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Oct 2019

建築論の問題群

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by 卓 坂牛

建築雑誌10月号が届きペラペラめくっていたら寄稿した記事にでくわした。こういうものは忘れた頃に現れる。学会の建築論の問題群WGの活動は建築家が座右の書にできるプラクティカルな、そして大学の先生に読み応えあるメタフィジカルな建築論のキーワード集を作りますと書きました。

ミカン

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by 卓 坂牛

最近果物が高かったが少し安くなってきたのでミカンを久しぶりに買ったが酸っぱかった。冷蔵庫入れるより出しておいた方が甘くなると誰かが言ったので調理台の上に並べてある。

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by 卓 坂牛

JIA マガジン10月15日号の「建築が生まれる時」は第17回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展の日本館キュレーター指名コンペに提出されたドローイングでである。門脇耕三さんと参加建築家の共作である。過去の資料からビエンナーレへの展示にかかる膨大な輸送費用に気づき、それを可視化したいと言う展示コンセプトがここに表れている。そしてインタビューではそんな輸送の可視化として、東京にある壊される寸前の家をそのまま解体してヴェネチアに運ぶアイデアを聞き驚いた。

美は作られたもの

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by 卓 坂牛

「美は作られたもの」と美学者小田部胤久は言っていた。僕もそう思う。

話題の書、水野学『センスは知識からはじまる』もセンスは生まれつき備わるものではないと説く。赤ちゃんに美は見極められないし作ることもできない。後天的に学ぶこと、あるいは社会が良いとするものを刷り込まれることで僕らの美は作られる。

黄金比のように普遍的な美は皆が普遍的であると教育された結果に過ぎない。プロポーションがいいという建築批評もその場所と時代に良いプロポーションと言われる範囲に入っていると言っているに過ぎない。スペイン植民地時代の南アメリカではスパニッシュバロックを逸脱した潰れたプロポーションの柱が散見される。これは原住民が自らの体形に合わせてスペインの美を自らの美に変えたために起こったことである。

美は作られたものである。逆に言えば美は作るものでもある。その可能性が僕らの前には転がっている。

CHIBA MANABU

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by 卓 坂牛

千葉学さんからJT CHIBA MANABUをお贈りいただいた。マニフェストは1ページだけと言うシンプルなもの。しかしその中にある「平面で考える」を読んでJIAマガジンの表紙のスケッチでもらったキャド図の上に描いたサインペンの平面スケッチを思い出した。そして「距離をデザインする」と言う言葉に共感した。自邸でもそうだし大村とやっている篠原研究でもそうだが建築においては以下に遠くを見る視線が大事かと言うことを感じている。そして遠さは近さによって見つかる視覚である。千葉建築にはその両方があると思う。

400字

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by 卓 坂牛

僕の講義では毎回400字のレポートを書かせる。400字の段落割は50字、150字、150字、50字とするのが良い。

4段落は1)結論、2)理由あるいは事例、3)理由2あるいは事例2、4)まとめ(無くてもいい)。結論を先に書くのは大学生のレポートの鉄則である。新聞の文章と同じである。誤読を防ぐ効果も高い。結論は普通今まで知られていないことを書くのだからその次に書くことはそれを裏付ける事実あるいは理由てある。

さてそれぞれの字数だが、結論とまとめは端的に50字。理由は150字ぐらいがいい。一般に一段落は200字と言われる。一文40字5文である。しかし短い文章の場合もっとテンポを上げ一文25字くらいが目が疲れない。そして6文150字で一段落ぐらいが読みやすい。

400字でも1つのまとまった文章は作れる。今書いているこの文章がちょうどそのくらいである。