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by 卓 坂牛
朝マンションのエントランスを出たら浅野先生に出会う。こんなところでお会いするのははじめてである。大学で事務所から来ているメールに返事を書いたり、諸指示を院生たちに置手紙。その後東京へ。車中、仲正昌樹『デリダの遺言』を読む。この手の著者(東大文学部系ちょっと暗めの屈折おじさん)を異様に嫌う人たちがいるのだが実は僕は読むのは嫌いではない。本人に会ったらよく分かりませんが。一週間ぶりの事務所。これだけ間を空けたのは初めてだろう。まっ卒論だから仕方ないね。4時に川崎のクライアントがいらっしゃった。打ち合わせはあまり悩むこともなく進んだ。大まかな進行方向が決まった。これもスタッフの準備のおかげであろう。さあこれでどの程度当初のイメージを崩さず進められるかが問題である。
打ち合わせ後、秘書の井上の就職相談。研究室の就職で頭が一杯だったが井上も3年生である。来年の今頃仕事の状況が許せば希望をかなえてあげる旨約束。そう言えば今年はあるとき以来あまり就職相談が来ない。もうピークを過ぎたのか?
9時半頃帰宅。4人目の家族(チワワ)が来ていた。3キログラムと大きなチワワである。我が家に来てまだ4日くらい。臆病者で近寄ってきても30センチ向こうで踵を返して逃げてしまう。
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by 卓 坂牛
昨晩は卒論発表会。50名あまりの発表を8時半から一人7分ずつ聞いた。終わったのは夕方。僕の部屋の人。他の部屋の人もご苦労様。卒研のカタチは全員しっかりおさえていた。20数年前の自分を思い出した、東工大の小さな教室で同じような発表をした。信じられないかもしれないが、(僕自身信じられないが)当時の論文は全員手書きが普通。僕等スチュワート研だけは、英語で書いていたので少し違った。藤田は手書きだったが、辺見はタイプ、僕はあるところからパソコンを借りてきて打った。(当時パソコンはよほどのオタクでなければ持っていなかったのである。研究室はどこを見渡してもどこも持っていなかった。大学に一台大型コンピューターがあり、それにパンチカードで入力するという信じられない時代だった)梗概もロットリングで手書き。一字も間違えられないし、一字一字美しく書かなければならなかった。僕等スチュワート研は論文を最初から英語で書いていたから、辞書片手に英語の論文を日本語に訳しながら日本語の梗概を書いていたのであった。
さて、とにもかくにも全員passできて卒業が決まった。4年生とともに僕自身この大学に来て最初の仕事をこなせたという安堵感と喜びがある。(設計の内容はまだちょっとではある。だからpassではあるけれどaとは限らない。僕がuclaの修士の時、修士設計を4人の審査員の前で発表した時、主査であるチャールズムーアがpass と書いてサインしてくれたのを思い出す。アメリカではpassか否かだけなのであった)
さてこうして学部生、修士生が卒業できたのは下級生の絶大なるヘルプがあったからである。先輩を手伝う習慣がなかったこの大学に手伝いを徹底させようととにかくことあるごとに手伝え手伝えを連呼したせいで、本当に多くの人が彼等をサポートしてくれた。そういう下級生にお礼をしようということで50人近くでお礼の会を開いた。4年は昨晩も徹夜という状態で(発表会の前まで徹夜するというのもしかし、本当に計画性がないよなあ)ふらふらになりながらよくのみよく騒いでいた。会を仕切ったのはm1だけれどお見事。本当に忘年会に続いて大いに笑わしてもらった。健康にいいなあ。「これがあるだけでも信大に来た甲斐があった」と言ったら「それだけですか?」とすかさず突っ込まれてしまった。「それだけではない」と言いたいがそれは来年の今頃卒計、修士設計にもっと満足できるかにかかっている。来年の4年、修士はいい3年を見つけ、3年はいい2年を見つけて手伝ってもらうそれが君たちの権利だし、そこで自分の力を伝授するのが義務でもある。
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by 卓 坂牛
一年たつのは本当に早い。この大学で働き始めて一年。最初の卒業生の発表会が明日である。内容へのコメントはまだしないけれど、無事卒業できることを祈ろう。
