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by 卓 坂牛
昔一緒に勉強会していた平倉圭くんはリーテム東京工場ができたときにアーティストとして参加してくれて、現在は横浜国大の准教授である。最近『かたちは思考する』という書を上梓された。300ページを越す重たい本である。芸術が生み出す「かたち」はどのような思考から生まれ、それは我々をどのように巻き込むのかを跡づける。その中に面白い言葉があった。「思考は必ずしも問いを解かない」という言葉である。僕の建築の設計力では建築は課題を設定してそれに答えを作るものだと書いているが、「建築家は必ずしも課題を解かない」のである。そうである、問いを解こうとするのだが、場合によっては解かないのである。そして答えを作ってから問いを変えることもある。
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by 卓 坂牛
坂牛研究室の輪読は毎週金曜日二つのグループで行う、一つは建築専門書を読む、もう一つは建築以外の本を読む。あらかじめ提示した本の中から学生は8冊選んで読むようにしている。13回あるのに8冊にしているのは学生の負荷を減らすのと、1グループ人数を減らすため。輪読は30分レジメを作った学生が内容を発表して1時間は議論することにしている。人数が少ないほど議論が活発となるのである。
来年度前期の本は今日決めた。
第一回 坂牛卓『建築の設計力』
第二回 槇文彦、真壁智治『アナザユートピア』 渡辺靖 『リバタリアニズムーアメリカを揺るがす自由至上主義』
第三回 松隈洋『建築の前夜前川國男論』 堀畑裕之『言葉の服』
第四回 川向正人『近現代建築史』 橋本健二『新・日本の階級社会』
第五回 島原万丈+HOME`S総研 『本当に住んで幸せな街ー全国「官能都市」ランキング』
アシュリー•マーデル『13歳から知っておきたいLGBT』
第六回 河上眞理、清水重敦『辰野金吾』 樋口桂子『日本人とリズム感』
第七回 馬場正尊『公共空間のリノベーション』 nhkスペシャル取材班『縮小ニッポンの衝撃』
第八回 アンソニー・ヴィドラ― 『 20世紀建築の発明』 国分功一郎『中動態の世界—意思と責任の考古学』
第九回 水内俊雄・加藤政洋・大城直樹『モダン都市の系譜―地図からよみ解く社会と空間』 オリバー・ストーン&ピーター・カズニック『オリバー・ストーンの「アメリカ史」講義』
第十回 豊川斎嚇『丹下健三』 平野啓一郎『私とは何か「個人」から「分人」へ』
第十一回 香山 壽夫『建築意匠講義』 大坪健二 『アルフレッド・バーとニューヨーク近代美術館の誕生-アメリカ二十世紀美術の一研究』
第十二回 長谷川逸子『生活の装置』 田口淑子編『All About Yohji Yamamoto from 1968山本耀司モードの記録』
第十三回 後藤久『西洋住居史』深澤徳『思想としての「無印良品」』
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by 卓 坂牛
毎年この時期になると、研究室の来年度の体制とか、ゼミの仕方とか、輪読本の選定とか、各自の役割とか決めることになる。毎年坂牛研究室は人が多いが来年度も私を入れて31人の予定である。おそらく理科大の中では混雑度ベスト5に入る研究室であろう。普通、建築学科ならその定員から考えて補手や助教や秘書がいても大抵は先生いれて25人くらいにはおさまるものなのだが、客員の研究員がいたり、博士がいたり、社会人がいたり、留学から帰ってきた学生がいたりでこの人数となる。
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by 卓 坂牛
正しいことと善いことは少し違う。正しいは地球ルールで善いはローカルルールである。だからローカルな会議では善いを求めるべきだか、突如正しいことをいう人が現れると困惑する。
知り合いが年初にこんなことを書いていた。
2020年、あらためてそういう人と距離をとらねばとおもっているのが
1)嫉妬する人
2)マウントする人
3)正論言う人
まったく同感である。
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by 卓 坂牛
ミース財団が中心になって若い建築家に賞をあげるために日本担当となった。デザイン教育に力を入れている43の大学に参加を呼びかけて優秀修士設計を推薦ずるようお願いしてわかった。修士設計をしていない大学は3校くらいなのである。
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by 卓 坂牛
大学の事務の方には規則に厳格な人と寛大な人がいる。我々からすると後者が、ありがたいけど規則正しい人が頼れる時もある。短所は長所になる時もある。学生も時間を守る人と守らない人がいる。もちろん前者が、正しい姿だがいい奴かどうかは別問題である。ぼくの海外の友達はデンマークのレネ以外は考えられないくらいいい加減である。メールの返事か半年来ないなんてザラである。でもみな賢くいい奴である。そう思って誰とでも付き合うようになってきた。きっといいところがあるはずだと思っていれば腹もたたない。
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by 卓 坂牛
元菊竹事務所にいらした宮宇地一彦さんの著書に建築デザインの発想は3つあって、演繹、帰納、仮説とある。しかし演繹と帰納は逆さまな概念とはいえ、いざ設計の現場を考えれば、積み重ねた設計経験によって生まれた自分なりの理念からその発想する(演繹)も経験から次を、考える(帰納)も結果はほぼ同じとなる。しかし仮説と言うのは新しい何かを生む可能性を感じる。
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by 卓 坂牛
毎年春休みにデンマークのオーフスから学生30人くらいと引率の先生ピーターがやってくる。今年は既に関西に降り立ち3月29日に東京とのこと。彼には2年前事務所で神楽坂の家の沢山のスタディ模型を見せている。今年は出来上がりを見てもらおう。
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by 卓 坂牛
神楽坂に来てから風邪の症状が出たら耳鼻科に行く。近くて評判が良いから。小さい子供も多い。このクリニックは診察室が広いので早めに診察室に呼ばれて待つ。前の小さな子供は管を入れられて鼻の掃除をされている。子供はこの手のことは大嫌いで、家が吹き飛びそうな爆音で泣いている。先生も看護師さんも慣れたもんで、適当にあやしながらも手を止めない。何事もなかったかのように終わる。僕も同じことをされるが一度見てるから次に起こることがわかる。これは大きい。あらかじめ診察室に入れるのは先生の作戦かとその時わかる。しかし診察って結構個人的なことでもあるよな?とふと思う。
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by 卓 坂牛
他大学の中国人留学生博士論文予備審査をした。残念ながらちょっと未だ無理と言う判断になった。こう言うこともあるもんだ。主査の先生曰くその大学を受ける中国人が急増している。偽造ポートフォリオに注意した方がいいと言われた。受ける先生の趣向を調査し、一冊百万で請負そうだ。僕は重点十大学しか取らない、と言ったらそれも怪しいよと言われた。卒業証書なんて簡単に偽造できる。だいたい読めないし。
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