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Nov 2019

学会だったりJIAだったり

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by 卓 坂牛

建築学会の歴史意匠委員会で来年3月のシンポジウムと夏のPD開催を承認していただいた。ついこのあいだ金沢の学会でPDやったばかりなのにもう来年の手配。最近この手の興業の手配師となり人にお願いすることが多い。JIA編集業も同様でお願い業である。するとお願いした人からは必ず何かを頼まれる。そうやって仕事を増やしているのだがまあそれも楽しい。

Joe

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by 卓 坂牛

レモンの松永さんに紹介したい人がいると言われてお会いしたのが、ロサンゼルス、サンディエゴで建築模型材料などを扱うレモンのような店を経営するジョウさん。2時間半話しこんでしまった。気持ちは完全にLAに飛んでいった。来年LAで会う(UCLAに行けたら)ことを約して別れた。

https://architectscornerla.com/art-sketchbooks

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by 卓 坂牛

大学院製図中間発表。末光さん、川島さんの指導で風と日射分析を使い野沢正光さん設計のソーラタウン府中のオルターナティブを考えるという課題。今回は類似事例の分析だがそのやり方がただシミュレーションソフトを使いましたで終わってない。出来上がった結果のまとめ方が統一されていた。ファイリングを教えるところから始まったと嘆いていたけどその成果は明らか。

僕自身は環境要素を建築表現にしていない。流れと淀みを建築の主軸に掲げた時今のところ、風や光より人の方が上位にあるから。しかしもちろんだからと言って光や風の重要性が低下するわけではない。

 

 

外苑ハウス

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by 卓 坂牛

JIAマガジンの編集会議に来るたびに愕然とする建てかわった外苑ハウスの巨大性。これを見た良識ある建築家たちは例外なく憤っている。そもそもこのあたりの再開発は都が次のようにうたっている。

本地区では、国立霞ヶ丘競技場の建替えを契機に、国内外から多くの人が訪れるスポーツ拠点を創造していきます。また、神宮外苑いちょう並木から明治神宮聖徳記念絵画館を正面に臨む首都東京の象徴となる景観を保全するとともに、神宮外苑地区一帯において、緑豊かな風格ある景観の創出、バリアフリー化された歩行者空間の整備など、成熟した都市・東京の新しい魅力となるまちづくりを推進していきます。

というのはどこ吹く風。景観を考えたという言葉には最も似つかわしくない。ただ容積が上がり高さ制限が上がったそのまま既存のヴォリュームを上に伸ばしただけという建築がそのまま立ち上がっているのである。ザッハの新国立案を排除した日本国はこういう建物がその横にできることを容認しているというのはちょっと恥ずかしい。

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授業の取り組み

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by 卓 坂牛

普段の授業における取り組を寄稿せよと言われた。しかも200字で。大事な順に書いてみる。
1)レポートを具に読み褒めるレポートを選ぶ。
2)為になるテストの問題を考える。
3)学生のレクチャーを楽しく聞く。
4)学生のディスカッションに楽しく加わる。
つまり知識のインプットはクラス外で、クラスではアウトプットに集中する。そんな環境を作るのが自分の役目と考えている。今年はこのシステムが進化して学生の発言は打ち切らないといつまでも続くという嬉しい悲鳴状態である。

メガネ

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by 卓 坂牛

帰宅したら配偶者のメガネがわたしのデザインした小さなテーブルの上に3つ並んでいた。おかえりと、語りかけている、やるなあ、、

監査

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by 卓 坂牛

学内監査を初めて受けたが何事もなく終わった。海外出張のイーチケットから海外講演のポスターからA4 100枚以上の私に関する資料をお持ちなのには驚いた。資料をくださるのなら毎年監査を受けてもいい。自伝を書く資料にしたい。

簡単な雑多

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by 卓 坂牛

木造2棟作った敷地に3棟設計中。そのうち2棟は平屋でベンチュリー母の家のようなプロポーション。3棟とも完全なシンメトリーである。雑多を簡単に作るためのシンメトリー。ベンチュリーも雑多を受け止めたかったはず。

雑多な感情を引き受ける

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by 卓 坂牛

津田大介が愛知トリエンナーレて掲げたコンセプトは雑多な感情を引き受けるだった。とても共感する。自分の建築がそうであって欲しい。ディエゴはぼくをomnivorousと形容した。なんでも食べる雑食という意味である。千葉さんは自邸は身体性と他者性の強度があると述べていた。どちらも雑多な感情を受け入れることに関係する。嬉しい言葉である。

しかし雑多な感情を引き受ける建築をなるべく簡単につくりたい。雑食だけど単食に見えるのが理想である。やり方のイメージはあるのだが建築のプログラムとのせめぎ合いである。

A drawing come never too late.

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by 卓 坂牛

11月15日号の編集後記を書きもうすぐ発刊。今月の建築が生まれる時は現在ギャラリー間で展覧会が開かれているアーキテクテン・デ・ヴィルダー・ヴィンク・タユー(A dvvt)がKattenの国際コンペで勝利した時に最初に描かれたドローイングである。ドローイングはさらに進化していったがこの最初のドローイングが進化のきっかけとなった。彼らはドローイングを書き続ける。そしてこう言う。A drawing come never too late.