川崎の家の打ち合わせを朝メールと電話とファックスでする。先週の金曜日が最初のクライアントとの打ち合わせだった。そこでクライアントに思いっきり叩かれたのだが、問題はこの次である。次が大事なのである。最初というのはこちらも夢を詰め込んでプレゼンする。そして大体クライアントの思い描くものと齟齬をきたす。そしてこちらはびびったり、しょげたりして、最初の夢はどこかへ吹っ飛んでしまうことが多い。「ヤマ」の時もそうだった。こんなコートハウスみたいのは絶対いやだと言われあっさりその路線を変更。その後紆余曲折して最初の案に戻るのに4ヶ月くらいかかった。
最初に叩かれるとこちらも少しびびるので相手の言いなりになるもので、少しいい子になろうとする。しかしいい子になることが最終到着地への近道ではない。それは絶対に言える。いや悪い方向に進むことも多々ある。確かに最初の案でクライアントの意向を無視している部分は多いのだが、それを指摘されてびびっても仕方ないのである。
まあいいや。とにかく今日は研究室でひたすらスケッチを書いていた。
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by 卓 坂牛
朝からガイダンスのチラシ作り。3年生向け研究室ガイダンスを2コマめに行う。午後同じ学生相手に就職のガイダンス。僕は設計分野の就職担当。その後4年の卒論発表会のリハーサル。一人5分。修士に比べると短いものである。みんなもうなんとなかなりそうだ。一安心(するのは早いかな?)。
夕食後ことのほか雑用に手間取る。須坂市に送る講演会のチラシのpdfを作るのに時間がかかってしまった。そのため東京帰りそびれた。こうなったら明日の社内ミーティングも電話メール作戦に切り替えよう。
先日ゴンブリッチ(有名な美術史家です)の書いた『若い読者のための世界史』という本を買った。小学生か中学生向けの世界史の本である。なんとも不思議な本だが、彼が25歳の時に妹に語って聞かせた世界史だそうだ。童話のような語り口に絵本のような挿絵が入っている。古代エジプト、インド、中国、そしてやっとギリシアと進むこの本は疲れた頭には一服の癒しである。ふっと4000年の過去に飛んでいくような気分である。
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by 卓 坂牛
昨日は長い一日だった。午前中、会議、午後も会議、研究室で今日の3年生ガイダンスの資料などいくつか作って、あわてて3時半の新幹線に飛び乗る。車中昨日のギデンズを読むが東京についてからの講演会でどうしゃべろうかなどと考えているとあまり頭に入らない。とりあえず、ギデンズとしてはデュルケムやパーソンズの構造優先には異議ありというポジションだけ確認して終わり。講演会画像の整理をしていたら、東京。走って会場へ。今日はaaca賞、芦原信義賞の展示+講演会が大手町カフェで行われるのであった。会場に着いたら、既にaaca賞の藤江和子さんの講演が行われていた。途中で侵入。その後aaca賞特別賞の京都迎賓館について日建の佐藤さん。続いてやはり特別賞の竹中工務店本店ビルについて。そして僕。日建は相変わらず手配師的な仕事の仕方で日本の名工を総結集し、日本で一番高い材料を全部集めてきてこの迎賓館を作ったようだ。総工費を明らかにして欲しいものだ、我々の税金で作っているのだから。プラダといい勝負ではないのか??竹中の本店ビルはあの外観だけ注目していたけれど、実は光と風とアートがテーマだったようで。この手のテーマは10年前日建でいやというほどやってきたのではあるが、やはり普遍的なのだろうか????
そこへいくと藤江さんの作品はすっと腑に落ちる。感性でデザインできるひとなのだろう。理屈ではないという感じである。そもそも家具を作れる人はミリ単位の目を持っているものと坂本先生に言われたことがあるが、やはり僕等とは別種の感覚を持っていると思う。
僕は、完成品ではなく設計プロセスをお見せした。パワポがうまくできなかったのでpdfを開きつつ割とアドリブでお話しした。少し見にくかったかもしれない。ごめんなさい。
その後パーティ。元芸大の学長だった澄川先生に久しぶりにお会いした。現在は内藤さんの設計した島根芸術文化センターのセンター長だそうで「遊びにおいで」と誘われた。いや是非行きたい。芦原太郎さんを始めてご紹介された。親子そろってどうしてこう人あたりの良い方たちなのだろうか。竹中の水野さんという設計課長にお会いした。「坂牛さんとは20年前に会ってますよ」と言われびっくり。その当時東京の大学の卒業設計展に日大代表で選ばれていたそうだ。なるほどあの時の方だったか。「展覧会の後のみに行きましたよねえ。東大の藤野とかと」と言われまたビックリ。まったく記憶に無い。
さてパーティーをこっそり中座して事務所に、1時間ほど打ち合わせ。腹の虫の居所が悪い。まああまり感情を出さずに冷静に考えよう。そして最終のアサマに飛び乗った。
長い一日だった。今日もそんな日になるのかな??
