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Nov 2019

建築が生まれる時 

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by 卓 坂牛

JIAマガジン表紙の「建築が生まれる時」シリーズをは去年夏スタートした2018年8月隈さん、9月大谷さん、10月永山さん、11月ヨコミゾさん。12月千葉さん、1月比嘉さん、2月飯田さん、3月田根さん、4月RCR、5月末光さん、6月豊田さん、7月小堀さん、8月山梨さん  、9月能作さん、  10月藤村さん、11月門脇さん、12月ADVVT、一流建築家の秘密を覗かせていただいた。好評である。今年の締めはオリンピック施設で久米、山下、日建に登場していただく予定である。

社会人博士

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by 卓 坂牛

神楽坂に引っ越してからアルファスペースで始めた月一の博士を目指す社会人勉強会も7回目。皆設計事務所の超過密な仕事に追われながら着実に一歩一歩知の山を登っている。学部や修士のゼミは時として徒労感に襲われる時があるが社会人は時間に無駄がないので会話が楽しい。自分が彼らくらいの頃も必死に時間を作って勉強していた。社会人初期の勉強は必ず中堅選手になった時に自らの厚みを増し設計に深みをつける。若い頃の苦労は買ってでもしろと言うがその通りである。

建築デザインのグラフィックデザイン

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by 卓 坂牛

4年前に平瀬さん中野さんと書いた『図解建築プレゼンのグラフィックデザイン』(英語版)をチェコの友人に送ったらまさにこういうことを今教えているとメールが来た。我々な本の特徴は視覚表現をヒエラルキカル←→フラット、論理的←→感覚的という2軸のマトリックスに分類してそれぞれの特性を明らかにしている。アイデアコンペ、卒計、プロポにどの表現を使うべきかを示している。幸い5刷りが決まった。1年に1回増刷している。

 

パンとバナナ

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by 卓 坂牛

朝は僕の方が早くゴミ出してジムに行く。時たま玄関に注文が貼ってあることがある。今朝はパン🍞とバナナ🍌。

建築家の自邸

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by 卓 坂牛
ギャラリーIHAで開催していただいた建築家の自邸を議論するイベントのレビューを町田敦さんが書いてくれた。これを読んでこの家の特徴に「強い内部性」があることを改めて教えられた。そしてこの内部性が日本のある時代にあったものであり今それは開放性へ向かっていると記されていた。僕が今書いている本の中でも現在の建築のハビトゥスとして建築の開閉性がありこの開閉を日本の建築は操作してきたと書いたが全く同じ認識だった。しかし開閉性はあくまで手段であり目的ではない。その結果得られていることは建築、人間、物をどう対話させるかということである。
 
https://galleryiha.wixsite.com/galleryiha/single-post/2019/11/20/『理論としての建築家の自邸』第5回坂牛邸のレビューをアップしました%E3%80%82

稲葉おめでとう

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by 卓 坂牛

学会文化賞を受賞した同級生の稲葉なおとから受賞パーティーの写真をいただいた。こんなにたくさんの人がこられていたとは知らなかった。彼の人徳だね。改めておめでとう。

 

組織の脱権力化

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by 卓 坂牛

私が組織への帰属意識を嫌う理由はその組織を客観視したいがためである。先日鷲田めるろ氏がキュレーターの職場の流動性をあげないと組織の論理に縛られると言っていた。これは学生にも言えて、建築嫌いなら機械にあるいは哲学に転学科、転大学がもっと容易であるべきである。常に権力として働く組織を脱権力化させることが価値観の多様性を担保する。達成型社会は社会を疲弊させると言われるが、そこからの脱出は達成型を止めるのではなく、達成の価値観を多様にすることにあると思う。

大江一夫

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by 卓 坂牛

古谷さんが審査委員をした関西建築家大賞を受賞した大江一夫さんにスカイプでインタビューをした。ホームページを見るとその作品数に驚く。300近くある。しかも徹底してモダニズムを貫いている。その昔ケーススタディハウス#22を見に行ってお会いしたピエール•コーニッグは同級生だったゲーリーを邪道だと一笑に付していた。その姿を彷彿とさせる潔さを感じた。

白斑

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by 卓 坂牛

舌に白斑ができ検査したのが1年前。それから3か月毎に経過観察。大きくもならず小さくもならない。このま一生なにも起こらない場合もあれば癌になることもあると言われ3か月後の予約をする。しかし明日癌になったらどうなるのだろうか?小心ものである。

絨毯

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by 卓 坂牛

物が増えないように夫婦はお互い衝動買いを控えるようにしている。が昨日大学行く道すがら目に止まったスリッパが暖かそうで衝動買い。でも絨毯と同じ色なので存在感ないらいいか。先日長谷川逸子さんが来た時、篠原先生の設計は絨毯多いですよね?と聞いたらほとんど絨毯と言っていた。理由はやはり吸音みたいである。