20日、21日に富士吉田で設計していた氷室(氷の貯蔵場所)のコンヴァージョンのオープンハウスをします。その前にデザインブームに掲載していただきました。ご覧ください。これ見ると来たくなりますよ。お待ちしています。
OFDA associates transforms former ice storage house into fujihimuro gallery in japan
三つ子の魂百まで
福井の田園を見ながら福井自慢をする研究室のH君を思い出す。「福井の米は日本一美味しい」と豪語する。実家で米を作っている彼の父親譲りである。三つ子の魂百までで彼は一生そう言っているのだろう。唯物論者を父に持った僕も小さい頃から唯物論を植え付けられていた。だから観念論が出てきたときには焦った。父親の書架にはカントはなかった。でも美学をやる以上カントは無視できない。というよりカントに始まりカントに終わる。でもやはり僕は唯物論者である。だから昨今のネオマテリアリズムには全く抵抗がない。精神は信用しない。神頼みはあり得ない。配偶者は赤城神社がなければこの街の魅力は半減するというが僕にはない感覚である
やれやれ、おいおい
連休感覚が欠如している大学教員は東京駅に着いてあまりの人に驚く。そして金沢行き「輝き」は満席と知り焦る。しかも北陸新幹線は自由席がないことを思い出した。すると駅員さんが立ち席券があることを教えてくれた。しかしこれも売り切れ。次の「輝き」で行くと1時間遅刻である。しかもグランクラスしか残っていない。やれやれ。大金払って怒られに行くべきか?帰ろうか?と迷いながら念の為違うアプリで今日の目的地福井を入れてみるとあった米原経由が。これだと5分遅刻でなんとかなる。おいおい最初のアプリなんだよ!でもよかった。電話を入れて予め遅刻をわびて乗車。福井は未踏の都道府県最後の二つのうちの一つ。次は鹿児島。
建築論
ハンスホラインはその昔すべてが建築だと言った。それは建築を定める概念が共有されなくなったことの証であった。その頃アートの世界ではダントーがアートとは何か?という問いに対してアートワールドという概念を示しアートを取り巻く世界がそこに意味を見出した限りにおいてアートであると説明した。田路さんが建築論研究を創刊してくれた。素晴らしい。私もいつか寄稿したい。創刊号のテーマは建築論とは何か?である。普通に考えれば建築論とは建築とは何か?という存在論的問いである。そしてその答えはダントー的に言えばアーキテクチャーワールドがそこに意味を見出す限りにおいてアーキテクチャなのである。ということになる。建築も終焉しているからこういう答えは普通なのだがそれを乗り越えるにはどうしたらいいのか?となると建築論とは何か?を再度問うと言うことになる。つまりそれは建築とは何か?ではない問いと言うことになるのであろう。
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