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by 卓 坂牛
明日の大手町カフェでの講演の内容考えて、3月須坂で行う講演会のタイトル考えて、明後日大学でやる研究室ガイダンスのペーパーと、製図第五の春休みの宿題を考えた。その合間に早稲田対トヨタのラグビー見て(早稲田が勝ったすごい)、ギデンズの『社会学の新しい方法規準第二版』を読んだ。最近少し、このあたりの人たちの主張が相対化できるようになってきた。
夕方から北風がびゅんびゅん吹き始めた。ちょっと事務所に行ったら柴田君が一人で仕事をしていた。明日の仕事のメモをスタッフにおいて必要な本を持って帰ってきた。今日の夕飯はお好み焼き。なかなか家で食べるお好み焼きも美味しいものだ。テレビからは上村愛子が残念ながら5位に終わったというニュースが流れてきた。残念。上村も三回めのオリンピック。デビューは長野だったのである。その長野にさあ最終で行こう。
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by 卓 坂牛
これはブルデューの文化再生産理論の知見の一つだそうだが、「労働者や農民の子弟は・・・一定の自己限定を行い、法学部、医学部、薬学部をあまりえらばないという傾向がある。代わりに、文学部と理学部に進む、」(宮島喬『文化的再生産の社会学』)その理由の最大のものは、彼等は自分たちの身近な世界にそのモデルを見出すということであり、身近でないものからは無意識のうちに遠のくのである。これはブルデューのフランスでの調査結果であるが、その文化的再生産の仕組みは日本でもほぼ同じであろう。人は身近なモデルに進みやすいのである。それは大学の学科選択に始まり、就職へとつながる。
つまりもうすぐ佳境にはいる大学の就職戦線においても言えることである。先輩が進んだ就職先をイージーなモデルとして自己同化させながら自分の未来像を作り上げる。そして長年その再生産が行われてきたのである。ある狭い殻の中で安穏としているように見える。人のことを非難するつもりなど全然無い。自分がまったくそうだった。ほとんど何も考えず就職した悪しき例である。だからこそ信州大学の学生にはそうなって欲しくない。自分の可能性を信じて自分の身近なイージーなモデルに自己同化せずに、チャレンジして欲しい。今まで先輩が行かなかったようなところでも自分の進みたい道があればとことん挑戦して欲しい。それができるだけの力は、少なくともデザインの分野に関しては3年かけて教えるつもりである。
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by 卓 坂牛
早朝大学。レポートを再読。日課のカントと睨めっこ。カントのカテゴリーには批判も多いというが、質と量と様相と関係というのはとても分かりやすい。
10時8分のアサマに乗る。この電車は大宮しか止まらない一番速いアサマである。東京11時半に着く。車中、更にレポートを再読。昨日Bをつけたものの中にAに上げるものがないか見直しである。東京昼。ちょっと丸善により、昼食をとり、4冊ほど本を買って事務所に向かう。3時から川崎のクライアントとの打ち合わせ。いろいろと要望を聞く。
夜友人と会食。
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by 卓 坂牛
朝8時から修論の発表会。一人15分で36人夕方6時までびっしり。さすがに疲れた。全員漏れなく聞いた。さて専門外も含めて聞いてみて何が分からないって、構造は分からない。なんでだろうね、本来ここは一番設計者にとって身近なはずなのに、ブラックボックスである。終了後即判定会議。皆さん御苦労様。さて、それが終わって、東京へ帰るか否かちょっと悩む。山のように届いたレポートをどうするか???読む決心をした。優秀作品10個を選定した。これが5時間かかった。5000字レポート50篇である。25万字。新書1.7冊分である。10時間発表を聞いた後の頭にはちょっと拷問。この10篇を竹内に送るのだが、向こうのボックスが一杯で戻ってきてしまう。あーメールも弱ったものだ。
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by 卓 坂牛
昨晩帰宅すると朝日の友人Mからメールあり。5日の日曜日から朝刊1面に「分裂にっぽん」という連載を始めたので読んでくれとのこと。実はこの記事は既にとても気になる良い紙面(記事だけでなく、写真もいい)だと思っていたところだった。そうか、いい仕事をしているなあと思って、嬉しくなった。内容は東京の20年前に典型的な中流サラリーマンの住む町として名を馳せた高島平団地を取材ポイントとしながら高齢化し家賃を払うのもままならぬ人々を見つめ、リストラで家賃を払えず抜け出てしまった人を追うというものである。要は高齢化と下流化を中流の総本山で取材するというものである。久々に新聞の言葉が感性に訴えていた。最近社会学の本を読み、社会をシステム化する目を養っているけれど、マクロな捉え方の中にミクロとしての人がいることは言うまでも無いし、そうしたミクロを訴える力が新聞には未だ残っていると感じる記事だった(褒めすぎか?)。日曜版の団地の写真はまるで香港のスラム。その写真に引き寄せられてこの記事を読んだのである。
今朝は昨日とうって変わって寒い。また寒波である。午前中事務所で月曜日の芦原義信賞受賞レクチャのパワポ作り。午後川崎の家の社内打ち合わせ。10日がクライアントプレゼン。第一案の最後のチェック。第二案もあるのだが、まだそちらのほうが良いと思えていない。10日に見せるかどうかは模型次第。
打ち合わせ後、長野へ。今日は卒論の梗概提出日。電話で全員提出したことを確認した。8時に大学に到着。本論のチェック。最終ボードを画面上でチェック。まだレイアウトされていなかったり内容が不足しているものある。発表まで時間のある限り詰めてほしい。
2年生のデザイン論、院生の空間設計のレポートがメールで届き始める。まだ読む元気はないが、なんとなくワードファイルを開きたくなる。プレゼントの箱を開けるようなわくわく感がある。そしてナカミにさらりと目を通す。アッと目を惹く写真が載っていたり、キラリと光る言葉が転がっているとついその周辺を読んでみたくなる。でもまだ我慢。時間のある日を作って一気に読むつもりである。明日は修論発表会。