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by 卓 坂牛
大学院製図2は野沢正光設計ソーラータウン府中のオルタナティブを作る。教えるのは末光、川島コンビ。ゲストに虎夫さん野沢さん。風と日射を完全数値化。ここまで徹底した環境スタジオはそうない。
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by 卓 坂牛
出かけようと思ったら藤塚さんからから近著日本木造遺産が届いた。藤塚さんは写真家だけど23個の選ばれた木造建築すべてに1ページずつ興味深い撮影記を書いている。これが藤森さんの解説と肩を並べて面白い。ありがとうございます。
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by 卓 坂牛
先日阿部さんからいただいた4つのアドバイス。
1)吹き抜けの形のままトップライトにする
2)エントランスの壁は全部ガラスにする。
3)地下の道路に面する壁は全てガラスにする。
4)外装でコンクリート部はコンクリートを露わす。
4つのアドバイスは全て躯体に正直にという姿勢である。日建時代もよく言われたことで懐かしかった。テクトニックな姿勢でもある。阿部さんらしい。しかし次の世代は立ち止まって考える。ポストモダンなのかもと言ったら、誰かがそうですねと言った。
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by 卓 坂牛
昨日阿部勤さんに言われた。拙宅の図面をみて最初に思いついたのは長谷川逸子さんの緑ヶ丘の住宅で本物を見ても彷彿とさせると。。緑ヶ丘の家は学生の頃見せていただき長谷川さんの建築の中でも大好きなものだった。かといってそれを参照したわけではないが無意識には思い描いていたのかもしれない。先ほど長谷川さんのこれまでの言説、批評をまとめた4巻のアンソロジーが届いた。素晴らしい偉業である。これからじっくり読もうと思うが思わずペラペラと中を見ると初期住宅の焼津の住宅と緑ヶ丘の住宅の解説がそれぞれ「長い距離」、「斜めの壁」と題されていた。なんだか拙宅の建築のエッセンスでもある。半世紀前くらいにすでに長谷川さんがそれらを主題化していたことに驚きと嬉しさを覚えた。そして長谷川さんへの興味が高まってきた。
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by 卓 坂牛
うー、ぎっくり腰的な腰の痛み。昨日ロフトに降りる重い床点検口を持ち上げたのが原因だった。金曜日の原稿締め切りを前に使える時間は今日だけ。朝起きて直ぐに書き始めるも腰に気が散り思考が途切れる。そこで配偶者の知るはりきゅう師の先生に往診していただいた。足の先、膝、首、腰に針してもらい、痛みは引いた。ありがとうございます。身体が冷えているから温めるようにと言われた。足先、腰、首にホカロンしてひたすら書き続け4500字上がった。さて午後これを推敲して3500字にシェイプアップ。
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by 卓 坂牛
阿部勤さんの家でくつろぎました。まさにコージーコーナーが至る所にある家です。
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by 卓 坂牛
リクシルの雑誌『リクシルアイ』の中に建築家二人がお互いの作品を訪れ批評するクロスレビューというコーナーがある。来年の2月号用に阿部勤さんとクロスレビューさせていただいた。テーマは流れ、風景。阿部さんの建築は7.7メートル角で対角線状に視線が抜ける。僕が風景と呼ぶものである。二重のコンクリートの殻に穿たれた穴は僕が言うフレームである。コンクリートの壁の上に木造が載っている、建物は水平垂直だが、配置は斜めで動きが生まれる、共通点の多さに驚かされる。写真は藤塚さん。楽しみである。
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by 卓 坂牛
前回のゼミで執筆中の本の内容の骨子を話した。理念を掲げ、プロジェクトの中に課題を見つけ、それに答えを出すのが設計だと。すると今週即それに即して卒計を組み立て直す学生がいる。この吸収力は大事。とりあえずやってみるものである。きっといい卒計になるだろう。
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by 卓 坂牛
最近Facebookの友達申請が突如増えた。ほぼ海外の建築関係者である。出身や、職場にarchitectureと思しき字が入っていれば自己紹介なくともアクセプトしているが毎日5人くらいいる。いつかどこかで会いましょう。
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by 卓 坂牛
五体満足ではない人の記憶は満足な人のそれとはだいぶ違う。どう違うかをインタビューして調べあげたのがこの『記憶する体』である。たとえば目の見えない人にとって一つの建築体験は臭覚、触覚的な情報で構成される。だから見えない人の空間把握には時間がかかる。ゆっくりと順を追う。一方見える人は瞬時に全体を把握する。モダニズムアートにおいては瞬時にそのゲシュタルトが把握できるものが評価されるのはモダニズムが視覚優位の時代であることの裏返しでもある。
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