On August 22, 2006
by 卓 坂牛
長野も異常に暑い。台風が暖気を連れてきたのだろうか。午後博士課程の入学試験を行い、その後コンペのゼミ。商業施設のコンペだが、その昔台場のコンペ(現在のデックス東京ビーチ)をしていた頃を思い出す。しかしあの頃の常識と現在のそれは大きく変わってきているだろうことは想像に難くない。ゼミ中にファックスが届く、今晩の朝日夕刊に掲載されるという篠原先生の追悼記事である。朝日は訃報も顔写真入りだったし、大西さんがいるせいか扱いが丁寧である。伊東、坂本、長谷川のコメント。最後に奥山のコメントも載っている。ついに奥山が最後の弟子となった観がある。奥山は「モダニズムの闘いはこれから始まるのです」と先生が言っていたとコメントしている。モダニズムの闘いとは何なのだろうか?昔ポストモダニズム華やかな頃先生は「これは幕間劇である」と述べてその通りになったが、世紀末に多発した(している)アールヌーヴォーのような建築群もまた一過性の現象だと言いたかったのだろうか?
On August 20, 2006
by 卓 坂牛
建築における量の問題というのはかねてからの僕なりのテーマ。それは修士の時に摩天楼研究をした時からのもの。論文の最後に残ったこの問題。実はこれは僕のモノサシには入っていないテーマ。だから重要な問題なのだが、なかなか書けない。朝からうーうー唸って、気分転換に四谷図書館に行こうと思ったのだが、今日は休館日。ダムの話や橋の話など、土木的なテーマを少しずつネットで調べる。David E. Nyeの American Technological Sublime を補助線に技術革新と量と数学的崇高に話を関連付けようというのが最初の狙い。そしてじつは崇高以外に量の問題は塔性という高さへの希求へと繋がるというのが二つ目の狙いである。そこへつなげていく筋道がまだ甘い。
On August 19, 2006
by 卓 坂牛
長野から松本へ、松本市美術館でかみさんの師である上條信山の展覧会を見る。二ヶ月ほど前学生を連れて見学に来た時、先生の常設の部屋があるのに驚き、企画展をすると予告のポスターが出ていたのでこのチャンスに家族でやって来た。その昔東急デパートでやった時のものだいぶあるし、芸術院賞を受賞した汲古も出品されていた。世界中でやられたパフォーマンスの映像もあり、充実した展覧会だし、先日上海で見た中国の書より、やはり僕は好きである。
帰りは松本からアズサで新宿に。車中駅で買った小阪修平の『思想としての全共闘世代』を読む。
On August 19, 2006
by 卓 坂牛
8月18日
今回の飯綱は家族そろって避暑地で勉強というコンセプト。飯綱山荘には日建がコンペなどやる時の合宿ができるように、40畳くらいの勉強部屋がある。僕は論文、かみさんはレクチャーの資料まとめ、娘は宿題。と皆それぞれに勝手きままに好きなことをする。本当は軽い登山をしたかったのだが、娘の友人の祖父がそばの別荘で小熊を見たというのでビビッテ登山は中止。その代わり夕方三人で散歩。音の無い林の中を歩くのは爽快である。
来る時東京駅で買った『オシムの言葉』を読んだ。指導者たるものこうなんだなあといろいろと反省中。
On August 19, 2006
by 卓 坂牛
8月17日
12時のアサマで長野に、今回は大学ではなく飯綱の日建の山荘へ家族と共に向かう。僕も休暇である。娘の友人家族が近くの別荘に来ており彼らとしばしテニス。30分でもうへとへとである。山荘にもどりラウンジでくつろいでいると声を掛けてきたやつがいる。おおなんとサトケンではないか。その昔の後輩である。今では9月に竣工する名古屋駅前の超高層の設計者。キャナルの図面に色を塗らせていた15年くらい前のことが昨日のように蘇る。彼は三つ子の父。1歳の頃会ったことがある三つ子が登場した。なんとも愛らしい。もう6つ。女、男、女の三卵性の三つ子である。うちの娘の後ろをずーと着いて回って遊んでいる。
On August 16, 2006
by 卓 坂牛
ジェンクスのポストモダニズムの建築言語を読み返した。彼はメタフォリカルな建築を称揚するのだが、メタフォリカルなものは結局生物的なものが多い。すなわち有機的な形はイメージ喚起力があると言う。一方でモダニズムの建築に死刑宣告するのだが、それらは幾何学的で無機的な直線直角建築であるという。
もちろんジェンクスは形それ自体よりその意味を語るのだが結果的には直線を嫌い、曲線に期待を寄せている。それはジェンクスが明示しているわけではないけれど、意味が豊富なものは自然のものに多く、自然のものは直線が少ないからである。ジェンクスにはちょっと飽き飽きしていたけれど、こう言う風に解釈し直すと少し味が出てくる。
今日は神宮の花火大会があり四谷周辺には浴衣姿の女性が多くいた。台風接近だったがなんとか打ち上げられたようである。9時頃には最終の連続打ち上げがまるで雷のように鳴り響いていた。
On August 15, 2006
by 卓 坂牛
今日もお盆休みのスタッフが多くて事務所はがらんどうである。電話もかかってこないしシーンとしている。皆思い思いの仕事をしている。僕は図説世界建築史を斜め読む。この全集は全部で16巻くらいある。定価は一冊12000円くらいする。著者も翻訳者も超一流である。写真が今一だが、僕の知っている建築史の本では最も充実していると思う。去年ネットの古本で全部かき集めた。この手の本はザーッと一気に目を通すと映画を見ているように目に焼きつく。
巨大建築の歴史を調べているのだが、やはりクフのピラミッドは大きい。容積は257万5千㎥。これに匹敵する建物はワールドトレードセンター。しかし一本では165万㎥でピラミッドには追いつかない。2本でやっと追い越せる。単体の建物ではピラミッドがやはり世界一だろうか?
