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by 卓 坂牛
食べることは殺すことである。だからどこか後ろめたいが、ある快感もある。衣食住は自然を文化の枠組みに変換することであり、食の構造は、住にも衣にも当てはまる。今でこそ木や石の乱伐に後ろたさを覚えるものの、自然を制覇することへの意義を見出していた時期はあるだろうし、衣における毛皮なども同様だ。自然を加工して文化に入れ込む最高の方法は(レヴィ・ストロースの食の三角形で言えば)腐らすことにある。それは長持ちさせ、味、アルコールを作る方法である。そしてこれは一歩間違えば毒となる。極論すれば人間は毒を食らう。そして毒性が強いほど文化的な熟度は高い。住と衣も恐らく熟成していけばそれは毒なのである。無菌で味のないマクドナルド(のような建築)を作り続けてはいけないのである。
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by 卓 坂牛
僕が割と常々大学教育で思っていることは多様な人材の排出であり、多様な価値観を許容する教え方である。教育学者である著者も同じようなことを言っているのでホッとした。日本の教育の短所は学力においては垂直的序列化であり、人間的資質においては水平的画一化だという。そこで必要なのは学力においても人間的資質においても多様性である。さらに会社や働きの場がそうした多様性を受け入れ可能となるよう変えていくことである。自民党政権による教育基本法の改悪(愛国主義の植え付け)は画一化した価値観の強要であり言語道断である。そんなことをしている暇があったら高校教育をもっと多様にし、社会構造を変革させなければならない。
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by 卓 坂牛
中学高校が徒歩圏内なら13年勤めた日建設計も徒歩圏である。と言っても現在の本社ビルの場所ではなく飯田橋の五叉路の角にあるラスタータイル張りの小さなビルである。しかし働き始めて2年目に引っ越し。林昌二さんが作った少人数のアトリエみたいなチームに呼ばれたからである。山梨さん、小堀さん、伊加賀さんたちがいて楽しい場所だった。場所はアトリエだからと言って近所のマンションの1階を借りた(現在はコンビニになっていた)。大雨が降ると神田川が溢れ浸水する場所だった。最初の仕事は博覧会のパビリオン。相当勝手にやらせていただきSDレビューにも展示していただいた。30になったら辞めるつもりだっが色々あって長居した。
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by 卓 坂牛
蕎麦屋の料理と思ったら、天ぷらが連想された。我が家では数十年ぶりに天ぷらを揚げた。ころもに卵がいるのかどうかも忘れてしまった。筍、玉ねぎ、インゲン、チーズ、椎茸、天ぷらは揚げたそばから食べるのが一番。アンチョビと炒めた長ネギが美味い。
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by 卓 坂牛
富士吉田の新世界でのリノベ工事が止まった。クライアントであるイタリア料理屋さんへの銀行融資が差し止められたからである。こういうところへ救済の手はないのか?やっと始まった地方復活の芽を育てる気遣いが欲しい。
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by 卓 坂牛
週末は寝具洗濯とカーペット掃除。布団カバーは大きいので吹き抜けに干す。上昇気流で乾きがいい。
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by 卓 坂牛
中学高校は同じ敷地で最寄り駅は丸の内線茗荷谷駅だった。高1の時有楽町線が、開通し学校の近くに護国寺駅ができた。しかしその頃寺には興味はなく。せいぜいサッカーの練習後に寺の客目当ての甘味処でしるこを食べるくらいであった。その後何度か葬式で訪れたことはあったが、本堂まで階段を上がったことはなかった。300年近く経ついい寺だ。
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by 卓 坂牛
配偶者が牛を食べたいと言うので散歩がてら買いに行った。日本の牛は油が多すぎるので避けて、外来物を探した。最近メキシコの牛が美味しいが、今日はニュージーランド、大根おろしにポン酢で食す。ワインはメンドーサのマルベック。副菜は茹でたえんどう豆をマヨネーズに赤胡椒。昨日と同じ胡瓜に大葉。そして揚げと春菊。
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by 卓 坂牛
OFDAに荷物が来るので立ち寄る。木島さんがセットしてくれたウェットティッシュ、マスク交換シートが玄関に。テレワークが多く今朝は無人。
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