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Jul 2019

公明党の主張

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by 卓 坂牛

金町駅前で公明党の選挙カーが比例代表に公明党と支持を訴えていた。その理由がふるっている。曰く、今の自民党は放っおくとどんどん右に進む。皆が大丈夫か?と心配になる。そこで公明党が自民党右傾化の歯止めとなる。と言う。そんな政策の根本的な部分が異なりるならさっさと連立辞めて野党になりなさい。そうしたら公明党と書きますよ!

附属高クラス会

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by 卓 坂牛

高校のクラス会て20人プラス担任の河村先生85歳も参加。未だに9条の会などで活動してるとのこと。うちの学校の先生たちは中高通して左派だった(今は知らないが)。同級生が地学の教員なので懐かしい校舎内を見せてもらった。僕らがいた40年以上前の教育大学時代のものが未だ使われているのには驚く。メールボックスから化学の実験器具まで。ノーベル賞候補といわれ続けている京大基礎物理学研究所長の青木慎也にいつもらうのと聞いたら80までにはと言っていた。

情報処理量

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by 卓 坂牛

昨日新幹線で読んでいた今売れているスタンフォード式快眠の本に現代人は情報処理量が増え過ぎて寝る時間を惜しみ病に落ちると書いてあった。確かに、今日来月の旅程組むのにコンピューターと睨めっこした。2時間くらいかけてやっとだいたい決めたけど、ネットがあるとなんでも自分で出来ちゃうからやることがどんどん増える。そして20日締め切りの原稿はできなかった。

 

北陸本線から

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by 卓 坂牛

北陸本線の直江津〜金沢はその昔よく乗ったがその向こうは昨日初めて乗った。たまにギョッとするような建築に出会う。渡辺豊和?ではないよね?

残念

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by 卓 坂牛

サンチアゴのワークショップにOBカレンがロサンゼルスから、OGパメラがアスンシオンからOG中村は地元サンチアゴから参加予定だったが二人は仕事が忙しくて難しいとのメール。1泊2日で遊びにおいでよと返信。海外ワークショップに海外で働くOBOGが集えたらこんな楽しいことはない。

今年はバルセロナに一人留学、マドリードに一人インターンシップに行き。秋からチェコに一人留学予定。来年はリスボン、オールボーに手を挙げている学生がいる。いいことだが語学力をしっかりつけて欲しい。

三つ子の魂百まで

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by 卓 坂牛

福井の田園を見ながら福井自慢をする研究室のH君を思い出す。「福井の米は日本一美味しい」と豪語する。実家で米を作っている彼の父親譲りである。三つ子の魂百までで彼は一生そう言っているのだろう。唯物論者を父に持った僕も小さい頃から唯物論を植え付けられていた。だから観念論が出てきたときには焦った。父親の書架にはカントはなかった。でも美学をやる以上カントは無視できない。というよりカントに始まりカントに終わる。でもやはり僕は唯物論者である。だから昨今のネオマテリアリズムには全く抵抗がない。精神は信用しない。神頼みはあり得ない。配偶者は赤城神社がなければこの街の魅力は半減するというが僕にはない感覚である

やれやれ、おいおい

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by 卓 坂牛

連休感覚が欠如している大学教員は東京駅に着いてあまりの人に驚く。そして金沢行き「輝き」は満席と知り焦る。しかも北陸新幹線は自由席がないことを思い出した。すると駅員さんが立ち席券があることを教えてくれた。しかしこれも売り切れ。次の「輝き」で行くと1時間遅刻である。しかもグランクラスしか残っていない。やれやれ。大金払って怒られに行くべきか?帰ろうか?と迷いながら念の為違うアプリで今日の目的地福井を入れてみるとあった米原経由が。これだと5分遅刻でなんとかなる。おいおい最初のアプリなんだよ!でもよかった。電話を入れて予め遅刻をわびて乗車。福井は未踏の都道府県最後の二つのうちの一つ。次は鹿児島。

赤城神社

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by 卓 坂牛

寺や神社は高台にあるものだが赤城神社もこの辺りでは一番高い。ついでに岬のようにとび出ている。先日来られた千葉学さんがそう地形分析していた。社史によると群馬県赤城神社が江戸に勧請されそれを太田道灌が現在の神楽坂下に移転した後、大胡勝行が弘治元年(1555)にこの高台に移した。赤城山を望めたかも知れない見晴らしのよい場所だったからではと言われている。俯瞰景のある街はいいもんだが俯瞰があればそれだけ見上げもある。

建築論

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by 卓 坂牛

ハンスホラインはその昔すべてが建築だと言った。それは建築を定める概念が共有されなくなったことの証であった。その頃アートの世界ではダントーがアートとは何か?という問いに対してアートワールドという概念を示しアートを取り巻く世界がそこに意味を見出した限りにおいてアートであると説明した。田路さんが建築論研究を創刊してくれた。素晴らしい。私もいつか寄稿したい。創刊号のテーマは建築論とは何か?である。普通に考えれば建築論とは建築とは何か?という存在論的問いである。そしてその答えはダントー的に言えばアーキテクチャーワールドがそこに意味を見出す限りにおいてアーキテクチャなのである。ということになる。建築も終焉しているからこういう答えは普通なのだがそれを乗り越えるにはどうしたらいいのか?となると建築論とは何か?を再度問うと言うことになる。つまりそれは建築とは何か?ではない問いと言うことになるのであろう。