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Feb 2020

うつわや釉

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by 卓 坂牛

若い二人へのお祝いを探しにに「うつわや釉」に行った。今回は四角い深皿にした。青い釉薬がインクを流したように広がっている。ふと織部のモダンなフォルムに目が留まりこちらは家用に。

編集

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by 卓 坂牛

小学館の名編集者だった豐田きいちが書いた『編集』を読むと編集者と作者の人間関係の機微が伝わる。編集者は作者にその品格や知性を疑われたらもう相手にされない。もちろんその逆もある。だから僕もインタビューするときはかなり勉強するし、くだらない事は聞けない。逆に編集者が持ってくる企画やデザインは吟味する。真のある信頼できる人かどうかは一回仕事をすれば分かる。怖い世界だけどそれで信頼を得た編集者は生きながらえるのだろう。

 

 

レイモンド

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by 卓 坂牛

ヘレナ•カプチョコバが編集したアントニーレイモンドの本ができた。彼女はバウハウス研究者でもあり一緒にバウハウスイベントのモデレーターをした仲なので心よりお祝いしたい。そのお出版記念会がチェコ大使館で行われた。この建物はコンペでチェコの建築家がとり、レイモンド事務所が実施設計したそうだ。70年代のモダニズムの香り漂う素敵な建物である。

甲府のお堂

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by 卓 坂牛

ちょうど2年前くらいから始まった甲府のお堂が完成した。着工したのが去年のいま頃だった。少々厄介な仕事だったが中川君の現場マネージメントが上手で綺麗な仕上がりとなった。真っ白な漆喰を使ったのは今回が初めてである。樋を隠すディテールや中庭を挟んだサービスコアとお堂の分離など新しいプランニングや素材ディテールが上手くいった。ウェッブサイトにアップ。

修士設計

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by 卓 坂牛

その昔小嶋さんに呼ばれて理工の修士設計を見に行った時、修了条件は卒計を上回ることと言っていた。僕らの修士設計は論文付きなので設計部分だけ見ていると卒計以下が散見されるが今年はだいぶいい。

荒廃しかけの棚田を水の景を生み出す装置的建築の付置によって再生させる案。自然の流れを視覚化させトポグラフィーに生を与える考えと方法が巧み。

ル•コルビジュエのレイヤーと曲面の定量分析から新たな曲面とレイヤーの使い方を都心の高密度アーティストシェアハウスに適用した案。圧倒的なデザイン力が様々な破綻を差し引いてもお釣りがくる。

下町の建築遺構のエレメントを残す装置の提案。歴史の解体、保存、再構築という知的操作が新しい過去との向き合い方を見せてくれた。

どれもが、卒計ではたどり着かない理念と課題設定、それらへの答えを示してくれた。これらはおそらく君たちに一生付き纏うもう1人の君となる大事に付き合って欲しい。

修士設計は今日から3日間公開中理科大葛飾キャンパス研究棟7階へ是非お越し下さい。上記以外にも全11作品展示中。

写真は宇野先生撮影を借用いたしました。

キヌア

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by 卓 坂牛

今やスミルパン、アラベナの次世代の建築家マックスのレギュラースタッフとなった中村は昔、広谷事務所の正社員で夜理科大二部に通い、成績、卒計ともに主席で卒業した。そんな彼女が図面を描いた中野のワインバーで一時帰国した彼女に会った。チリにいながら日本の住宅を竣工させるという離れ技もやってのけ周囲は驚き。キヌアをもらった。グラシアス。

中野

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by 卓 坂牛

旧制弘前高校を卒業した父は母と東京に駆け落ちした。母は東北では知らぬ者はいない料亭一心亭の次女でこの駆け落ちは新聞沙汰となった。その新聞、東奥日報の社主は一心亭の顧客で私の大叔母は社主の妾となり東京に豪邸を構えていた。駆け落ちした母は勘当ものだったがそれを不憫に思った祖母はこっそり二人にアパートの一室を買い与えた。それが中野ブロードウェイの裏のディープな飲屋街の一画である。そこで兄は生まれ、その後江古田に引越しそのアパートは貸していた。私が日建で働き始めた頃そこは空き家てわ私は友達とここで土日日建とは違う仕事をしていた。その小さなアパートはその後ミニ再開さ発されマンションとなった。その姿を昨晩初めて見た。懐かしい場所だがあの面影はない。

編集

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by 卓 坂牛

ゴールをイメージしないと未完な仕事になると卒計を批判した。建築の仕事でゴールはイメージするし、それからずれたら反省する。しかし文章書く仕事ではそうはいかない。ゴールはイメージするけどそのゴールにたどり着いたことは一度もない。それは言うまでもなく編集者がいるからだ。彼らには彼らのゴールがありそのゴールに著者がたどり着かない限りゴールできないのである。いつも同じ編集者とコンビを組んでお互いが阿吽の呼吸なら二人はゴールを共有するがそういう経験は残念ながらない。翻訳は鹿島の川島さんと何度かやれたがお辞めになってしまった。

卒計

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by 卓 坂牛

卒計を見て思った。

全ての着想は現代的で面白い。しかし3分の2は何かが不足している。考え、設計、プレゼンのどれかが終わってない。おそらくその理由は最初にゴールをイメージしていないから、できるところまでやって終わっているからである。優秀なサッカー選手はボールを持った時にゴールがイメージできているというが同じである

さて3分の1は終わっているのだが差はある。それは二つの側面に現れる。ロゴスとパトスである。ロゴスの部分は説得力である。それはプロジェクトの論理展開が半分、残り半分はテーマである。それは建築への問題意識だから4年になって考えていたのではもう遅い。日常の問題意識で決まる。パトスの部分はデザイン能力である。半分は素質である。素質のある人は一発のスケッチでゴールにたどり着く。ほとんどの能力がない人はたどり着くまで描かないとダメである。途中でやめたなというのはすぐわかる。もったいない。

学び

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by 卓 坂牛

祝日を休むと卒業できない日本の大学はおかしい。戦後まもなくできた法律で政府は1単位取るのに45時間学べと決めた。しかし予習復習が大事だから予習1時間(と言っても実質45分)。授業1時間、復習1時間と決めて半期授業を15回することを徹底した。しかしこれを徹底すると祝日授業にしないとらカリキュラムが成り立たないのである。既にここがおかしい。法律を変えて45時間を40時間にするか予習復習時間を増やすかして授業回数を減らすべきである。しかし先生も文科省の役人も学生が授業時間以上の予習復習をするとは考えていない。しかしそんなことはない。授業が面白ければ学生は自発的に学ぶ。手前味噌だが僕の授業は平均2時間くらいの教室外での学びをしていることがわかった。だから授業回数が重要ではない。学びのモーチベーションの作り方が重要なのだ。そして祝日は休むべきである。