質的分析をして何が問題であるかを知らなければならない。そこで学会の建築論•建築意匠小委員会ではアンケートをとったのである。作家論のようなものは因果も解釈も可能である。われわれが行なっている篠原一男分析は言説の質的分析(KJ法による解釈)と建築実体の量的分析(定量化+クラスター分析)を付き合わせる方法をとっている。対象と目的によって最良の方法を選択するのが研究であるが、こう言う二つの方法を意識していると整理しやすい。
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