On August 14, 2006
by 卓 坂牛
お盆のまっただ中。事務所も4名休暇中で閑散としている。外は地獄だが事務所内は冷蔵庫。特に僕の席は冷風直撃。明日はカーディガンを羽織っていこう。
朝から論文打ち。午後は工務店探し。jtをめくっては城南川崎地区で良さそうなところを探す。規模や構造が近ければ設計者にメールして紹介いただくわけだ。先ほどミリグラムの打海さんから返事が来た。ありがたいことだ。しかしその業者はちょっと遠いのであまり勧められないとのこと。残念。
夕方ナカジと打ち合わせ。
事務所からプロジェクタを持って帰宅。かみさんが稽古の時にパワポを使ってレクチャするとのこと。一昨年早稲田でレクチャした時のパワポを二人で眺める。懐かしい。パワポは僕が作った。信大のインタビュー用のパワポやら上さんのレクチャのパワポやらあの頃はあんなに忙しかったのに体はびくともしなかったのにこのごろはどうも精神的なプレッシャーがかかって疲れる。
On August 13, 2006
by 卓 坂牛
早朝事務所で仕事、見積書見たり、いろいろ事務処理。
最近異様に体調が悪い。その一 持病再発、 そのニ 急に腰痛、 その三 力が出ない、なんということだろう。
昼前に国博でプライスコレクションを見る。今日はひどく暑い。見終わって休憩室で休む。帰る元気が出ない。国博から上野まで歩く間に数度木陰で休む。普段じゃあり得ない。やっと駅につき電車に乗るが、電車の中で立っている元気がない。四谷から炎天下家まで歩く気が出ない。なんということだろう。帰宅後昼をとりぐたっと床に寝そべる。
体に鞭打ち2時からのA0の勉強会。やっと今後の方針決定でジェフリースコットを読むことにする。1914年に何故こんな本が書かれたのかは興味深い。皆と話していたら少し元気が出たが、帰宅後また力が出なくなりベッドに横になる。
On August 12, 2006
by 卓 坂牛
リーテム東京工場のバーベキュー大会に呼ばれ、信大のインターンシップの宮尾さんを見学がてら連れて行く。久々にバスに揺られ城南島に。彰良副社長、や小さんなどこの間の上海出張メンバーに会う。先日上海で1400万元を提示していた会社に1000万元の指値をしたら先日980万元の見積がメールされてきた。バナナじゃあるまいし1週間で400万元何もしないで下がるなんてありうるだろうか?いい加減んなものだ。今日副社長に会ったら、あそこは使わないよと言う。そりゃそうだ、そんなところ信頼できない。
1時半頃工場を出て浜松町に、そこの本屋で建築東京マップを学生に買わせ、僕は広尾の図書館に行く。学生時代以来である。佐々木宏の『インターナショナル・スタイルの研究』を読んでみたくやって来た。買うには少し高い本である。インターナショナルスタイルという名を何故つけたか知りたかったのだが、これを読むと、どうもグロピウスの『国際建築』をヒッチコックが読んでいたのではと買いてある。帰宅後『国際建築』を読んでみる。
建築は個人的なものであると同時に人類的で(科学的な普遍的真実へ向かうべきで)あると力説されている。なるほど、やはりここにも科学への憧憬があるようだ。
夕刻今村君と会い、フォーティーを日本に呼ぶという話をする予定だったが急遽クライアントに呼ばれキャンセル。ごめんなさい、また今度。